21:53から。
明日の仕事終わりから東京に行く。準備がこの後あるもんで本日は早足で。
お仕事。
出勤前、なんだかちょっと体に重力を感じる。調子が悪いというか、何か粘度のある空気が体にまとわりついている感じ。二日酔いと似ている。
かといって動けないということもなく。
午前中は淡々と作業。土日忙しくしていないと店長がぴりぴりしている感じがあるもんで、ちょっと大変。先輩女子にもちくちく刺されるが、変な話僕の事務作業の落ち度に仕事がある感じでもあるので、あえてきちんとしない方が良いのかもしれない。本当に必要だったらやっている。
このてきとーさは矛盾起き抜けの状態と矛盾している。
そうして、お客様。
本日は1成果、2クチコミ。
お給料に関係するのは成果の方だが個人的にはクチコミの方が嬉しい。僕とお仕事の舞台で関係して嬉しがってくれた証左だから。その感じで元気が補充される。この自分の成果では無いニュアンスが伝わってくれるだろうか。
お仕事の舞台って面白い。店員側はもちろんだけど、お客様も完全なプライベート空間ではないから適度な緊張感がある。個人的には、その上で越境して楽しんでいる感じ。人のお話し聞くのほんと楽しい。時間が営業時間しかないのが良い。
お仕事に徹すると失敗するのは、お客様を舞台に上げきれないというイメージ。
僕は頑張らない方が上手く行く模様。生まれてこの方ずっと想っていたが、風の時代が追い付いてきた。
人事を尽くしたら成功に近づくみたいな感覚は僕にはあんまり無い。
10年くらい尽くしてみて駄目だったけど、今の方が全然楽しいし、色々吸収できているし、頭もすっきりしている。
本日のクチコミのお客様カップルが、ぼそっと「硯さんに会えるのはあと1回か」と言っているように聞こえて、お仕事冥利に尽きる。僕も名残惜しいので、最期には「どこかで偶然逢えたら良いですね」と言いたい。お仕事上得た個人情報はプライベートで使ってはいけないから、偶然に期待するしかない。偶然また逢えたらほんとうの縁。
お仕事上でたらした興味がある人物と全部プライベートしていたら時間がいくらあっても足りないし。
なんだっけ。
お仕事はあんまりせずにプライベートの舞台を越境というか混在させる方が上手くいくだろうなという結論。お仕事上は全然頑張れないしプライべートも然り。頑張るってあくまで主観的な態度であって、ここにあんまり客観が無い。いや、客観として頑張っている指標もあるからなんとも言えないけども。
幕引きも大事。
世界線を無理に繋げようとしても歪む。僕のプライベートに合う人はきっとほとんど居ない。それでも良いんだから、友達が近所のコンビニ店長だけで問題無いという。ぼっちになりたい訳でもなかったけれど、結果的にまぁまぁぼっちになってしまった。僕に属するプライベート関係の人は居なくなったという意味合いであって、人と関係していないということは無い。
やれやれ。
旅行の準備は満月さんがだいたい終えてくれた。
ありがたや。
本日、満月さんが某イオンに行っていて仕事帰りに合流したのだが、心臓がキュンとなった。
満月さんは諸々僕に対して言語化を求めるのだが、プライベートなもんで懇切丁寧に説明することがない。プライベート関係の本質は非言語じゃなかろうか。言葉が大事の分かるけども、ほんとうにそこが大事だったら、僕は満月さんに選ばれていないという。
さておき。
まとわりつく空気の粘度の感覚の話。
本日「所有論」を読み進めていたときにちょうどその話が出て来た。鬱は本来所有に帰属しない存在が所有に巻き込まれて生じるとの説。
たしかに、実感として分かる。物として存在が所有されるべきものとなり過ぎると、自分の価値がバグる。統合失調症の症例もちょっと分かるのが省略して、鬱の中にあった、自分の存在が人に迷惑をかけているという感じは今でもちょっとあるなと。
本来というか、人の肉体はもともと所有される物であったし、だからこそ金銭価値に還元される(交通事故で亡くなったときとか)のだが、肉体に乗っている精神は、物ではないし、誰にも(当人にも)所有できない。にも拘わらず、人って自分の精神を物理的な価値の俎上に載せてしまう。世界に対して過敏な人ほど。
価値が測れないことに対して、現実的な価値をぶっこむとそりゃあ変なことになって、社会生活が上手くできないことになるよなと。この辺りの極地には居たことがあるので、文章に書ける不具合ならまだまだ浅瀬だろうなと思う。
罪悪感が凄すぎて、世界から観測されている気がするという症例が鬱の中にあるらしい。
これはほんと分かりみ。僕が居ない方が良いのではないかという感覚はずっと付きまとっている。価値という概念から離脱すればどうでも良くなるのだろうな。
やべ。
洗い物しなきゃ。
ということでおやすみなさい。
良い夢を。
(これは定型文ではなく、ほんとに祈っている)
では。