感受性

22:55から。

「知性とは感情である」

by満月さん。

本日は感情がテーマ。

おやすみ。

昨日の晩御飯の残りで朝ごはんを食べて、満月さんの配達のお仕事に行くのに同乗してドライブ。冒頭の言葉は、ここで出てきた。僕が奇声を発したとき、「どんな感情で言っているの」、「知らん」って答えたら、返ってきた言葉。

色々ツッコミどころがあると思う。

例えばHSPがパートナーに対して空気を読まない言葉を使う訳がないとか。

これに対しては満月さんも、「よそ様の実家で冷蔵庫を開けてビールを飲む訳がない」と述べる。

たしかに、もう人ごみは全然気にならない(時間を無駄している気はする)し、自分の繊細さに振り回されることはほぼ無くなってきているから、いまや繊細さんとは言えない。

ただ、これを単なる自分の要素として客観しているだけであって、有効活用しているだけ。

この要素でもって生き辛くはならなくなっただけ。こんなの自分の要素の一部でしかなく他者からとっても事務情報でしかない。当事者で無いと情報は無いだろうから、説明して関係を円滑にするしかない。

僕が、繊細さんなんですよって職場の人とか関係各位に言ったら、何言っているのだと言われそうか。貴方全然周りに気を遣っていないよねって。

あぁ、そういえばマウンティングと対はシグナリングだった。

シグナリングと資本主義は繋がっていて、何も生産しないみたいなところまで読んだ。

これって、資本主義の価値観(付加価値を生み出していくのが存在意義)からの矛盾なだけであって情報を流した相手が対価とは無関係で社会的な富を生産するということはありうるのではと思った。共産主義ではなくて、共有主義という世界観はありえそうな気がする。

共有してより良い世界を創るというのは専門業界では日常だと想像するし、これを日常に持って来ても良いような。こういうのは人生が楽しいと思っている人しか参与できないから、何もしない人には生き辛いかも。

たしかマウンティングって傷付けらた自尊心の回復の為に相手より上位に立ちたいとすることだった。文句ばかり言うのと近い。僕は別に文句を言っているつもりはないのだが、満月さんから、「硯に苦言ばかり呈される」と言われる。さっき、「貴方文句は言わないよね」と言質が取れたから、ニュアンスが把握されたらしい。

満月さん最近ストレスが溜まっているもんで、口内炎が痛いわ頭痛が痛い(わざと)わ、神経繋がっている肩も滞っているわで、なかなか大変そう。

僕の発言を1回で聴き取れないことが多い。

声が小さくて低いのはともかく、ストレスが溜まって僕の声はあんまり気にしていないのだろうなと(これを読んだ当人は絶対反論がある)。

(自分の世界と同期している声は聞こえる模様)

満月さんも結構繊細だけど、僕に対してはあんまり繊細で居なくて良いのは良きこと。

僕がサイコパス的な要素は、特に同情しないところだと思っている。

自分にも同情しないし。本来は目的の為には手段を択ばないのが本質。反社会的なルートでも目的の為に最短ルートを選べる性質。

僕は目的がない散歩人生なもんで、反社会的なルートを通ってまで行きたいところがない。

あくまで、自分を道具にして人生劇場どれだけ楽しめるかなって。

満月さんの店長パートの話は面白い。ちゃんと物語がある。感情論パートの話は言語化が若干歪んでいるような気がしなくもない。「言っていること分かるよね?」というフレーズは

僕とお付き合いした人は幾人か居たのだが、我が母に会おうとしてくれるのは満月さんが初めて。育ちが良い。

僕は母親と無関係で勝手に結婚しても良いという立場だが、ちゃんと段階を踏みたいらしい。こういう古風な人とお付き合いしたことは無かった。

というか、僕が母親のことを語るとき、だいぶやべー人だと前情報を送っていたからハードル高いなと思ったのかもしれない。

スピリチュアル系の話で、自己を観測していったときに、最終的にはオカンが居るという見識があるのだが、僕は母性にそれほど神性を感じていない。辿った先には小さい子供たる憤怒氏がおったなというくらいで、マザコンでもファザコンもない。ロリコンではあるかもしれない。別に無防備さに付け入ろうとするエネルギーは無いし、過渡期である自分を歪めたなというくらいの話。

小さい子供たる憤怒氏が出てくるときは、自分を守っていないとき。

若い女の子にちやほやされたところで前線嬉しくも無い。

良いオトナだから夜のお店には行ったことがあるけれど、ほんとに自尊心が回復されるなんてことはなく、つまらない会話ばかりしているなぁという感じだった。

あくまで今想えばだけど。

この文脈でおすすめ漫画は「エクソシストは堕とせない」。

色欲って別に感情ではないような。

冒頭に返ってきて、知性と感情の関係。

たしかに、感受性が無いと知性は無い。僕に感情が無ければ表現物を面白いと感じないし、少なからず読者が居るということは、僕が表現に感情を乗せているから。だって別にお得な情報を発信している訳でもないし。

では、僕が諸々の微々たる感情の動きを発話で言語化できるかと言えば、ノー。

別に感情で動いている訳でもないし、日常パートで言えば、感情表現より行動表現の方が雄弁。現実の言語化は感情を素直に表現するより、きちんと物語になっていないと説得力が無い。僕は満月さんに対しても感情を物語るつもりがあんまりない。行動で読み取れば良いよねという立場。こういうのは駄目なのだが、感情をいちいち言語化しようとすると遅くなるもんで。

感情を自己でラベリングすれば客観視できるようになるみたいな啓発系の動画を見たのだが、分かるようで分からない。いや、感情を表す語彙をいっぱい得た後に、何の言葉も当てられない感情があるという観測なのか。

最後。

思考の現実化って、あまり実感は無いのだが、しようとする意識と実際に現実として行動する時間のラグあると気持ち悪くなってくることなのではとなる。洗い物はすぐ片付けたくなるし、洗濯もほんとはもっと回したいし、待ち時間があることに座りが悪くなる。

行列に並んでまで何かの外食をしたいとかもこれ。

これって端から見ると協調性が無いとか、空気が読めないとかになりそうだが、繊細さで空気を読んでなんとかぎりぎり成り立っている。

これって努力できる遺伝子とも違うよなって。

もともと宿題とかぎりぎりまでできなかったのに。

やべ、寝ないと。

おやすみなさい。

良い夢を。

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