23:07から。
エネルギーを消費する休日。
別に良いのだが、良いのだろうか。
満月さんは午前中健康診断。
プライベート情報は省略するが、話をしている中で僕が太ったという話になった。
たしかに、お腹が日常的に溜まっている。
こんなのかつてない。別にこのまま貫禄になるのであれば別に良いかなと思うのだが、良いのかな。
おそらく満月さんの生活に調律して遅い時間にご飯を食べることが多くなったから。
22時以降でもお酒だけ飲んでいればなんともないが、夜ご飯(炭水化物)を持ってくると消化しきれない模様。朝昼に炭水化物をたくさん採るのは問題ないのだが、深夜だと後は寝るだけから、消費ではなく蓄えに向かう。
食べ物を蓄えとするのは現代においては余剰価値かもしれない。
あと、前の仕事の時ほど声を出す時に腹筋使ってないからか。
鼻に抜けるように声を使っている。ここだとトーンも上げられるし、音量も増えるから聞き逃されることがない。
個人的に、人の発言を聞き逃すのは発話者の問題ではなくて、受信者が発話者の言葉を想定しきれないからだという観察。僕の声が通らないから聞き取られないのだと思っていたのだが、単に世界観から離れた言説は音声として聞き取れないということなのかもと思って来ている。
だから、僕は相手の世界観(語彙)に合わせるしかない。
いや、これが会話であってもちろん楽しいのだが、言葉って自分の世界を表現し切らんよな。
だとすると、本当に自分を語る言葉在り得ないとなるのだが、そのルートは省略。
小説の原初は告白にあるという説があった。
この社会学者さんの文章ほんと面白い。
小説の成り立ちは知らんけど、何処まで書かれていても届かない人物像を関係性の外から眺めたいという風潮があるのかも。
僕はそういう目で小説を読んでいないし、SNSもそういう風には読めない。
色々書いているのも、別に書かれた像が僕として認証されたいと思っていない。
関係性に囚われずに済む世界で自由に書くのが心地良いだけ。だから漂流させているだけ。
もう少し穿つと、自分のことを書いて居るという文章って「語る自己」の表現だから、現実の当人のことが詳細に語られている訳もない。
言葉はあくまであやふや。
僕は結構てきとーに言葉を扱う人なのだが、言葉より行動の方が現実では大事だもんで、いや、言葉も言葉で大事か。
本当には言えない言葉を抱えながら生きるのが人なのか。
なんだか壮大なことを言っているようで、単なる日常の話。
おやすみなさい。
良い夢を。