22:19から。
ネギトロ丼を所望されたもんで、マグロのたたきを買ってきてマヨネーズと味の素で和えてこねた。長ネギの青い部分を細かく刻んで海苔をそえるつもり。タレは醤油にみりんを加えてレンチンしてアルコールを飛ばしたもの。
あと、豆苗とツナと塩昆布のサラダと、オリーブオイルとハーブソルトの冷奴。
繁忙期なのによくやっている。
他のことをやったほうが気分転換ならぬ世界転換になるから、案外良いのかもしれない。お風呂読書とかこの文章界もその類(たぐい)。
日記的日記。
仕事場に9時に着かないといけない満月さんを見送って、まったりしつつ雨合羽を着る為に早めに出発しようと思っていたら地球が揺れた。もはやいつ大々的(だいたいてき)に揺れるかという感じだからあんまりびっくりはしないのだが、ちょっと気分が悪くなる。三半規管(さんはんきかん)が弱いとは思っていないけども、昔は車で頻繁(ひんぱん)に酔って吐き散らかしていた。
これが後(のち)のアルコールの酔いで吐き散らかす耐性になっているかもしれない。
もちろん、もういい歳なので吐くまで読むことは食べ過ぎない限りない。
そうして、雨合羽(あまがっぱ)を着て出発。
要所(ようしょ)は守れても局所(きょくしょ)びしょ濡れ。特にへこたれない。どうせ自転車出勤がほとんどなのだから、もう少し雨装備は見直す必要があるとは思う。背負えるビジネスバッグだと雨の日も多少楽になるし、雨合羽も100均ではなくもっときちんとした衣をまとった方が良い。個人的世界だと装備品なんてなんでも良い価値観だが、濡れたスーツでお客様に応対する訳にはいかない。
それだったら車を買えば良いという話になるが、今のところそこまでの需要(じゅよう)を感じない。体が動いて不便を感じないのであれば、なるべく自分の身体を動かした方が世界に臨場感(りんじょうかん)がある。
個人的な世界観だと、相対的な自分の経年を気にするよりも当人の身体がどれだけ可動するかを気にする方が遥(はる)かに大事だと思われる。
そうして出勤。
なんだか自分の母親世代の人に強いらしい。息子と同じ感じの空気感で、お客様に恋人なのか奥さんなのか知らないけれど、満月さんにいちご大福買って行ったら良いよってお店を紹介される。負けずにこちらもこの辺のランチで美味しいとんかつ屋さんを紹介するという関係になる。
もらうだけの関係ってつまらない。
僕が「優しい人」とか「良い人」認定されていたのは、あげてばかりだった説。
これって僕の性質云々ではなくて、他人を人認定できて居なかったのかもしれない。
今はこういう認定をあまりされない。
ここはお仕事でも見るべきところ。
自分の世界しか無い人はお得感しか見えないし、うまく関係ができた人とは持ちつもたれるになる。僕は今のお仕事のお客様になった時は、お得感しか見ていなかったから、特に営業されたくは無かったし、選んで検討する時間が無駄。
もう少し抽象化すると、人に対して求めるものしかない人は関係が歪(いびつ)になるというか、自分が動く気がない人とは誰も関係したくないよなというお話。
面白いことに、自分が動く気がない人でも普通に社会生活はできるし、それが個人主義と思い込んでいる人が多いような。
個人的には個人主義だっていう人ほど社会を気にしている気がする。
僕は社会ではないところを掘り下げたところに個人があるとしているから、個人的なところの理由付けで社会を持ってこられても全然ぴんとこない。理由付けに権威(けんい)を盛って来られても全然納得しない。
この文脈(ぶんみゃく)だと、社会的な何某(なにがし)かより、感情論の方が納得できる。
いや、お仕事だと、きちんと目標設定してその目標に対して行動するというのは分かるのだが、プライベートな劇場は目標設定してそれに合わせて動くような世界ではなくて、どれだけ楽しめるかだけ。
この筋で何かを進捗(しんちょく)しているって、社会的に説明が付かないという。
社会的に説明する為には動機とか目的とかで物語を構築(こうちく)しないといけない。
僕も社会的に特に芽が出ている訳ではないから他人から納得できるような説明をするのが大変。
こういう意味で満月さんはとてもちょうどいい。
満月さんもお仕事という社会から外での人が居るし、奔放(ほんぽう)でもそれほど自己本位(じこほんい)でもない。好きな人を気にしぃな人。
やべ、寝よ。
睡眠時間を確保してあげるのは、意識のこと。
おやすみなさい。
良い夢を。