豚しゃぶは湯通ししたあと冷蔵庫で冷やすと固くなるらしい。常温でゆっくり冷やしている。白ごはん.comは名前に似合わずカバー力が凄い。
ようよう暑くなりゆく夏際。お風呂読書から出ると汗だく。体の荒熱を取るためにタオル1枚で作って冷やしておいたメイン以外のご飯を準備。もう夏だと言うと満月さんに突っ込まれるのだが、夏は季節というより状態に近いという定義とすれば、問題ないような。満月さん以外には言わない時点で一般的に未だ夏ではないというのは分かっている訳だが。
さておき。
文字数が少なくなっているのは、考え事の容量が多くなっているからかもしれない。満月さんは僕が作った副菜をあんまり食べていないような感じがして、あまりお好みでないのか、もう少し濃い味に寄せた方が良いとか、僕が仕事をしだした後にも今と夜の時間帯の動きはあまり変わらないだろうから、もっと早く色々こなせるようになった方が良いよなとか、仕事をしていたときより頭の稼働率むしろ上がっていないか、いまのうちに読めるだけ本とか文章を読んでおいたほうが良いだろうなとか。
本に関しては、法律学の古典と言われている本を攫いたい。どちらかというと世界的な起源ではなく日本の古典とされている人達。憲法、はちょっと政治よりだから微妙だが、民事訴訟法とか刑法とか行政法とかそんな方面。まぁ前の仕事をしているときも全然関係ないものばかり読んでいたし、いまも読んでいるから、時間さえ確保できれば問題なかろう。
また岡田さん動画がネタなのだが、頭の駆動にはハイとローとミドルがあって、全部大事という話。ハイはぽんぽん瞬発的に考えることができるのだが、頼ると思考が浅くなりがち。状況に合わせて良いようなことを言えたり書けたりするが、あんまり人の話が聞けない。人の話を聞くためには意識的に脳の回転数を落として、相手に共感するようにしないといけないというのは至言だと想った。
これって発話しながらとか人と対話しながら考えるときの脳の回転の話だから、全般でもない。でも、発話することによって自分が何を考えているかが当人にとっても確定するというのは面白い。僕も色々書いているけれど、考えていたことを言語に写経した部分はほとんどなくて、だいたいは書いているときに自分ってこういう風に考えていたのかとなるのが大部分。これを人との会話でするというのはとても難しいのは分かる。自分のことを語りたいという欲求がほとんどないのに、あえて相手に時間を取らせるのは天秤としてあんまりない。
ここで、対話の話が出てくる。曰く、口下手な人は正確な言葉とか、この言葉によって自分がどうなるかを気にし過ぎだから、普段より3倍4倍くらい意識的に発話すれば良い、相手が勝手にまとめてくれるからって。なるほどと思った。僕はこれを酔っぱらっているときか直近の仕事の時にしかできなかった(文章ではいつもしている)。
これは他人を尊重し過ぎていたのだろうなって。もっと素面でも色々酔っぱらってみて良い。中学生くらいまで何を言っているのってよく言われていたから、人と対話する時は注意も思考も無茶苦茶ローギアにしていて、ローにすればするほど相手に共感モードになってしまう。これも厳密に言えば具体的な相手への共感ではなくもっと抽象化された当人の人生劇場の主人公としての視点への想像。自分事として感じることは共感ではなく同情であって、他人事を他人事として痛かったり苦しかったりできる想像が共感だとしておきたい。
同情と嘲笑ってとても近い位置にありそう。笑う傍観者になるのか慈悲深い行動者になるのか。
次は義務教育の話。行進をしているときに自分の手と足をどう動かしているか分からなくなるのは、もともとの体の動きとはズレていたからかと納得。集団行動を学習させるための義務教育でなければ、皆テストで100点取れるところが水準になるはずだよなって。身分制から個人平等主義ないし資本主義に転換するにあたって、時間を合わす必要があったし、出自やら価値観が違う人を一緒くたにするために一体感を植え付ける必要もあった。
知識を学習させるという表のカリキュラムとは別に、集団の時間制労働に馴染める人材を育成するのが裏にあったというのはとても分かりみがある。僕も義務教育時代どれだけ嫌でも行かなくてはとなっていた。その反動で大学は出席を問題としない講義はサボっていたし、逆にその先の仕事では1人で居る限りサボりも遅刻も起こるべくがないという。労働契約なのだから、働くことは権利も入ってくるし、責任って義務に付着しているのではなく権利の方。
時代は変わってきていて、メルカリが道徳の授業を担うみたいな話もある。約束を守るということ以外にあと2つあったけど忘れた。この約束論は民法上の契約よりマイルドで、それを破るとあとあとトラブルになるから、自衛のためにネット世界に公開した言語情報は守りましょうというくらいの意味だと思われる。
時代が変わっているといえば、ちょうど10年前くらいの講義で、新卒を成績順で採用すると女性がほとんどを占めるのだが、上位の女性には上昇志向が無いし単に上から取ったといっても男女平等にならないからそんなことができないという話。
新世代からすると旧世代はアップデートできていないということになるが、旧世代は新世代の考え方が理解できないというのは分かりみ。僕はまぁまぁおっさんなのでバブル崩壊とかゆとり世代とかその先も見てきていて、今というかこの講義で言われていた考え方の方がしっくりくる。おそらくゆとり世代のちょっと手前の教育を受けていて、新卒の就職活動を大学院に行くことで回避した。
ここで言われていたのは、私有財産制の不都合性。
財産が固有であるということによって経済が効率化していないよねという慧眼。シェアできる物はすれば良い。
個人的には車の整備を個人の責任にしたら事故率上がるだろうし、ちゃんと整備をしている車を使う時だけ、皆で使った方が、車検とか保険関係もすっきりする気がする。ここに移行できないのは、それをすると車が売れなくなる自動車産業の圧力なのでは。もちろん地方だとこれで移動するしかないからそれはそれで良かろう。我が実家界隈だとそんなこと絶対できないし。
少し遊んで帰ってきました。
まだいろいろある。面白いクリエイターさんの動画を見つけた話とか。社会風刺に寄っているからこそいっぱいの人に見られているのだろうが、個人的には雰囲気が好き。同情を集めないようなバランス感。
今日はここまでで良いか。
また明日。
おやすみなさい。
良い夢を。