21:26から。
左足の小指の切傷が塞がってきた。鈍くなってきた痛覚でもずきずきしていたのが収まった。痛みも生だし、痛かったところが通常営業に戻るのも生の醍醐味。痛みの全部が退場に向かっている訳でもない。
お仕事。
先輩女子と2人仕事。
ぶちぶち変なことを言っていたが、結論、そんなにダメージは無かった。
これに対して、諸々解釈がある。
1つ。元気バリア。
昨日ご飯会で元気を補充したことによって、免疫が付いたことにより、先輩女子の存在感に侵食されなかった。
2つ。単に忙しくて接触が少なかったため。
割と有力。忙しいと先輩女子の余力が無くなって、目に付く部分が減る。これ、とんと大事。
3つ。世界線が移動した。
ありうる。
事務先生と犬型新人とのグループLINEがあるのだが先輩女子の発言についてふと、「発言に中身が伴ってない言葉はなんとでもできそうです」というフレーズが出てきた。我が言葉ながらなるほどなと思った。酔っぱらってくると、言葉と自分をそんなに連動できなくなってくる。発話ならなおさら。
という感じでご飯会。
満月さんも加えて、両手では足りず口にも加えた華だらけの1対3。
個人的感覚だと女性は未だに苦手だと思っている。なんなら男性も苦手。要はジェンダーの役割観をそのまま踏襲している人が苦手。かといって、変に意識高い系のリベラルの人とか、ヴィーガンとかベジタリアンも苦手。こういう人達って、自分の見解がもっとも大事だもんで(偏見かもしれないが)、外れた人を受け入れずに自分の世界に引き込もうとする。だって、自分が正しいのだから。
どうでも良いけれど、ヴィーガンとかベジタリアンが出てきたのは、最近導入したLUSH製品の説明文がお風呂に入っているときに目に入って、そういう人達に適していますというフレーズがあったから。
なるほど、そういう人達は食べ物だけではなく、見に付けたりスキンケアする製品に対しても気にしないといけないのか。
僕がこういうのは欺瞞としか思わない。
命の定義が動物にしかないのは変じゃ無かろうか。植物だって動かなくても生きているし、植物なら消費しても良いという認識は、自分と近くないからというだけ。要は理屈での区分けではなく感情論だよなって。感情論は当人にとっては大事だけど、引きこんで良い理屈とはできないと思っちゃう。
こういう見解も中身が伴っていないというのは言い過ぎだろうか。
だって、そんなこと言っていたら、人類全部退場すれば完全にエコじゃんという結論に至らないのがおかしい。理屈に合ってないのだが、当人の中では論理的なのかも。
ご飯会で、満月さんが犬型新人に、僕が文章を書いて居ることを暴露してしまった。
満月さん的にはこれだけ仲良くご飯会をしているのだからとっくに開示していると思っていた模様。
たしかに、開示されても問題ないし、開示しても全く問題無かったのだが、僕は自己開示できることを人間関係の定義としていないので、どちらでも良い。問題があるとすれば、犬型新人が僕の日記に辿り着いて、ワンナイトラブのフレーズを読んで変にキモがられないかどうか。たぶん辿り着かないけど。もう物理的にはおっさんなもんで、若い女子にキモがれる可能性は常々想っている。犬型新人もキモいが常套句なもんで、いずれ僕もキモい側に選り分けられるかもしれない。
事務先生に僕が霞を吸っているということを開示したのも気にしていたが、たぶん全然問題ではない。事務先生に文章を書いていることを開示したら読者になる可能性がある。別に事務先生が読んでくれることはありがたやだが、当人の人生劇場において僕の文章を読む時間はあるだろうか。
中身が伴った言葉の話。
満月さん的には、事務先生も犬型新人も僕のお友達という認識。
たしかに、お友達の定義が、プライベートで楽しい時間を過ごせるということであればその通り。何を話すかより、どう楽しいかののほうが大事。
犬型新人に、酔っぱらった流れでちょっと小難しい話をした。
人間とはなんぞやみたいな話だった気がする。若い女子にこんな話をして大丈夫かいなという感じだが、お説教でもない。お説教だったら見解だけど、僕が話しているのは見識でしかなくて、見識は交換も更新もできるという意味合い。
見解で話すのは当人が正しいという前提ありきだから、聞き手としては受け入れるか拒否するかしかない。そういう風に語る人とはきっともう友達になれない。だって、更新可能性が無いんでしょって。
見識だったら、話し手にも余白がありそう。
だって、いくらでも更新できるし、相手の見識と交換できる。
これを踏まえた言葉の価値。
見解で語る言葉を受け入れられる人は、自分で語る言葉にそれほどポリシーが無い。
無意識に委ねているのか権威の傘をさしているのかは知らないけど、結局あんまり自分では生きていない気がする。
人間は社会的な動物だから、孤独に忌避があるのは当たり前だけど、僕は一定の社会性はあると自認しているが、別に孤独の解消の為の人なんていないという認識。承認欲求も枯れてしまったもんで、楽しく関係できるかが大事。
言葉がそのまま現実にできる人ってあんまり居ないし、それが人間のギャップの面白みだと思うけど。そんなにふあふあで生きて居たら、すぐに退場になっちゃうよという感じ。
洗濯物を干さないといけないもんでここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。