22:51から。
職場で定休日が1日増えて、スタッフが充実しているにも関わらず、僕の気力は枯渇した。
まさか、本日からシフトが変わっているとは思わなかった。
なんという告知のギリギリさ。一応本社、株式会社なはずだが、この報知の遅さ、やばいと思う。会社に対するディスりじゃなくて、この方針転換が、どこに向いているかという疑義という意味合い。
スタッフもプライベートの予定が狂うし、お客様に対する予定も調整しないといけない。
こういうの、政治でいうところの構造改革っぽい。
僕は構造を変えていくことに対しては特に何も思わないし、良くなるならそれで良いのだが、今回の構造改革は、本社の方針としては何がなんでも人件費を減らそうという目的が透けて見えて、経営理念とズレていないかなと観えた。
個人的には別に職場の方針が変われば合わせれば良いだけだと思うし、基本5連勤からの二連休になるなら、それに自分を合わすだけ。
ただ、そうなると、5連勤は身体がというより精神がしんどいから、もっと休憩時間を意識する、基本定時にするという店舗運営が必要だなと直感した。
休みが増えると仕事が滞って休みの日でもお仕事せざるを得ないというのは個人の視界。
たしかにこれはその通り。でも、ここに入社当時の顔がいつも灰色になって休日出勤しまっくっていた時よりも店舗の売上は上がっているし、ここはなんとかなるような気がしないでもない。
個人視界だと、なんとかなる。
ただ、店舗運営って個人の世界じゃない。
今まで、2連勤とか3連勤のところが、5連勤が当たり前に変わったら、スタッフのモチベーションがだだ下がりすることに気付かないといけない。休日の日数は変わらなくても配分が変われば、考え方自体を変えないと。
僕が店長だったとしたら、運営が変わってしまった時点で、どうやってスタッフのモチベーションを保つかを考える。僕が5連勤フル残業でもお仕事できたとしても、それをスタッフができるかは全然違う。
この帰結が、さっき書いた、基本定時にするとか、スタッフの休憩時間を確保することでモチベーションを保つという、店舗運営者だったら当たり前に思いつくことなのだが、我が店舗のてんちょー、運営が変わっても何にも変化しない。
正直に言うと、こいつ馬鹿じゃないかって思っている。
お客様に受け身になるなっていつも言うんだが、お前、世界に対して受け身になっているやないかって。運営が変わっても自分を変えようとしないって、自分に言いなりになっとるやないかって。
スタッフのモチベーションなんてどうでも良いのだって思っているとしたら店舗責任者の資格が無いし、できないんだったら、責任者面をまずやめろ。
そう、この人、スタッフのモチベーションを上げられないし、スタッフの問題を解決できない。お客様にはやっているのに、できないってことは、これは仕事としていないのか、やる気がないのかのどちらか。
お客様にやっていることをスタッフにもできれば、もうちょっと店舗運営が良くなると思うのだが、なんか地が出ている。てんちょーの地は、ごめんけど、すんげぇ汚らしい。
何が汚らしいかって、言葉遣い。
話している言葉がもう、自分しか居ない。
自分しか居ない癖に、自分のしていないことをスタッフの当たり前やるべきみたいな、投影を投げて来る。
こういう言葉遣いをする人って、当人の中の人格的なゴミ掃除をしないまま経年しちゃっているんだろうなって。相手が悪いんじゃないんだわ、貴方が自分を処理しきれてないんだわって、っていう言葉遣いを汚らしく感じる。
この、言葉と人格の乖離ってなんだろう。
って、考えていたら、「人はなぜ言葉を話すのか」という本がちょっとヒントをくれた。
「人類が言葉を開発したのは嘘をつくためだ」との説。
いや、これ、割とその通りだと思った。
「嘘」という概念は、ちょっと否定的だけど、もうちょっと分析すると、そんなに悪いことでは無い。
「今」でもないし「ここ」でもないことを語ることは、生物としてはオーバースペック。
でも、人間はそれを言葉として認識できる。
たぶん、言葉の原初の「嘘」って神話とかの物語なのではと思っている。
たしかに嘘だけど、こういうフィクションによって、その場に居る人達の認識が繋がったんだろうなって。
この先は宗教だし、科学でもあるし。
こういう意味で、常に言葉は嘘を孕んでいる。
言葉によって自分を紹介できると思っている人もだいたい嘘つき。
嘘で繋がっているのだから、言葉なんて、いくらでも誇張できる。
ここで言う嘘は、可能性という意味合い。
言葉で言えることは、現実化できること。
僕は身の丈でしか言葉を扱っていない感じ。
やったことしか言わないし、やってくれたことしか言わない。
ここまで。
おやすみなさい。