22:27から。
感動できない「場」はノーウェルカム。
本日も疲れ果て。もう、精神がくたくた。
お風呂読書しながら考え事をしていたら回復してきたのでこの話は後回し。
ずっと読んできた「アオアシ」というサッカー漫画の最終巻が発売された。
愛媛出身なもんで、土着愛もある。
「ハイキュー!」、「ベイビーステップ」、昔だと「スラムダンク」とか、スポーツ漫画の成長譚が好物。中学生の頃軟式野球部だったもんで、野球部のごりごり体育会系の漫画はあんまり好きでは無く、野球だとまったりあだち充さんが好き。
で、朝出勤前に「アオアシ」の最終巻を電子で買ってざっと読んだところ、特に感動が無かった。別にネタバレは無いのでこれから読もうとしている人も読んでいただいて大丈夫。
仕事から帰ってきて、もう1回じっくり読んだら、視界が変わってちゃんと感動できた。
この漫画のテーマを主人公の成長譚という葦人の世界と捉えると、中盤以降がめちゃ面白い。7巻だっけ? フォワードバリバリでやりたかったのに、守備の駒に回される挫折を経験して成長していく過程。
この延長で読むと、最終巻は葦人の世界としては味気ない。
ただ、作中にある「イーグルアイ」でも無いけれど、作品のテーマももっと俯瞰的に「サッカー業界の育成」と眺めると、作者が描きたかったのは、葦人を主人公にした成長譚では無くて、世界から遅れている日本のサッカー業界の成長みたいなことなんだろうなと。
この視界から見れば、ヒロインとの関わりの結末が割とあっさりしているのも、葦人のその後が描かれないのも納得できるし、なるほどなって思った。
こういう終わり方も1つの結末で感動。
まぁ、だいたいの感動は結末というより過程、というか、何気ない日常にあるような。
というのが、心理的安全が確保された時の僕の感動。
漫画枠で語るんだったら、もっともっとたくさんあるけども、これは漫画オタククラスタで語るべきことだし、僕、そんなに漫画オタクの人とも話合わないんだよな。
情報量で語る会話をあんまりしたくない。
何を考えたかみたいなすっ飛ばしの会話なら好きだけど、人って積み上げてきた自尊心を大事にするから、そんなことより創造的(ちょっとニュアンスが違う気もする)な話をしようかとはならない。
へい。
そうして、戻って来て。
お仕事。
ネガティブしかない。僕はお仕事でも感動できればと主観では想っているのだが、仕事場を支配している店長が、それを許さない。
こんな話書きたくないから、指が動きにくくなってくる。笑
この先書いたところで何の意味も無いもんな。
読んだ人の誰かに影響させるなら、ネガティブじゃなくて、ポジティブな影響の方が良い。
せめてSNS世界で自分の心理的不安と向き合うような文章なんて読んでもらいたくないし。いや、誰かの不幸が蜜の人、は僕の文章に辿りつかないか。
でも書くんだけど。笑
読みたい人は引き続きどうぞ。
本日の店長はご機嫌がよろしくなかったらしく、攻撃的な言葉がいっぱい投げられた。
「何もかもおせーなー」、「お客様と心が通じてない」とか、「なんでしないの?」とか。
心はたしかに痛い。これは、店長と一緒に3年くらい仕事しているのに、僕のこと何1つ理解されていないんだろうなというところ。店長と僕の仕事の仕方は違うし、僕が手抜きしたり仕事をサボっていることは無いのに。僕が昼ご飯タイムをどれだけ省略しているか。そんな奴が、仕事が遅いと言われる。
別に店長の人格はどうでも良い。
僕もこの人の仕事振り一切信用してないもんで。スタッフと心が通じていない人がお客様の心を語るなよと思う。ここで言う「心」は、洗脳、そこまで行かなくても誘導でしかない。
あくまで視点が当人。
僕はそういう仕事をしたくないから色々利益にならない変な時間を使っているけども、そんな店長からすれば無駄時間を使っていても、きちんと毎月一定の売上はやっている。
たしかに、それで、自分が負わなきゃいけない会社からの事務作業みたいなことは後回しにしていて、店長としてはそれを本社に上げないといけないし、スタッフができていないと自分が店長と詰められるから、やらせないといけない。
これが「何もかもおせーなー」の中身。
だとすれば、僕が業務量減らして、ちゃんと従順になるしかないのだが、それをしたら、また他の方向から責められるだけ。
対店長だと、どう立ち回っても攻撃されて四面楚歌になるもんで、どう仕事しても駄目だという認識。協力も助けてもくれない、指示も微妙な上司に、何を話したら良いだろう。
ここで、面白いのが、お風呂読書で読んでいる分類学の本が、何故か心理学を語っていたところ。
曰く、人を口撃する人は、だいたい自己肯定感が低いとのこと。
自分とちゃんと向き合っていないから、他者を問題にする。
そりゃあ、自分を問題にするよりは他者を問題にする方が遥かに楽。
店長はいつ自分に向き合うんだろうな。末期に気付けるかどうか。
という感じにしか聞こえなくなってきた。
たしかに口撃とか怒気ってしんどい。怖いというのとも違って、この人、ちゃんとした人間として関係できないよなという感じ。
なんでこういう風な発話しかできないのかと考えると、当人の人生劇場が可哀そうだなと思ってくる。
分類学の本が語ることではなさそうなのだけど、鬱の人ほど自己認識が精確だとか。
自分のことを正しく認識できる人ほど、世界に生きるのがしんどくなる。
僕は、相対的な自己肯定は全く無いから、店長から「なにもかもおせーな」と言われたときに、反論する気が起こらない。満月さんは、「言っても良い人としてなめられている」から、反論して怒った方が良いというのが、僕としては、反論して何か相手に影響されるのかということを考える。
僕は自分の言葉が影響されなさそうだと思ったら、言葉を閉じる。
店長に歯向かう言葉を発したら、インスタントに何か変わるかもしれないけども、だとして、一緒に仕事したい人では無いから、僕の言葉はうろに吸い込まれるだけ。言葉で変わるんだったら、とっくに変わっている。
自己承認で言えば、相対はスライムみたいな遠慮しぃだけど、絶対的な自分についてはもう向き合ってきたし、動いているから、誰から何を言われようが、心理的不安を煽られたりは無い。
これがいわゆる、自分軸とされるところなのだろうな。
誰から何を言われても、動かされない部分。
影響受けるのが奔放だが、誰に認めらなくても良い自分が存在することが、ちゃんとした自分だと思われる。
僕の文章は、別に僕が相対的に認めらたいが為に書いている訳では無いので。
陰キャのネガティブ傾向の人に影響するかもしれないけども、ネガティブで温め合うところには居たくないし、感動の文章が欲しい。ネガティブでもポジティブでも。
人生の残り時間は有限なのだから、好きなように面白く過ごしたい所存。
となると、店長に対して操作するということもあって良いのか。
落ち度しか指摘しない人は、自分の落ち度を指摘されたらどうなるのだろう、という実験的な意味合い。
いや、面白くないからやらないな。
ここに労力かけるのは自己承認が相対的に必要な人。
どーでもいー。
ただ疲れるだけ。
波乱万丈な絶対的人生観だと、だいたいどんな場でも生きて行けると思っているから、また動けばいいだけの話。
ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。