エネルギー

連休明けの仕事。店長が忙しくて運転の研修が流れる。他にもすることがあるから問題はないのだが、研修状態を卒業できる項目は全然こなせていない。もちろん日々の業務が上位にあるのはたしか。その中でも吸収できる新情報もたくさんある。ただ、そもそものノウハウを言語化なり行動化していただけないと、なかなか次のステップには行けないよなぁと。

僕が先輩になったらそこを意識して教えることにしようというだけ。別に不満があるという訳でもない。まぁもう少し動けるようになりたいところではある。

どうでも良いというか良くないのだが、仕事用のスマホのセキュリティの設定がおかしいのではないかと思われる。某アプリを通話に使うらしく、会社の電話番号にかかってきたのをスマホで取れるということで皆さんそういう風にやっているのだが、スマホの設定で通話の権限を許可しているのに、連動できていない。システム管理者に聞きたいのだが、どの部署に聞けば良いかも分からない。

ちょっとした昼ご飯の充実。お弁当生活になるのが最上級なのだが、今のところ整っていない。コンビニご飯で昼食を採っている。徒歩圏内ではローソンしかなく、ローソンには袋サラダが置いていないし、弁当も何かと肉肉しい。おそらくターゲットとしている層ががっつり系。なんとか他のコンビニはないかと地図情報を探す。近所の道を覚えないといけないので業務の修練でもある。自転車5分圏内でファミマがあった。ファミマは結構バランスで食べる系をターゲットにしていると思われる。幕の内弁当に梅干しが入っているのも良き。もっとも良いのはパック入りのサラダがあること。昼にも野菜を食べたいので。

先輩女子とも少し雑談。独り言多い系女子。

腰が痛いとか明日は嵐かとか。もっとがつがつ聞かないと業務情報は収集できなさそう。たしかに、僕の業務が彼女の業績を侵食する可能性はあるし、僕を教えたところで楽になったり営業に集中できたりする訳でもない。

雑談と言えば、前の職場でも思ったのだが、何年か一緒の職場で過ごしているのに雑談の内容が初めましてくらいの水準なのはどういうことだろうという話。本日店長と先輩女子が親族構成の話をしていたのだが、先輩女子は3年目の人のはず。こういうのって話題としてすぐ出てくることではなかろうか。いや、ほんとは何回目かの同じ話題なのかもしれない。

別に悪い意味ではなく、興味がない職場の同僚に対する話題ってこんなものなのかという気もする。先輩女子も店長も自分語り系だし、人のことを聞き出すスキルはあっても、内容が通り過ぎるのかもしれない。これが失礼なのかは定かではない。営業マンとしては売り上げに関係ある情報のみを残せることが能力だと思う。無駄情報は忘れていかないとパンクする。

どうでも良いが、次月の休みの話題になった。満月さんの職場もお盆休みはありませんとか語りつつ、店長が僕の休み希望を聞くときに、ここで休みを取らないと満月さんに怒られる日はありますかと聞いてくる。なかなか人格というか立場関係がバレているなと思った。たしかに外面で言えば僕の方が譲っているように見受けられそう。なにせはきはき具合に格差がある。内面だと割と対等というか水平なのだが、別に外に見せるものでもないし。あんまり譲れない部分がないから、従っている風に見えるのかもしれないが、ほんとに譲れないところがあれば、流されないようにやっているはず。

本日の晩御飯はお父様が送ってくれた良いとこのラーメンを所望された。

トッピングにはもともとメンマが付いていて、あとはどうしようかとなり、冷蔵庫から長ネギの切れ端を引っ張り出して細切りにして水に晒した後、ごま油やらラー油やらにんにくチューブやらチューブ中華だしやらで味付けした。あと、ゆで卵を作ってレンチンしたみりんと醤油と砂糖で漬けている。2つ作って1つはベビーリーフサラダにのっけてみたが、なかなかの絶妙な半熟具合。

副菜は冷奴の上に塩昆布とサケフレークがセットになっている塩昆布に醤油をかけたものと、残っていた大根にゆかりシリーズの中のカリカリ梅チップの梅子とお酢で和えた浅漬け。美味しいけれど、満月さんは美味しくない副菜はあまり食べないからどうなるかは不明。食べないのであれば僕が食べるから特に問題は無い。作ったのに何で食べないのだ、哀しいみたいな感覚は特に持っていない。食べてくれるのであれば、そりゃあ美味しい方が良いというくらい。

ともあれ。

ここからはちょっと言語化が難しい。

何か頭が詰まっている気がするここ2、3日。頭が新陳代謝する為には僕の中では本を読むインプットと、文章を書くというアウトプットがないといけない。何か新しいことを残すために必要なのは、それにピンポイントで集中して時間をかけることではなく、集中すべき対象外に余白がどれだけあるかによる気がする。

頭の容量を机としてみて、机の中に必要なことばかり置いておくとどこに目を向けても必要しかない。こういうのが努力だという風潮だが、あんまり僕は努力信仰に乗れないのだよな。

そんなことより目を外に向けて、隣のお家の庭の木は特に成長していないのにセミから大人気だなぁというしょうもないことが見える方が脳をフラットにしている状態だと思っている。フラットな方がほんとうに当人にとって大事なことなり楽しいことが目に入るし残っていくという説。

こういう風に世界を捉えている人はあんまり居ないような気がする。

僕もあんまり自分の世界が通用するとは思っていない。何かどうでも良いことが目に入るということは、そこに脳の机を使っているという説も分かるし。例えば本日の帰り道の夕暮れの曇具合がめっちゃ綺麗だと見えたら、何か現実逃避的に脳の容量を使っているのではないかという想起になりそう。どうでも良い自分と無関係な世界だって現実なのに。

ここ2.3日で満月さんをぷりぷり怒らせていたという話は書いたと思う。

別に怒り自体は当然のことで、悪いことではないというのを前提としてそれとは別に、人を駄目にする為には相手に対してずっと怒ることだなと思った。怒られる事態って、相手のことがどうでも良いのであれば何を言われても不運という棚に収納されるが、怒られることを注視すると、それを改善するような方向性には向かわない。相手にとって自分が駄目人間であるということの方が重くなって、あぁ、この人にとって自分が駄目であるというところを越えて、駄目でなきゃならないという無意識の塗り込みが始まる。

怒られたら反発したり従ったりする反応が起こるけれど、どちらにせよ自由は無い。

怒る側からすれば、矯正なり教育みたいな意識があるのかもしれないが、怒る側が怒られたときに自分が矯正されたかを顧みれば、怒ることによって人が変わることは在り得ないことが分かると思う。

怒る側も怒られる側も、その時点でお互いの人格が固定化される。

もちろん機嫌とは関係ないどんな状況でも変わらない安全の文脈とかのの叱りは必要なことだが、このタイミングでは怒られるが、他のタイミングでは怒らないことって、何をどうすれば良いか分からない。

我が家の母親がまさにそんな感じの人で、色々言語上の根拠は言っていたが、矛盾があるから、じゃあどうすればいいのというのが不明。当人にとってはきっと一貫性があるのだろうけども。

いや、別にこんなのは副次的などうでも良いところ。人には矛盾があるのが当たり前だし、矛盾が無くなったら人はきっと神様に昇格する。

そんなことより、怒られ案件は頭の中の机の上に場所を取ることが問題。余白が問答無用に狭まる。理屈で消化できるものではないから、そこは昇華できない。いや、消化できる人も居るのかもしれないし、怒るということを相手が成長する為に使える人もいるのかもしれないが、僕には無理。

そうやって人の場所を取りたいという精神性は分からなくもない。

いや、僕が特有の精神性であるから怒られ=怒った人からすると僕は駄目人間という関係性を捉えて居るのかもしれない。この辺、他の人はどうなのだろう。自分が怒ることは仕方ないという捉え方なのだろうか。

まぁ、なんとなく解きほぐして余白ができたので良かった。

おやすみなさい。

良い夢を。

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