外しの一環

引っ越した後の満月さんの自炊が捗っている。やっぱり環境は大事なのだな。ブレーキになる要因が除かれるかどうか。美味しそうなご飯を毎日拵えている。

とかいって、こちらの今朝はジャンクな気分だったからコンビニで買ったのだが。肉うどんとお稲荷さん。と、朝からビール。胃腸に良さげな物を買いつつ刺激を入れていく。店員の女子がこのおじさん朝からビールかよとか思ったかどうかは知らない。850ml分。

雨が降っていたからコインランドリーで洗濯と乾燥を一緒くたにした。ビール飲みながら本も読めるから仕事もできるだろうなと勝手に思っているが、現代日本社会では通じないからやらない。

その後はペルソナ2罪の実況動画を見ながらゲームやら漫画。ここまではいつもの休日なのだが、なんだか脳が法律学特に民法の気分になってきたため、買い出しの後に法律書を読むことにした。ついでに夜ご飯のメインは自炊。和風みぞれ酢豚。レシピは省かないと後が尻切れトンボになる予感。

買い出しに行く道中。ペルソナ2について思索。僕がやったのは罪ではなく罰の方。しかも高校の友人がやっていた罪の引継ぎデータ付き。面白かったがストーリーについては特に何も思わなかったような。そういえばこの友人は元気でやっているだろうか、ゲーマーで家に漫画もあって、17歳の時は入り浸っていた。我が家が殺伐として居づらかったのもある。

僕は特に何も思わなかったが、周りから「アイツは友人自慢が多い」と若干疎まれていた。いま想えば、大学に入ってから友人の彼女の友人を紹介して貰ったときに、俺の彼女の方がスペック高いみたいなことを言っていたような。そういうのってどういう心理なのだろうな。何かスペックが高い物があることによって自己が相対的に価値を持つということなのか。あんまりピンとこなかったから鼻に付かなかったのかも。

ピンと来ないといえば、ペルソナ2はユング心理学を下敷きにしていて登場人物は皆父性にコンプレックスがある。僕の現実で父親があんまり絶対的な存在ではなかったからか、ここでいう父性のひな型がうまくインストールされていないという感じ。父性は抑圧とか条件付けとかそういう越えるべき対象で、母性は無条件みたいな型っぽいが、どちらもピンと来ない。だからか、大人像に対しても特に何もない。

今後、こういったペルソナはどうなるのだろう。社会条件が緩やかな遷移であれば大人の知見は次世代が食べて糧にすべきものだが、大人の知見が通用しない社会になったとしたら、収集すべきは経験則という型ではなくて、生き延び方という言語化できない抽象的な部分だけになるのかもしれない。

ともあれ。

民法の脳になったと満月さんに言ったら、「それってどんな脳なのか」と問われて、「社会経済の概念化」と返した。そうすると、もともと社会経済は概念ではないかという提唱。たしかに知らなくてうごうごしている社会のしくみは概念上の存在でしかないかもしれない。

外から見れば僕は法律の資格試験の最高峰を挫折した人物だが、挫折した後の方が読み物として面白くなっている。民法は私人の社会ルールを規定しているというふれこみだが、社会生活できているという実体験で読もうとしても無理がある。いや、あんまり無理なく読めるならそれで良いのだが。

どうでも良いが、お風呂読書の最後の小説も法律モノ。表紙に惹かれて買った。ただ、主人公の女性判事のキャラ設定が、司法試験1位かつ東大法学部主席かつ美人みたいに現実離れしていて、漫画にあるチート無双系っぽくていまいち人間味がない。折々挿入される「美しい横顔」、「美しい唇」とか、どうイメージ化したら良いか分からない。いや、法律業界が現実離れしているという表現であればなかなかのもの。

法律談義ってあんまりしないようにしているつもり。あんまり読んでいて面白くなさそうだから。ただ、そろそろタガが外れてきているから好きなように書いて良かろう。

法律学ってたぶんどこにも書かれていないけど、それだけでは独立的に存在できない領域。だいたい哲学的・科学的・社会学的・心理学的・経済学的な見解が底に流れている。そりゃそうだ、社会のルールを決めるのだから、社会ついて研究している学問の知見を参考にしないことはできない。

裁判のシーンってある種の社会劇場。

リーガルハイとか。

ここから先、なんか難解になる予感があるが、そもそもここの文章、そんなに分かり易くはないか。

やれやれ。

そもそも法律学が小難しいというのは、暗記の学問で知識を積んでいくものだとされているというところと、法律を従うものとして確固とした存在というのがインストールされているからのように思う。たしかに一定の幅はあるけれど、Q&Aみたいに切り分けられるほど社会の状況はざっくりしていないから、解釈で埋めなきゃならない。

だいたい最初に読み始める法律学の民法総則が無茶苦茶抽象的なのも宜しくない。

刑法の世界観は罪刑法定主義もあって人が人を裁く限界が意識されていてまだ幅が狭くて分かり易いかもしれない。いや、幅が狭くなると細かくなるというのもある。

憲法は理念的であんまり実生活に関わりがない。これも当たり前で、憲法が規制しているのは国民ではなくて国家だから。表現の自由を保障しないといけないのは国家であって国民は自由を謳歌する側。表現の自由が何故自由であるべきかという論って進化しているのかな。僕が読んでいた頃だと、自己実現(表現に触れる、発することによって人格を発展させていく)と、自己統治(政治参加)だったが、人は情報を食べて育つみたいなことになってないかな。ただ、最後の観念だと、わいせつ表現の規制根拠がなくなるから、教育者的な大人としては赦せないだろうな。

個人的には駄目だとすることによってアングラの領域が生まれるから、表現自体はどんな方向性でも流通して良いと思っている。これだけ情報が流れる世界である意味の表現だけ流さないようにするって無理だし。悪影響で言ったら、マイナス方向のことばかり流して不安を煽るマスメディア業界こそ規制すべきという見解。ももふもふ的だったり、誰かが素晴らしいだったりなことばかり流してくれるのであればテレビをまた眺めても良い。

ペルソナ2は思考の現実化の先取りみたいでぞくっとする。

マイナスの方向のことの方が現実化しやすいみたいな。

表現の自由は全開にした上で、どうやって情報を選ぶかのリテラシーの教育に公費を投じた方が良さげ。個人的には著作権界隈も変わっていく気がしている。

いやいや、本日は民法学。

デレラさんはどの入門書を読んでいるのかが気になるのはともかく。

僕は最初からずっとピンとこなかったから、ここまで読み続けているかもしれない。

人の法律関係は意思表示を中核とした法律行為によって決めることができるというのが本質としての前提なのだが、実生活においてそんなことが意識されたことがない。

この意識されないというのがミソで、何事もなければ法律の知識は無くても良い。

債権譲渡の概念を知らなくてもクレジットカードを使えるし、何かを買う時にいちいちそれの所有権を自己に移転する意思なんてないはず。当然に自分の物になるという感覚で良いし。

意思とか故意とか悪意みたいな概念が法律書にはよく出てくる。

トラブルが起こらなければ考えなくても良いところ。という意味で考えてみるとややすっきりした。

民法の本って、だいたいはまずこの法律がどういうことを規定しているのかというところから始まる。民法総則は社会劇場のプレイヤーと、どんな場合でも通じる抽象的なルールだし、物権は人の物の関係だし、契約は人と人との権利義務だし、家族法は社会における親族劇場の話。

なんか変だなと思っていたのは、プレイヤーだけでは成り立たないよなというところ。

観測者なり裁定者という第三者が明らかに意識されている。「第三者」は民法にいっぱいでてくる用語だが、どの第三者とも異なる意味。

要は、意思表示という概念は、当人の主観やら内心の意味ではなくて、ある現実的な表現が社会的にそういう意味合いをもっていると観測される仮設なのだろうなということ。社会劇場には社会という設定というか観測が付属しているから、こういう認識をもってこういうことをしたという行為(演技)は、社会的な意味として観測される。

まぁ、内心を現実的に観測することなんてできないから、行為(言語)によって解釈するしかないという限界。

社会という第三の視点があるという前提だと法律書を読むことにしっくりくるというだけの話。ここも劇場かいなというのは面白い。

あぁそうそう。概念って目には見えないし触れないけど、認識できるようになるという意味で、共通項にできうる発明品。例えば人権って何ぞやと知らなくも感覚的に人が個人で尊重されるという感覚は共有できる。

文章における共感がこのレベルだとすると、何が書かれているかの意味ってほとんど問題ではなく、単に自分と似た人が居るのだな、あるいは推し、スキみたいなことになるのか。

あぁのびのび。

おやすみなさい。

良い夢を。

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