謝りは感謝へ

22:46から。

躑躅は街路花とのこと。

昨日の日記のタイトル、終わり際に満月さんがプリンを買ってきてくれという圧をかけてきたためにあぁなった。コンビニでプリンパフェを買ってきたら、ちょっとしか食べなかったけども。

お仕事。

店長は進まない人に厳しいのだなという読み味。

先輩女子へのアドバイスがきつめになってきた。たしかに、その場所に居座っているだけの人は仕事場を滞らせるから、あんまり生産性が無い。

個人的に色んな仕事で流れて来た立場からすると、しんどいならその場に歯を食いしばって居座る必要は無く転職推奨派だから、何を守っているのだろうと思わなくもない。「維持」を守っているとしか読めない。若いのだから失敗のバリエーションをもっと増やしても良いような。

僕も同じく成果を出せなかったのだが、店長がやってみてと言ったことを実践してお客様に笑われたと報告したら、なんだか嬉しそうにしていた。色んなところから選べば正解が得られると思っている人にはインパクトが必要というのは分かるから、合理的な道化化は手法としては良いと思う。

ちょっと「からくりサーカス」ちっく。笑顔とはなんぞやみたいな。

人を笑わすというのは、距離を近づけること。僕は誰をも笑わすところには至って居ないが、普通に生きていると結構笑われる。いいこっちゃ。

店長が先輩女子に言っていたフレーズの中で、「仕事だからやることはやる、遊びじゃないんだから」というのがあった。たしかに仕事の方を省エネしたい人には利く言葉だと思うが、いまどきはこの言葉あんまり響かないような。

いや、僕のいまどきなだけか。

仕事場は自分を使って遊ぶ場所だとしている。普段の遊びは自分が主体であって、仕事だと目的格(合っている?)。

店長は自分で遊んでいるから、そこが楽しいのだろうな。

若干ワーカホリックめいているけども、同じように遊んでいる人が良いのだろうなと。

遊びの本質って、維持ではなく変化であって、できなかったことができるようになったときに快楽がある。認識できなかったことが認識できるようになるでも良い。

違うのかな。放置系アプリとか課金して一気に強くなるとかなろう系とかがそれを体現しているような。

これを人生に適用した場合、何も変化しないのがもったいなくならないかという話。

意識高い系と違うのは、意識自体が変わることも厭わないという感じ。

いや、遊びにおいて、意識はそのままで楽しいだけとか、息抜きをするだけとかもあるのか。

これは遊びではなくて休暇なだけ。もちろん休暇は補給として大事。

色々考えていて筆が進まない。

行動経済学をkindle読み放題で読み始めている。

マウンティングというゲーム理論みたいな話があって、めっちゃ面白い。

マウンティングは、やんわり相手を見下していて、自分の優位を保つ為に情報を開示する行為で、単に情報を流すことはそうではないみたいな。

この辺りの理論は仕事で使えそうな気がするもんで、常態して読んで行こうかなと。

まぁ、あくまで仕事用であって、日常では使わない。

あんまり操作も誘導もしたくないし。

やっぱり、日記においてネガティブなことはあまり書きたくないんだな。

お仕事の話も楽しい話だったら良いけども、楽しくないのは記録にしかならない。

ネガティブが悪いとも思わないし、傾向の波があるから仕方がないとして、ネガティブでも世界のせいにしているか自分のせいにしているかで随分と読み味が変わる。

無駄にリソースをかけずに、面白いことだけ書かないと穢れが溜まる模様。

そういえば、次の本として、小説の書き方というか物語の構成の仕方みたいなものを考えている。

文章力を鍛えたいがためではない。僕の日記の文章は伝達ではなく漂流なもんで、あんまり伝えたいこともないし、僕の人格がどうなっているかもどうでも良い。僕の物語を物語ろうとすると怪奇小説になりそう。

でなくて、仕事上でというか一般的に人って物語で動くから、人に伝わる語用とはというのを発話に使うために学習しようかなというだけ。相手の物語に巻き込んで誘導する手法は営業トークでは足りない。結構語彙は貯め込んでいるから、出口のノウハウをと。

伝達に文章を使おうとしても、いまどき文章慣れしている人はそんなに居ない。

SNS記事を読んで居れば慣れているのかというとそうでもなく、読み易いように書かれた文章に馴れるだけ。

どうでも良いが、料理研究家のリュウジさんが満月さんから流れて来たのだが、この人かなりの研究家だと思った。専門家の中でしか通じない人は研究家としては一流なのかもしれないけど、誰にでも再現できるところに落とし込めるのは超一流。権威から在野に降りて来ても通じるのはヤバイ。

自分を伝えるのは言葉ではないという説。

僕の日記を読んでいる満月さんのお母様も、色々うごうご考えていると読みながらも実際のてきとーな僕を嫌っていない。満月家で1人飲み散らかしても大丈夫。何が大丈夫なのかの理由も聞く必要がない。別に甘えているから飲ませてもらっている訳でもなし。

これって別に贈与でもない。タダで飲ませて貰っているとは思っていない。

ほんとに駄目だったらきちんと駄目というご家族だし、何かがウィンウィンになっているから、厚遇されているだけで、有難いけどれど申し訳ないとかを感じる必要がない。

僕はすこぶるてきとーに生きていてほとんど何も気にしなくなってきた。

ただ、私は悪くないみたいな話をされると、厳密に精査する。外の理論に正解を着ている人は、たぶん僕の世界線には参与できない。

私が悪いと言われても変な話。

満月さんは良くポーズとしてごめんなさいと言う。

これって、謝らないといけない昔の穢れが半端ない。

1つ前の彼に相当条件付けされている。僕は別に謝って欲しいから言っている訳でも無く、理由を問いたい訳でも無く、ただ現実を客観的に記述しているだけ。

個人的には謝らないといけない項目より変化しているところの方が多いから、僕と関係するまでにそうとう制限されていたのだろうなと思われる。

毎日のおにぎりも作って欲しいと言った訳でもなく金欠が発端だったはずなのに、割と日常のルーティンに組み込んでもらっている。コンビニ弁当でもカロリー的には等価だが、愛情はプライスレス。

僕はあんまり謝ってもらったところでどうでも良い。

だったら謝らないといけないようなことを次にはしなくて良いだけであって、罪悪感を抱かれるような存在では居たくない。

満月さんは僕と同じで独立的な人生劇場で生きているから、調律的にごめなさいという発言があるのかも。僕はほとんど謝らない。謝って許された経験がほとんど無いから。

ここはもっと考えていく対象。

寝ないと明日の休みが大変。

おやすみなさい。

良い夢を。

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