22;18から。
お仕事と休日のブレンディの日。なんだかんだ楽しや。
昨日飲み放題でしこたま飲んだのだが、仕事日と同じくらいの時間に体を起こして満月さんが使うシャツにアイロンをかける。
「硯さんはアイロンがけが上手い」と褒めてくれるのが良い。褒めたりありがたがったりしてくれる人に対しては動き易くなる。個人的な思想として人間誰しも天邪鬼(あまのじゃく)の要素(ようそ)を持っているから、当たり前だとされると、相手が云々ではなくて自分の中でブレーキがかかる。「やろうと思っていたのに先に言われたからやる気が無くなった」みたいなありがちな話は、相手のせいみたいになっているけども、本当はやっていない自分を責めているブレーキなのだろうなと。相手から、もらう褒めたりありがたがったりは、ここにおける潤滑油(じゅんかつゆ)になる。
まぁ、言われないとやらない人が自分だったら言われて動いて然(しか)るべく。
そういえば満月さんをそろそろ改名しようかなと思っている。
というのも、この名称、僕が彼女の相貌(そうぼう)も含めた印象(いんしょう)で名付けたとされているもんで、言霊(ことだま)としてあまり良くないかなと。
とりあえず、文章上はりりぃさんに代えようかなという次第。
語源(ごげん)を語ると本名にたどり着けるのでぼやかす。
さておき。
お仕事。
マジで何が抜けているか、何をしないといけないのかが掌握(しょうあく)できていなくて、ほんとに大丈夫かという感じ。不安でしょうがないはずなのに、楽しみでしょうがないに変換されているのは、不安と楽しみは対義(たいぎ)の概念(がいねん)ではなく、当人の見え方という景色をどう解釈(かいしゃく)するかでしかないのだろうなという次第。
5時間ほどお仕事をした。15時ごろりりぃさんと合流。休日タイム。
マクドナルドのドライブスルーでダブルチーズバーガーとポテトで昼食。久々に食べると美味しい。ただ、ダブルチーズバーガーってこんなに小さかったっけ?
その後(ご)りりぃさんのお仕事待ちで20分くらい。
「葬送のフリーレン」を読んでいた。作者がどこまで考えるのかは定かではないけれど、相互理解をテーマとしているのだろうなと読むと、今の個人主義の世界をファンタジーとして移し直した感じがあって面白い。マハトの下りは、サイコパスに引き直せそう。
あんまり書くと読んでいる人にしか通じなくなるから省略。
りりぃさんがお仕事を終えて、そこからしまむらへ。
シロとベージュの間くらいのボトムズとベージュの靴と、白く小さなクジラの柄の青っぽいシャツと茶系のベルトを買って、仕事の装いから着替えて見た目も休日になった。
装いは気分を提供するという意味で、「衣」の効果(こうか)はプライスレスなのかもしれない。
さらに、コーヒー屋さんに行く。
そんなに賑(にぎ)わっては居なかったのだが、まさにそういうところに居そうな服を着たカップルが1組。若干不愛想(ぶあいそう)で鼻が高い、コーヒー淹れるのが好きそうな店長さんが美味しいコーヒーを提供してくれた。「月影」というオリジナルブレンドが濃ゆくてお好み。ブラックコーヒーと良く合うチーズケーキも。
美味しいコーヒーはカフェインの興奮作用ではなく「余白」を提供してくれるからプライスレス。この余白はお金と対価関係にないという意味で。
新入社員の歓迎会に行くりりぃさんと解散し、センスが合う担当さんの最後の髪切りに行く。今の部屋と次の部屋の話で盛り上がる。話しを聞いているだけで管理会社が分かってしまうのは、なかなかの専門家になってしまった。
なかなか名残(なごり)惜しかったが仕方ない。来月からは違う人になるから、合わなければ次のお店を探す旅に出ないといけない。
今、書いているのつまみ食いをしたりりぃさんが、「満月さん」という呼称の方が良いと要望してきた。じゃあ満月さんで良いか。
そうして、美容院が終わって運否天賦(うんぷてんぷ)の遊びに行くか帰るかという分岐(ぶんき)が起こる。前者より後者の方が面白そうなもんで、スーパーとブックオフに寄って食材を購入して帰宅。
満月さんは歓迎会でご飯を食べてくるという話だったから、自分用に安い豚肉とかわさび菜とかえのきを買っててきとーに作った。名前が付いている料理には練度がないが名前が付かないてきとー料理には一日の長がある。ご飯はバランス。
ブックオフの方では、一周回って、仕事に使えそうな本を390円まで棚で3冊買った。
啓発本っぽいものもあったのだが、こういうのって従うのではなく、自分と調整してブレンドするもの。
ラインナップは、「営業の1流、2流、3流」と、「住まい大全」と、「心理学」。
営業の話は、どうせ営業をやっているのだからできるところまでという感じ。自分のやり方で良いとは一生ならないから試行錯誤の食材として。これ通りにやったら営業成績があがるなんて信仰(しんこう)はない。「住まい大全」でも住居ってお弁当箱ようなものだと書かかれていて、食べ合わせが良い。ドアの開き方によって動線が変わってきて、それが上手く行っていない家だと、イラっとするみたいな。
こういう住居の心地良さの感覚は産業心理学とか人間工学の領域(りょういき)と想像する。
この辺りもそろそろ読まないとなぁ。
心理学もこれと繋がっている。心理学の分析は他人を測るものさしではなくて自己分析に向けるものだろうなという認識(にんしき)。自分が認識できていないことは世界として認識できないから、外から来た眼鏡で見えるのは景色だけで、人の中身は見えない。
もう少しお仕事の話、
営業は、相手と対等に接して相手が自分のファンになるようにするという話があった。
僕は自然とまぁまぁそういう質だからもっと自分を出して行けば良いのだなというレール。
これってもうちょっと穿(うが)つと、情報が飽和(ほうわ)している現在において、正しいことを選ぶということは不可能だから、信頼できる人の判断に流されたいということなのだろうなって。
僕は結構人に流される質だったのだが、信頼できるからではなく、たまたま生活圏(せいかつけん)に居る人だったから。正しいからではなく、そういうものなのだろうなという感じで動いていた。この期間、無茶苦茶(むちゃくちゃ)記憶が曖昧(あいまい)。
自分で生きて居ないから。
あくまで自分が判断するものだという世界観になれたのは、この禍(か)に合わせて居るのかは知らないが、ちょうど人間関係を断捨離(だんしゃり)して、自己判断だけ生きることを決めて解放(かいほう)されたから。
結果的に一回もワクチン打たずに、一回も罹患していないのはたまたまだけど、個人的には予防接種はプラシーボでしかなかったのだろうなという見解。むしろ弊害(へいがい)だらけなのでないかと想像しているけども、専門のお医者さんが推奨(すいしょう)していた以上、医学的には何か理由があったのだろうなとは思う。
営業の話に戻るけども、決めされられたのではなく、自分が決めたのだという納得が大事という話があって、たしかに僕はそういう感じ。最終的な判断を他責にしてしまうと、文句が出てくる。やろうと思っていたのにやらされたと類似(るいじ)。
ファンにさせるという話。
自分の文章で営業はしていない。
この文章に市場価値があるとは思っていないし、価値市場で勝負するつもりがないから奔放(ほんぽう)に書いている。自分に価値を置かれたいのであれば、もっと書き方を変えているはず。
にも拘わらず読んでくれている人って僕のファンなのかという説が起こる。
特に有用なプレゼント情報を提供しているコンテンツではないし。
僕は勝手にファンだから、なんなら物理的に逢ってみたいと思っている人が何人か。
生活圏外で、何の利益も返って来な無い人に逢うなんて意義が無いのだが、僕は変人だからそういう世界線があっても良いなと思います。
あとがき。
使える物は全部遣うというお仕事感覚だと、髪をセットするのも朝の身繕いにセットした方が良いのかもなと思う。それくらい時間をかけてくれたのだというのが客観的に観測でる訳で。
女性の化粧もそういうものじゃない?
自分の為のなのか、観測される為なのかは微妙なところ。
装備のお話。
おやすみなさい。
良い夢を。