人と人

22:49から。

物理的に疲労が溜まっていて、判断力と注意力が鈍っていると思われる。

ここを越えれば日常が楽になるとは思うのだが、ほんとに乗り切れるのだろうか。なんとかリカバリーができる領域(りょういき)での抜けで収まっているが、どこに落とし穴があるか見えない。疲労が溜まってなければ落とし穴もまぁまぁ楽しめるのだが。

いや、むしろこういう極限状態の方が楽しいのか。

余白が無い楽しさ。

しんどいとは思っていないから大丈夫。

ただ、自分の心身が持つのかというところと、迷惑かけちゃう事態(じたい)が生じるのではないかという観測(かんそく)。

一刻も早く布団に入って寝落ちすることと、もやもやを言語と搔(か)き出して寝た方がすっきりするのではという選択肢(せんたくし)があって、後者を選んでここがある。

これも判断力が鈍っている説もあるが、ほんとに気分が落ちていたら日記を書く時間を確保(かくほ)できないから、まだまだいける。この世界は自分が選んでいる訳で。

さておき。

本日はコンビニご飯。

ネギ塩鶏とレンチン豚しゃぶ(野菜たっぷり)とサラダ。意識的にはチキン南蛮(なんばん)とかのがっつり系を選びたかったのだがたまたまそういうのがなくて、このラインナップになった。消化にも体力使うからちょうど良かった。

だったらアルコールを分解(ぶんかい)する肝臓へのエネルギー供給(きょうきゅう)でも疲れるのではという感じだが、閾値(いきち)を越えない限り疲れないし寝不足にもならない。

アルコールを分解するのは肝臓だけではなく楽しさ(プラシーボ)もあるような。

どれだけ楽しく食べても炭水化物は体に残って排出しないといけない。残った分は体の構成物質(こうせいぶっしつ)になる。

我ながら訳わからん。

プラシーボは強いなぁという感じ。

お仕事。

おそらく新人の域ではないという話は何回か書いた気がするが、マルチタスクが過ぎる。

どこを外したら駄目なのかが分からないままやっている感じがあって、ほんとふわふわする。人に迷惑をかけたら退場したくなる性分の僕がやるタスクではないと思っていたのだが、ここがほんと鍛えられるお仕事。

餅つ凭れつ(ぜったい当てている漢字が違うもちつもたれつ)だから、しょうがないよなって。まだ売上の1軸になるような時期ではないような気がするのだが、なんだかんだ一軸を担ってしまっている。店長は昔の自分を見ているようだと常々言っているけども、店長はわが社に転職する前にも営業してきた人であって、営業の基礎みたいなものは経験則としてある訳で、僕のように営業初体験で中途入社ではない。

これは別に文句ではない。念のため。

営業は楽しい。その後の知識がものを言う事務パートが五里霧中(ごりむちゅう)なだけ。ほんとうは知識を積みながら営業パートに慣れていく道筋が正道な気がするが、営業は知識が足りなくてもできるよねという認識(にんしき)。

営業だけではなく全世界に通じることだが、完璧な知識って存在しないからあくまで暫定だけど、その中でも正しさを提供しないといけないことがある。自分のことだって経年(けいねん)したら状況が変わっていくのに、とりあえずの今の自分が正しい自分として世界に情報提供しなきゃならない。

あと、人が行動するには理由がないといけないから、動機(どうき)付けの誘導(ゆうどう)が必要とのこと。個人的には全く共感できないし、理由がないところでしか動かない。何か動くときは理由をすっ飛ばした結果を求めるか、理由ではなく過程を重視するか。僕が内部で理由をもってこの日記場所を構成しているという認識だったらそれは間違い。

このお仕事という視点から人を見ると、動機付けって他人との関係によって動くものだから、固定値ではない。よりワクワクする理由とか納得できる理由があれば選択肢が変わって来る。こういうのがきっと「意志」と呼ばれるものだから、個人的にこの概念をあんまり信じていない。意志は諸々の要因によって変化するものだから、個人を観測するところにおいて特に個別化するようなものではない。という説。

要は、動機は願望と同じようなもので、相手の存在において信頼できる対象ではない。

それが人間の醍醐味(だいごみ)ではあるのだが、これを当てにしたところで、拠り所にはなれない。何かしたいとかこうなりたいとかは内部では楽しい人生劇場だけどもそれが外に出なければ。

だとすれば、何が人の存在の固有性(こゆうせい)なのか。

内部事情が通じるとかではなく、誰にでも観測できる結果としての人がまず1つ。もう1つが、人が他人から固有の人に昇格(しょうかく)するのは、お互いきちんと影響すること。

僕の認識だと人ってにゅるにゅるした存在であって、ゲル状から固体化するのは、自分にとっても相手にとっても人なんだろうという現象があったとき。一方通行だと推しになるし、にゅるにゅるでまぐわったとしても肉体が繋(つな)がっているだけで、認識が繋がらない。

この感覚がある人なら友達になれるかなという感じだが、僕の文章を読んでいるような人ってだいたい訳ありの人生劇場の人で、僕に影響されるような余白はないような気がしないでもない。

文章界です他人でない人を求めるってかなりわがままだが、単なるスキでは物足りないし自分が承認されたと思わない。僕への承認は自家発電で賄っているから、面白い人が良い。

まぁ文章界ではあくまで自分の世界のことしか書かないというマナーがあるのか、そこまで余裕がないのかは不明。

何も求めていないのに生活圏外の人と逢いたいと思うのは礼儀(れいぎ)を無視している可能性。意味分からない人と逢ったら世界観がバグりそう。

はい、寝ます。

おやすみなさい。

良い夢を。

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