23;12から。
散歩した1日。
朝。
てんちょーの案件の引き継ぎで会社に電話。
我ながら凄い垂れ流し。てんちょーの案件進めても何にも返って来ないのに。
それでも、したいことを留めると具合が悪くなるからやっている。
場を滞らせるようなことはしたくない。それをやって自分が割を食ってでも。
僕の方が店長の視界だと思う。笑
結局、垂れ流しているところから、返そうとするか、そのまま享受しっぱなしなのかで関係を選ぶしかない。着いて来られない人はぶっちぎる。
引き継ぎの電話の中で、犬型新人がスマホを失くしたと聞いた。
僕も20代の時、やったことあるなーと思いつつ。
YouTubeの怪しげ界隈で、自分の世界に居る人って、全部自分の一部で、過去だったり未来だったり世界線がズレている自分であるという話がある。
犬型新人は、僕の過去っぽくて、やらかしを聞いていて、ちょっと懐かしい気分になる。
一緒に飲み散らかしたお友達と連絡は取れないの?って聞いたら、(普段LINEでやり取りしているから)、連絡取れません、と。
たしかに、LINEの繋がりって楽。
ただ、有事の時に、連絡取れなくなるという意味で、なかなか儚いなと思った。
僕も全部失くしたとき、かろうじて覚えていた母親の携帯電話番号に、公衆電話からかけてなんとかしてもらった記録がある。これが僕の「年末年始、数日ホームレス」という歴史。
だもんで、人のえぐい人生譚、だいたい引かずに聞ける。
LINEの繋がりが薄いとは思わないけど、お互いが「細く短く繋がるツール」ではあると思った。会話とするには現実感が無いし、手紙とするには相手がそんなに文章量を求めていないという。
文章を読む習慣が無いと、文章を読めなくなるのは、個人的な実感としてある。
たぶん、読んでないと書けなくなる、のもある。
別にこのAI時代、そんなに文章力も解読力も要らないけど、世界を解読するというか、鑑賞する為には言語能力がないと拡がらない。
ここで言う言語能力というのは、自己表現ではなくて、描写の話。
自己描写でも、語彙が少ないとそこまでの世界になるのだろうなって。
そういえば、昔、ちょっと関わった女性に、語彙と世界の話をしたらすんげぇ怒られた。
なんだっけ、ハリーポッターの話をしているときに、ダンブルドア先生は物語の構成上、退場するしか無かったよねみたいな話をしたような。映画に没頭したいのに、そう言われると冷めるみたいな感じで怒られたような。
語彙が何の為に要るのかって、別に誰かに言葉の引き出しがいっぱいあるよって自慢することではない。自分の内部を洗いざらいするために語彙がある。
内向きに言葉を扱えない人は、結構終わっている。
そうこうして、夜。
薄着で遊びに行ったもんで、帰り途は風がびゅーびゅーと寒かった。
ただ、この季節。
桜の花びらが、風に舞う。
今年の桜はなかなか長くて夜桜綺麗だし、落ちた花びらも僕の視界を演出してくれる。
体は寒いが、心は暖か。
帰り途で寄った薬局の駐車場のピンクの舞は、至福だった。
これ、イベントじゃないもんで、誰にも共有できなくて申し訳ない、なんて思わない。
誰かに拡散しないと楽しくない世界は、きっと全然楽しくない。
知らんけど。
おやすみなさい。
良い夢を。