22:15から。
書くことはあっても書けることが減っているような。
これも縁か。
ちょっと体調が悪い。
自分しか気づかない領域なもんで、何も休めない。
こういう体調の悪さを勝手に「邪気が溜っている」と読んでいる。
昨日稲荷神社に行ってきた影響もあるのかもしれない。稲荷神社との相性はあんまり良く無さそう。商売繁盛のお守りを買おうと思ったら閉まっていたし。
これも縁。
風邪を引いているときのことなんて、だいたいの人が通常になったら忘れるのだろうけども、個人的には物理的な肉体が剥き出しになる感覚が良いと思っている。日頃から身体のことを意識していれば、こんなことにはならないという意味合い。
たしかに、最近ちょっと意識が薄れていてこうなるのもしょうがないなと思う。
意識を意識する隙間が起こると邪気が入り込む。
物理的な要因がきちんと因果的に機能するなら僕はもっと風邪を引いていると思われるし、あんまり問題に対して原因を特定することに意味を感じない。いや、一般的には原因を特定したら解決するみたいなイメージだけども、そんなの実際は存在しない数学上の点みたいに思える。
風邪の時の神経が過剰に過敏になっている感覚が肉体のポテンシャルの上限なのかも。
服とか布団の冷たさでめちゃくちゃざわっとするし、喉を通る食材の温度が表にも伝わる。肉の壁を越えた単なる神経になる、みたいな。
いや、まだ一歩手前だし、この感覚ならまだゴーサインな気がする。
僕はまだまだ肉体を退場する気は無い。
さておき。
お仕事。
とりあえず、なんとなく美味しそうだなと見えてサービスエリアで買ったお土産がスーパー事務と先輩女子に好評だった。無難に「東京ばな奈」を買って行ったら先輩女子的にアウトだったらしい。スーパー事務からは「硯夫婦はお土産のセンスも良い」とのコメント。
僕個人、特にセンスがあると言われた経験がほとんど無い。
無難に過ごして来たからのかもしれない。無難に場に合わせるのがどうでも良くなってしまって、あんまり東京っぽくない単に美味しそうな物を買ったらセンスが良いと言われる。
センスとは。
満月さんにも時折ギャグセンが高いと言われる。
センスって日本語訳すれば感覚だけど、横文字にするとちょっと才能が混色しているような。
才能は持ち物だろうか、それとも在るものだろうか。
お仕事の雑談に入れない自分を感じる。
先輩女子、僕が詰め詰めなのを分かりつつ、仕事をさらに積み上げてくる。この人とはきちんとしたお仕事はできないから、もうちょっと距離を取った方が良い。
あと、仕事における重要度は、僕の仕事が終わっているかどうかよりも、次の売上に向いているかどうか。だとすれば、もっとやりようがある。僕の仕事が終わって居ないことに対してはなかなかチクチクされるのだが、ここは自尊心の問題であって、仕事の問題では無い。
そうすると、僕がそんなことまでプライベートに持って帰って来る必要が無いということになる。どこまでなのかというバランス問題だけども。
ちょっと喧嘩した話。
特に何も疑義がある訳でもない。ただ、そもそものものさしが違うのかなという感じがあって、どういう言語化してもあんまり意味が無さそうだなと。
僕は自分の為に生きられないから、自分で楽しく生きるところに移動してきた。自分の為にすら生きていない人が、他人の為に行動できるはずがないもんで。
満月さんとの生活において家事面を結構負っていると思うけど、それに対して僕が満月さんの為にやっているから感謝して欲しいみたいな感覚が無い。
ニュアンスがとても難しい。
「為」とは。
目的意識があんまりないからズレるのか。
満月さんも特に目的意識は無さげなのに、何故か一般的な視点だと目的意識の方が真理になっている。
なんか言葉足らずだが、僕は自分の為に生きなくて良くなってやっとセンスが芽生えて来たという説。別に満月さんの為に何かをやろうとは思っていないけども、リクエストのニラ玉と、たぶんそろそろ食べたいだろうなというネギトロ丼の準備はできる。
これが情が薄いと解釈されるなら、それは仕方ないこと。
自分に対して情が薄いんだから、他の人に対して情が厚くなれる訳が無い、
最後。
「ひとでなし」はずるい小説。主人公の感じが僕と近いのはともかく、時系列があんまりオリジナルではなくて、ちょっと時代意識を刺激する哀愁がある。
世界線の移動っぽい感覚を持って来られる妙齢の作者さんはだいぶ感覚が変態でしかない。
なんだっけ。
ちょっとまた感覚がずれてきているもんでこうご期待。
いや、期待されても困るな。
おやすみなさい。
良い夢を。