人生劇場

22:48から。

ズッキーニ、焼くだけでめちゃくちゃ美味しいな。

コツは切れ目の入れ方だけ。後は旬の素材の味と、クレイジーソルトとほりにしをかけるだけで最強。

さておき。

お仕事という名の、人生劇場論。

僕は、もう自分を内省する時期は終わったみたい。

コンプレックスとか、トラウマとか、他者への気遣いとか、ほんとどうでも良い。

てんちょーは、僕の振る舞いが自分のやり方とは違って冷たいからと、気になって、ぶちぶちと言ってくる。このメール、「感じ悪いよ」みたいな。僕、こういう振る舞いのところで、お客様から文句言われた記憶があんまりない。記憶にあるのは、てんちょーの指示で電話かけて怒られたくらい。

もちろん、忙しくて対応が遅れて怒られるとか、お互いの認識の齟齬のズレで問題になるとかはあったが、てんちょーの教えによってそれが回避された経験則が皆無だもんで、全然信用していない。

信用は細部に宿る。信頼は人間に宿る。

僕はてんちょーのことは、信用も信頼もできない人だと思っている。

ということは、てんちょーが言うところの「誘導」するしか無い人物。

てんちょーは自分が優位だとパワハラ、モラハラ気質だが、こちらが先手を取ってぐいぐいいけば、途端に引く。根暗の気持ちはよく分かる。

誘導するしか無くなったらもはや対等な関係では無い。

そこまでして関係したいのだったら良いと思うが、その関係、どこまでもは続かない気がする。

内省の時期を過ぎてしまうと、降りかかる現象は自分だけの映画みたいなものになる。

映画の定義は、役があって、何か物語を展開する物事が起こって、観ている人に魅せるようなシーンがあるというくらいの意味合い。表現学みたいなところではもっと厳密なだろうけど、あくまで僕の定義。

もう少し分かりやすく言えば、ポジティブであれ、ネガティブであれそういう登場人物は、自分が選んでいるということ。

今の世界、注意なんて何処にでも向けられるのに、あえてそこに注意することを当人の自己が人生のシーンとして選んでいる。

いや、大人になると事情がかさばってきて、ちゃんとフラットに世界を観られないという気分も分かるのだが、その事情こそが、自分が選んで来た脚本だもんで。

本日お客様としてやってきた女の子。

自称、周りの空気を読みまくって大変で、姉の情緒不安定に付き合うのが嫌だから、移動したいとのこと。

諸々とお話しを聞く。

これ、たぶん、この職種の範疇からは外れている。

まぁそれは良いとして、このお客様が言っている言葉、僕が昔振る舞っていた自己のおさらいみたいで、ちょっと面白かった。

当人はしんどいし、過呼吸になって病院沙汰になったらしいから、当人の中では大変だったんだろうなと。

僕は、この話聞いて、別に同情はしない。

いや、どんな話を聞いても、当人ではないから、同情なんておこがましい。

ただ、別にここ、心療内科でもないし、僕はカウンセラーでもないのに、ここまで内側の話を言ってくることに違和感があった。

そのため、あんまり同調するのもよろしくないなと所々相槌しつつ、抑える。

だって、このお客様、自分語りしかしたくないのだろうなって思ったもんで。

嘘はきっとないけど、誇張は絶対ある。

僕のおさらいの価値観だと、ほんとうに溜め込む人は、あかの他人にここまで話さない。

だって、本物なら、全然関係ない他人の顔色も読むから、無駄に自分語りして荷物を負わせることすら気になる、僕がそうだし。

このお客様がにわかかどうかは知らないけど、空気を読んで他人の顔色をうかがう本当の人は、全然関係ない他人すらその対象にするから、他人の方が開示できない説。

もしかしたら、一目で僕になら話せると認識された説もあるが、その認識ができる人だったら、きっと内省は終わっている。笑

気持ちは分かるし、言い分も分かるけど、まだまだ主観の人だから、私が相手の空気を読んでいるというのは拙いと思う。

何を分析しているかというと、お客様ではなく、このお客様の現象を観測した自分事。

だって、人って、自分事しか映画化できない。

ここはなんとなく分かってきた。

もう寝るので、ここまで。

おやすみなさい。

良い夢。

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