統計の誤謬

22:20から。

なんだかまた景色変わったな。

本日は満月さんが7時半出発なもんで、昼ご飯は自分で作った。

ツナマヨおにぎりと、保温スープポッドに熱湯を入れて温めた上で出来あいとは言えスープを作る。

だいたい10分はかかる。

朝の10分は仕事終わりの10分とは価値が異なるから、だいたい毎日作ってくれる満月さんに感謝。

夜ご飯は僕より早く帰って来る満月さんがカレーと、ピーマンで何かを作ってくれる予定だったのだが、上司と話が盛り上がったらしく、僕が急遽(きゅうきょ)当番になった。

全然怒る気分は無く、食べて来たのであればカレー作らなくても良いかなというくらい。

どうやら晩御飯は食べて来てない模様。予定にカレーも追加。

最近個人的に鶏ハムブームが来ているから、ベビーリーフサラダに鶏ハムを乗せてきのこドレッシングをかけるのが1品。半額で買った砂肝が悪くなりそうだからガーリック炒めで2品。新玉ねぎもそろそろ使わないとなぁと、塩もみしてオリーブオイルとお酢と砂糖で和えた。3品。これだったらお風呂が沸く20分くらいに収まったのだが、カレーが追加されたからちょっとオーバーした。

カレーは鶏ハムと違って放置系要素が少ないから、薄切り玉ねぎを飴色に炒める時間とか煮詰める時間を放っておけない。作業時間が少なくても、気をかけないといけない時間が増える。ちょっとだけだからなんとでもなる。

ここで、満月さんは上司と楽しく話してきたのに僕だけが割を食ってる飯炊き爺かという世界観になるのは面白くない。調子が悪かったらこういう世界になるのも分かる。自分だけがやっていて誰も助けてくれないみたいな。

僕は次のきのこドレッシングどうやってアレンジしようかなと楽しんでいるだけなもんで、別に満月さんをフォローする為に生きている訳でもないし、単に伸び伸び生きているだけ。

満月さんの美点は、美味しいご飯は素直に美味しく食べてくれるし、そこに変な罪悪感を乗せてこない。女性だから作らないといけないのに、自分が作ってないという感覚で食べられたらどれだけ美味しく作っても、僕が美味しくご飯を食べられない。

満月さんが罪悪感の中で生きている人だったら、空気を読んであえて不味いご飯を作って自尊心を回復させるということをしそう。

HSPの本質は、世界の空気に自分を合わせるということ。

本当の自分は違うみたいな感覚がある人はそうとうしんどいけど、そもそも論として、その自分がどこから来ているのかまで探検している敏感な人はあんまり居ないような気がする。

自己観が自明ではないという感覚に至るには魂レベルが、、、。

僕は満月さんのご飯の失敗を気にしないし、満月さんも僕のご飯の成功を単に美味しい料理として食べてくれるから、伸び伸び生きていける。もっと美味しい料理を作って良いし、作ったら美味しく食べてくれるしウィンウィン。

これって、満月さんが文章制作を再開して、僕がまず美味しく食べれば同じ軸として循環する。この人文章においてちゃんと天才だなと思っているもんで、そのギフトはちゃんと使える環境を調えないという次第。

変な話、何をぐずっているのだろうなと。

1番目の読者になる準備は整っている。

僕はどの方面においても凡人だからとても楽。

比較対象は自分だけだから、どの方面においてもお散歩できる。

別に何かをしたいとかの夢はないし、自分のレベル上げにも特に興味は無い・

ただ、人と関わるのは案外好きなのかもしれない。

お仕事で関わった人のことを細かく書くのはコンプライアンス的に無理なのがちょっと窮屈だなと思ってきた。僕の世界として関わってくれた一期一会な人のことは紹介したいのだが、このお仕事をしていなければ逢えない人には違いないから、ちょっとジレンマ。

まぁ、書けなくても存在としては居るから、話す機会があれば話せるストックはいっぱいあるということで良いのか。

こういうのがHSPだろうなと思うのが、本日先輩女子がお休みで、無茶苦茶伸び伸びと仕事ができたこと。先輩女子が居るときはこの人の自尊心を確保しなきゃと思っちゃう無意識があって、勝手に自分を制限する。

定義として違うのかもしれないけども、僕はそうやって自分を犠牲にする傾向がある。

それが敏感な人の傾向ではと思っているのだが、違うのだろうか。

実生活で敏感な人と自認している人と関わったことが無いから、実際は違うのかもしれない。でも、私敏感なんですと言われたら、若干マウンティング取ってしまいそうな気がしなくもない。何処が敏感なの? って。

人と関わっている時に自分の敏感しか認識できないのはちょっとズレている。

それって過敏なだけなような。

最近辛辣だと満月さんに言われるのだが、一生過ごす人と認定している安心からやっていいる節。甘やかしてくれるのはお父様お母様の愛であって、対等な関係はそうでもないというブレンディ。

満月さんはおにぎりを作ってくれるけれど、それは義務でもないし当たり前でもない。

美味しくてありがたやというだけ。抜けて残念でもない。

そろそろ寝るので最後。

魂レベルの20段階は面白い。

プライドがあるから自分の世界を更新できなくて、しんどくなるとか。

そのうちここは書くとして。

行動経済学でもスピリチュアル系でも同じなのだが、「幸福感」の意味があんまり分からないなという話。

幸せである状態を定義する言葉あるとは思えないのが個人的な感覚だし、統計的にサンプリングされたとして、僕は今の状態を幸せとは定義しない。

天邪鬼なもんで、5点方式だったら3点くらいにする。

だって、幸せって中身があんまり無い気がする。

おそらく詩に一番使っちゃいけない言葉。

行動経済学でもあんまり幸福度の中身は語ってなくて、なんとなく願いが叶っているという定義っぽい。要は需要(欲求)と現実が一致したことを幸せと名付けているらしい。

ほんとマジックワードだよな。それを言ったら人生が肯定されている気分になる。

これで言うと、僕はそんなに幸せな人生を送って居ないし、今も幸せではない。

ただ楽しいだけ。

楽しいと幸せだったら一般的に幸せの方が価値高そうだが、楽しさは価値で測れる次元ではないから質が違う。

どちらも特に中身はないのに、語用上優劣が決まっている。

どうでも良いが、太ももの筋肉が使っているからか、スラックスが若干むちむちしてきている。老化していくともっと変化していくのだろうなというのが楽しみ。

劣化して欠けていくことを幸福とはきっと言わない。

おやすみなさい。

良い夢を。

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