構成要素

ちょっとだけ早めに起きて、朝ごはんにゆかり飯。春眠で眠りが浅いからか、お腹があいている。ほんとは納豆が食べたかったがゆかりで問題ない。あとはお水とカフェオレと煙を摂取。

出勤。

そろそろかなと思い、ピンクの絨毯の様子を探りに行く。ぽつぽつレンゲの花が咲いている。まだ絨毯には遠いが、この時期の花の様相の移ろいは刹那だから一週間後には予想を越えているに違いない。よくよく見ればどんな季節でも変化はあるのだが、これだけ見えやすいのはこの季節がトップだろうな。

仕事。

調子が良かった。ただ、調子が良過ぎると越境していないかということが気になりがち。なんとでもなるような気もするが、これを後続者が見倣ってもいけない気がする。傍目てきとーだが、仕事においてはきちんと理由も目的もあるし、朧気な記憶には頼っていない。仕事こそ毎日変化だらけだよな。多人数が過ごしているのだから。人と過ごしていて変化がないと見えるのはほとんど目を閉じている以外に原因が分からない。そういう風に過ごすべきという空気的な世界観が馴染んでいるのも分かるのだが。

そういえば、ほんとに開催されるか定かでない送別会には先生は来ない模様。その日は誕生日で実家に突撃して祝ってもらうらしい。いいこっちゃ。送別会で満月さんの事務情報を語るシーンを想定していて、文学部の大学院でシュールレアリスムを研究していたという情報が通じそうなのが先生だけだったからちと残念。おそらく一生深めの話をする機会はないが、人生劇場においてはままあることだから、いちいちかかずらっていても仕方がない。

送別会があるとすれば楽しい感じで飲もう。僕は人数が少なければ少ないほど人格が開く(だからタイマン飲みが最上)傾向にあるから、年下上司と同期と3人だったら、これはこれで色々話しそう。すなわち、なんだって楽しめる。

仕事といえば、満月さん情報なのだが、ちょうど一年前の日記で、来年はこの仕事をしている気がしないと書いていたそうな。たしかに書いた気がする。そうして、それが現実になっているのだから、我が身ながら大局的な予感の制度が凄い。経験則の統計的な理由が全くない無根拠だから、なんでそう感じたのかと聞かれても分かりませんとしか言語化しようがないところ。これって思慮深さが言語的な根拠を前提としている人かすれば考え無しに見える。妄想とかの非現実的な領域。頭でっかちだと評価されることとは対極なのだが、どちらでもあるという不思議。でも、人って根本的に矛盾しているように想えるし、そんなものだし、別に矛盾を統一化する必要もない。

ご飯の話。

今度の学問は栄養学だなという感じ。1つの人格には注視する分野が絞られるという読書傾向から自由になって、次は何を読もうかとなれるのが楽しい。

栄養学への食指は、今後食生活も一緒に過ごす満月さんのこともあって、一般的に把握しとこうかなという言語的理由は付けられそうだが、実際は微妙に違う気もする。一般的な書店で立ち読みすると、この栄養素はこういう作用があってその栄養素はこういう食材に多めに含まれていますよという感じ。なんというか、栄養を使う方向に向いている。これだったら、検索能力さえあれば無料のネット記事で読めるような気がして買う気にならなかった。

ちょっと脱線して、無料の話。

世の中のただは別にボランティアではなくて、どんな物事でもCMの代替だったり、変な義務感を無意識に押し付けるものだったり、ちゃんと収支が付くようになっている。ただほど高いものはないっていう慣用句がそれを示す。対価があれば注意するけど、ただだと無警戒になって報恩しなければみたいなことになる。日本人に特質的な傾向なのかもしれない。

はい、戻って来て。

僕が読みたいのは、もっと学問的な栄養学。きっとよく分からない科学式が出てきたり、専門用語が出てきたりするのだろうが、どういう風にその栄養が発見されてどういう風に肉体を構成しているのかというメカニズムが語られている本を求む。実用的な本って実用的にほとんど役に立たないというか、ピンポイントの具体的な現実にしか当てはまらないから、もっと仕組みを重視している本。これって管理栄養士の国家試験のテキストでもなさそうな気がする。どういう学部がやっているのだろうな。Googlescalarさんに明日聞いてみよう。

立ち読みしていて、興味深いと思ったところ。

納豆が健康に良いと聞いて、毎日食べていたら脳の血管が詰まったという話。食べ物は薬ではないという警鐘の為に持ち出されたエピソードなのだが、ちまたの情報って割とそういう風に語っているよなって。営業ではないから法律の誇張表現には引っかからないけど、本当にその食材にその効用があるかどうかはブラックボックスでしかない。

なにせ、自分の体って自己そのものなのにどういう風に形成されているかは意識でどうこうできないし。それなのに、意識的に摂取した物でどうにかなるって考えるのは西洋医学からの流用なのだろうか。

薬は病状を治しているのではなくて、あくまで症状を緩和するだけ。常備するようなものではない。食材は治すのではなくて、体が再構築する中で次がやや良くなるというだけで、今までの不摂生がチャラになる訳でもない。正常なんて一生特になくて、体の不調が意識まで登ってこないかどうかくらいな意味合いなような。

と、社会のタブーの飲酒喫煙をしこたま毎日やっている奴が健康論を語る。

人間は別に栄養素だけを食べて生きている訳でもないし、食べることの嬉しさという娯楽も食べている。でなければファーストフードジャンク産業は起こらないし。

問題なのは、栄養価とかカロリーよりも、それを後ろめたいと思うかどうかのストレス値だと思う。万病の根源、ストレス過多。ストレスがなければ、特に体に防衛反応が起こらないような。全然知らないけど、防衛反応があるからこそ蓄えるのだと思われる。

やれやれ。

人って肉体とか事実情報に限定した自分しか他人から見られないから不自由だ。ここを解除すると、現実的な集まりから離れてしまうことになるから囚われる。

1Q84はそういう話なのではという感じ。

既定された自己は世界がずれるとそうでもなかったみたいな。天悟君は年上の既婚者と週一のまぐわいで恙ない性生活を送っているけどこれって別に居なくなってもちょっと悲しいだけ。その悲しさは天悟くんだけのものだが、切り替えて自分の人生劇場を生きていけるほどには絶望しないはず。

かといって、人がほんとの意味で大事ではないのかというと全然別の話。

特に自分の世界線をずらさなかった登場人物だって劇場の参加であって、捨てるのは勿体ない。人は劇場を通り過ぎるものだという観を学習したのがノルウェイの森からだが、現実に通り過ぎたとしても、跡は残っているのだから、その痕跡は当人だけのもの。痕跡をないがしろにするのか、だいじにするのかは自由だが、ないがしろにする人と接して居ると、きっと自分もないがしろになるよなという未来予想図が描ける。ずっといまで居られる保証もないし。隕石が落ちてきて退場する可能性もある。

はい、ここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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