21:59から。
本日は1人。満月さんが実家に帰って運転ができないタイプの眼科の検診を受けるとのこと。お弁当に美味しいおにぎらずとスープを作ってくれて出発し、何かご飯屋さんで夜ご飯を食べた模様。
こちらは昨日の残っていた満月さん印の餃子のタネをマーボー春雨にアレンジしたものと、スーパーの半額1人用お刺身と、ベビーリーフで夜ご飯。マーボー春雨は食べきれないから明日食べてもらおう。あまり辛みはなくうまみがある。
明日もたぶん朝ごはん無しで昼ご飯を食べられる状況だから、満月さんの生活習慣を引き継いで、おにぎりとスープを作ろうかという気分。もともと朝はぎりぎりに起きていた。8:20に起きて9:00に出発。煙草を吸って、シャツにアイロンをかけて顔を洗って髭(ひげ)を剃(そ)って髪(かみ)を整えて出発するだけ。今やだいたい8時には身体を起こして、朝支度(あさじたく)をしながらおにぎりを作ってくれている満月さんを眺めている。
本日は、満月さんもシャツを使うということで、2枚アイロンがけ。あと洗濯物も干したっけ。調子が悪いときにいつもやっていないタスクが入ると、変に強迫観念(きょうはくかんねん)が起こる。昨日もシャツを使うと急に話が持ち上がって2枚アイロンがけをしたのだが、かけた後コンセントを抜いてないのではないかということが気になって、仕事中に合間を縫(ぬ)って確認に帰った。
もちろん抜いてある。映像として記憶に残っていたし。調子が良いときはきちんとしていて悪いときは抜けているのではなく、良いときも悪いときもきちんと残っているけれど、頭の中にある映像記録が信じられるかどうかの違い。だから本当はコンセントを抜くだけでなく、物理的にコンセントが差さらない距離のところに片付けるのが良い。
まぁ強迫観念が持ち上がってきたとしても特にヒステリックになる訳でもない。不安により元気が無いように見えるくらいか。本日は満月さんが察してくれて、コンセントを抜いたタイミングで「抜いたよ」と声をかけてくれた。本日はもう2回目だから大丈夫だったのだが、気遣いがありがたい。
相性(あいしょう)の話。
この人と話していて、特に不具合(ふぐあい)が無いということと接客(せっきゃく)のタブーについて。
憤(いきどお)りとか不安とかの下りは共感できないからちょっと満月さんのからすれば不具合があるのかもしれないが、これはともかく、普通に話をするとき、お互いが相手の話を聞いているという意味の無駄なオウム返しの言葉が無くて済む。なんというか話の進みが滞(とどこお)りないってなかなかないかもなと。
お互いがお互いの話がどうでも良くて自分がする話しか興味(きょうみ)ない場合にも起こりうる現象だが、これだと投げっぱなしでキャッチボールにならないから、どちらかが妥協(だきょう)して拾ってあげないと話が堂々巡りになる。
僕は結構話しをするならちゃんと動きたい質。なるほど、だから聞き役に徹(てっ)することが多いのか。僕が話しても話が進まないとき、相手の話を進めるためにはきちんと相手のボールをキャッチするしかない。
相槌(あいづち)が下手というか、話を進めたいもんで、相手の言葉を言い換(か)えてしまう節がある。「要するに」みたいな言い回しは使わないけども、全く同じ言葉だったら話が進んでいないじゃんという無意識があるのか知らないが、ちょっと抽象的に言い換えてしまう癖(くせ)がある。
これって接客業界だとかなりのタブー。前職も現職でもオウム返しすると相手の自分の気持ちを受け止めてくれるという心理効果があるらしい。僕は僕の言葉をそのままオウム返しされたら対話している気にならない。気持ちの話ではなくて、話を進めようよって思ってしまう。だって、オウム返しして欲しいのだったら今のAIで対応可能だし、そういうことももって対話できる相手だと認識(にんしき)できる人って、変な話相手のことを人と認識していないという訝(いぶか)りが生まれる。
満月さんが、小泉構文(こうぶん)が嫌いなのは、言葉によってどこに進んで居ないからだと評していた。言葉ってどこかに進む為に扱われるもの。詩も小説も書いている作家の含蓄(がんちく)。これを踏まえるとオウム返しって共同の小泉構文なのではないかという気がする。
言い過ぎた。
でも、こういうスキルは意識して使わないと扱えないから、仕事モードとしてやらないと。
話を進める前に、気持ちとして一緒に立ち止まるという意味では小泉構文も有用。
そういえば、大学時代の友人とこの前再会からか、世界線がちょっとずれて、他の当時の人からも連絡がやってきた。再会した友人は特に何も言わなかったらしいのだが、何か雰囲気(ふんいき)が伝播(でんぱ)したのかも。別にどっちでも良い。
昔の縁を掘り返す気分は無いけれど、世界線として交わる人を精査(せいさ)というか断捨離(だんしゃり)した上でやってきたら、ちゃんと関わらないと。
ここでどうでも良い話を挿入(そうにゅう)。
僕はLINE世代とちょっと前のメール世代の合間なのだが、LINEの速度感に着いていけない。別にLINEが来たら返すとかできるし、満月さんとの連絡はLINEだし。
ただ、気が向いたら返すということがあんまりできない質。気が向いたらという保留は行動していない保留だから、放って置いても脳の容量(ようりょう)が配分(はいぶん)される。これが嫌だからぽんぽん回る速度感に合わせられなかったのだろうなと。
この速度感が速いのか遅いのかというと、昔ここに参加していた僕は速いというという体感だったのだが、もうほとんど参加していない僕は遅いと体感している。
これはどっちが良いとかではなく、速度が体感としての相対的(そうたいてき)なものでしかないということ。
他にすることがなければLINEで交信することもやぶさかでないけれど、時間がつまっている世界に生きているから、手紙くらいの速度でしか返していない。ほんとに喫緊(きっきん)の速度感だったら、直に逢うとか電話するとか他にも手段がある訳で。
言葉はどうあっても遅い媒体(ばいたい)。
まだ色々あるのだが、何処を書こう。
noteでスキをしてくれた人を読みに行ってスキ返しをしたのだが、そこに出て来たメッセージで「フォローしてくれたら会いに行きます」とのこと。ほんとにその気があるのなら逢ってみたいところだが、どうなのだろう。僕はネットと現実をあまり別世界だと思っていないので。
速度感といえば、文章界の更新頻度だが、別に文章界に存在を継続(けいぞく)したいがために書き続けている訳でもなく、動きのスケッチくらいでしかない。いや、楽しく生きるためには自己分析(ぶんせき)を公にするということも必要だからやっているだけ。
そういえば、恋愛論として、「好き」と「一緒に居て楽しい」って結構分離しているような。
僕は満月さんと過ごしていて楽しいのだが、一般論として好きなのかと問われると微妙な気がする。「好き」ってかけがえのない人みたいな認識だけど、自分なり相手が欠けたら自分と相手の存在が成り立たないみたいな演劇的感情は無い。満月さんが居なくなったら独り身で一生過ごすかもなという感じではあるが、かといって独りが淋しいともきっと思わないし。
好きだから楽しいのか、楽しいから好きなのかは双方向だけども、好きだからという理由で楽しくない人と一緒に過ごすのは悪手なのだろうなと思う。
物件選びもマッチングアプリでパートナーを選ぶのも結構近いところにあるのがなかなか感慨深(かんがいぶか)い。人も物。
お仕事で、なかなか悩んでいる描写があったと思うが、ここも人をモノ扱いすると解決しそうだなということがやんわりと分かってきた。どうでも良いと思うわけではなく、ちゃんと世界線を操縦(そうじゅう)してあげること。
物に価値があるという認識は誰にでもあると思うが、人もだいたい物扱いなのだろうなと。
別に悪い意味では無いけれど、価値って時間的に固定化された瞬間だから、あんまり動きが無いのだが、きっとそれが良いのだと思う。
人が雨を嫌いがちなのもこういうところなのかな。
固定化されていないから。
本日の雨は結構ルーティンを崩してくれた。雨合羽(あまがっぱ)を用意しないといけなかったし、タスクが増える。シャツのアイロンがけと比べるとそれほど理不尽(りふじん)ではないのは、意志ではなく自然だからだが、自然も意志と思ってイライラする人も多い。
いや、別にシャツのアイロンがけも理不尽だとは思わなかった。
何も家事をしないパートナーだったら理不尽の前に合理的ではないという印象が起こるのだが、満月さんは随分と自分しか居ない世界線ではなくなっている。(実家では甘えて何もしないらしい)
雨の懸念(けねん)は、明後日行く梅まつりの梅の花が散ってしまっているかどうか。
別に散ってしまっていても個人的には良いのだが、同居人が散った梅の木を見ても意味無いだろうと言いそう。咲く前の梅の木を見に行っても目的が達成できないから行かないと言われて来たし。
まぁ、こんなこんな感じで楽しく生きております。
おやすみなさい。
良い夢を。