ほたてがぷりぷりしている21:32から。
お仕事。
人はそんなに連勤できるように創られていない。
なかなか忙しかった。忙殺されていても自分に同情することはないのだが、人への同情みたいな波があるしく、ややこしい事情を抱えたお客様によく当たるようになるらしい。
別に、ここに対して芯(しん)に心を痛めているということでもない。
調子の悪さは視野の狭さに連動(れんどう)していて、変に臨場感(りんじょうかん)があるというだけ。これによって僕がボランティア活動に従事(じゅうじ)するようなことはない。なんとなく境界線で生きているからやじろべぇ的に観測(かんそく)される世界が変わるだけで、
ただこういう事象を眺(なが)めていて考察(こうさつ)するに、国家の構造的(こうぞうてき)不具合(ふぐあい)が浮き彫(ぼ)りになるなと。別にもっとアウトローの人を掬(すく)えみたいな理想論ではなく、お金を補助しただけでは生活を保護することにはならないよなという縦割(たてわ)り行政の不具合の話。衣食住は最低限保障してこその「健康で文化的な生活」なのでは。
(財布に穴が空いている僕が言う)
悪用されるから良くないみたいな風潮(ふうちょう)は悪用を防ぐコストをかければ良いだけであって、実際は「働かざる者食うべからず」の空気感の話なような気もする。昔で言うところの「年貢(ねんぐ)」をこちとら上納(じょうのう)しているのに、上納しない人がのうのうと暮らしているのがけしからんみたいな。
自由はきちんと社会的に生きられる人だけが享受(きょうじゅ)できるべき。
これって別に行政だけではなく、色んな業界というか資本主義社会そのものが縦割りだし、家族観も縦割りだから、国だけに文句を言う筋合いもないという。
縦割りのメリットは、そこだけ観測したら良いとか大事にすれば良くてその他の縦のことは分かりませんと言えるところ。あと、利益の分配をしなくて良いのだろうな。
こういう意味で言うと僕は共産主義的な世界観に近いのだろうな。ただ、皆が同じく評価されたり対価があるという均(なら)しではなく、もっと壁の外と情報交換した方がより良い世界にならないかというだけの話。その上で貢献度が高い人の報酬(ほうしゅう)は高くて良いし、こういう世界だったら政治家の報酬はめちゃくちゃ高くて然るべく。店長は調整が大変。
情報交換すると企業が成り立たないというのは資本主義の話だが、個人的に知的財産法(ちてきざいさんほう)が何を保護しているかがあまり分からない。いや、専門書も読んだことがあるし、情報を財産とする理念も分かる。おそらくあくどい人が情報を先に使って利益を得るみたいな事象があったから守らねばという事態になったというストーリー。
ただ、ノーベル賞をとった科学者さん(山中さんだったか)の報酬が全然無かったというニュースが一瞬流れてきたことがあるという記憶なのだが、捏造(ねつぞう)かもしれない。
漫画家とかゲームクリエーターで企業に勤めている人の固有の特許とか著作権って全然守られていないような。個人の才能は全然守られていないと読み取られるのが、知的財産権の変なところ。もちろん特許関係だったら設備を提供した費用は差し引きされるだろうけども、著作権だと、仲介した出版社は設備投資した訳ではなく、環境を提供しただけ。いや、環境は大事だが、いまや表現物はネットで公にできる時代だからブランドバリューくらいなもの。
なんかちょっとずれだが、知的財産関係は世界の発展を阻害しているなぁと思うだけ。
僕が仮に小説を書くようなことがあっても、特に出版社に応募することはなかろうな。文章においてアドバイザーを特に求めていないし。
世界はもっと協力しないとこれ以上の発展は無いように思うのだが、いつまでもこのままなのだろうか。もうちょっと横割りになるべきなのでは。
満月さんとの世界は、発展している。
ただ、ちょっといざこざがあった。
昨日の日記の「一般論としては好きかというと微妙」という文言がどうやらいけなかったらしい。あの文章、個人的には滅茶苦茶愛が溢れているし、スキをしてくれた人もこの愛の部分を読んだのだろうなと思っている(思ってない)。
あの文章って、この文言をどうあっても否定的に表現していないと思う。物として選択肢にする俎上に満月さんの存在を置いていないという結論になっていたはず。
このタイミングで読解力が賢さだという記事を読んで、なるほどと思う。
最強の読解力を得る本7選はちょっとしか掠って無かった。細谷さんの本は面白いと思う。
もちろん、僕の表現力不足ということもあるのだが、対満月さんだとしても解説をする気はあんまりない。いや、発話では無く文字で申告(しんこく)されたらワンチャンあるかも。
好きなように読んでいる人が5人もスキしているであれば、重畳(ちょうじょう)。
もう少し世界を掘り下げた話しをしたいのだが大丈夫だろうか。
僕が動機→現実的行動という方向性をあんまり信じていないから、動機としての内側の話は全然信じていない。動機のことがどれだけ語られたとしても、それが現実になって以上、社会しての共通項にはならない。
かといって、動機は人間の原動力であるということもたしかだか、実際に現実を動かす原動力にもならない(自己経験則)。
この変な感じを整理(せいり)すると、動機は認識に言い換えることができるのだろうなという読み替えありうる。
あらゆる認識の中で、現実的に動いたことの結果から逆算してそれを動機だとする未來への認識なのだろうなと。
この文言、我ながら哲学的過ぎると思うが、僕は動機によって未来の行動がコントロールされるという認識で生きていないからこうなる。世の中においての悪いことはそんなにしない。
(健康として悪いとされていることはいっぱいやっているが風邪知らず)
人の人生劇場を転換させるのは動機ではなく、認識の更新だという説。
認識しているのにやったという故意は、どうしようもない。これを挽回(ばんかい)することは、無理筋。
それでも世界が救ってくれるという世界観は都合が良すぎる。
この世界観で言えば、浮気をする人はアウト。浮気の定義も人それそれだが、個人的にはあんまり気にしていない。浮気されても好きで居られるのが、一般的な好きの定義。自分がその人を欲しているもんで、相手から欲されてなくても好きで居られる。
いや、これって別に一般的で無いのか。
この下りで現実的にプロポーズしてみたら、なんとなく了承された今。
幸せなキスをしてというより、この後の方が問題、お母様はもっと実家近くで生きて欲しいという話だし、それはそれであって良い世界線。今の店舗の人より、現実的に大事なのはどこかという世界。
僕は血筋としての実家に拠り付けなかったのだが、いまやそんなに否定的対象としてこっちの家族も捉えて居ない。自分を守るために必死だったのだろうなと。
トータル、そんなに調子が悪いわけではないのだろうなというお話、
本当に調子が悪かったら憤怒氏(読み方自由)氏がやってきて自分をもっと守れとクレームを上げてくる。憤怒氏は世界の理不尽ではなく、自分が大事にされていないときに自分を守れと怒ってくる気分。
本日の文章はどれだけ読解力があっても読み取れない、
おやすみなさい。
良い夢を。