23:08から。
最近、ご存じの通りルーティンが乱れている。
日記があんまり書けていない。読書も減っている。
たしかにその通りなのだが、あんまり気にしなくなっている。
もともと文章も読書もどちらかというと自分の為であって、これをすることによって自分を保つという意味合いがあった。
文章に関しては自分を保つというよりは、自分を認めて欲しいという味わいが多い。
別に美味しければなんでも良いのだが、文章の中に承認されたい自分が居るのはあんまり美味しくない気がしてきた。
いや、文章の言葉って表現法としてはまぁまぁもう古いから良いと思っている。
僕もインターネット世界ではこの方法でしか身動きとれないし。
自己認証あるいは自己主張がテーマっぽいなと思いつつ。
お仕事。
一瞬だけ行った。
この一瞬が何の為かというと、お客様の為でもあり、同僚の為でもある。
他の人で扱えない案件である心配もあるのだが、なんにせよややこしいから行っただけ。面倒くさい案件を責任者だから行くみたいなことではなく、マニュアル営業していないから、他の人がすんなり入って来られないということ。
実務的なところはもちろんスーパー事務が強すぎる。僕は実務ではまだまだ新参者だから、何がセーフで何がアウトという基準がこの業界ではっきりしていないもんで、心配事が尽きない。
そんな中、帰り際に、「ここで決めて良かった」という発言をいただいた。
嬉しい。この嬉しさは、僕がこの職場でのやりがいを感じているのではなく、相手が良かったと思ってくれる客観が良いという話。別に僕で無くてもこのお仕事をできる人は居るだろうけども、お客様が良ければやった甲斐がある。
主観と客観のテーマはずっと考えている。
どちらも相互に影響し合うものであってどちらかが絶対的視点ではないのだが、主観に客観が一致すべきという価値観の人とは相性が悪い。
相性が悪い先輩が辞めるという話がある。
主観としては特に寂しくもなく、しょうがないと思いつつ、情としてちょっと淋しい感じがあったのだが、本日話してみたら当人あっけらかんで面白かった。
別に仕事場はここだけではないし、合わなければ他に行けばイイという説。
ただ、仕事が自分に合わなかったとするのか、仕事に自分が合わなかったとするのかで随分違う。前者だったらきっとどこに行ってもあんまり合わない。
スーパー事務にそれを言っても大丈夫なのかみたいな感じでフォローされながら話した。「辞めると聞いたけどほんとですか?」 これは店長が冗談で店長とスーパー事務が転勤するとかいがい女子に言ったところ、彼女が泣いてしまったとのエピソードからの流れであって、当人がほんとうに本気で言っているかに疑義を呈している発言ではない。
この前書いた日記で、できるできないの話を書いた後、人の内心は言葉では分からないから、行動化されないと現象として知覚できないよなという認識に至る。要は、やったことが外かから認識される自分でしかないし、相手も然り。
かいがい女子、そんな戯言で影響を受ける精神性でよく前職の医療現場でやっていたよな(褒め言葉)。
僕は今、かつて嫌だった競争で観測される職場で生きているのだが、競争自体はあんまりどうでも良い。誰かに勝った負けたで自分の価値は決まらないし。問題はこの指標で生きている人が、僕に負けたときの影響を気にするところ。
何を言っているのだという感じとしか思わない人は、きっと正常。
僕は中学校時代の、「硯は勉強していないのにそんなにテストの点を取っているのは不公平」みたいなことを言われたのが呪いのように残っているもんで、ほんと、貴方は誰かに勝っているみたいなことを言われるのが嫌で仕方ない。
知らんがな。
僕がこそっとやりたいのはこういうところ。
別に誰かに認められなくても自信は間に合っているし、だからもっとしようみたいな感覚も無い。あくまでできる限りの労力でやっているだけだし、客観からブーストがかかることもなく。
だからぼっちなんよな。
楽しくないことを語り合う需要が無い。
飲み会があっても満月さんのことを悪く言って自分を上げる気も無い。日記では色々書いているけども、これは観測値の話。
昔は暗がりで共依存みたいな世界にも生きていたから、その気持ちはよく分かるけれど、結局は自分を認められるのは自分しか居ないことに気付く。
別に自己肯定感マックスみたいな話ではなく、一生自分に期待して良い面白い奴だなというだけ。
平均値くらいのルックスで、前半は恵まれた人生ではないけれど僕で生まれて良かったなと思っている。
というくらいで無いと、自己と連動しない関係で相手を捉えられない説。
だから、僕にはスキが付かない、
いや、単に面白くないからという説の方が有力。
別になんでも良いけど、僕が書いているから面白いのではなく、匿名的なところで僕の文体が発見されるようになるくらい文章表現を固有化できないと、とは思う。
でないと書いている意味がない。
絵画で言うところの言葉って色使いだから、何処に居ても読まれている人(たぶん数人)には気付かれるくらいでないと。
まぁ、文章って主観に寄りがちだから、もうちょっと僕のように気楽で書いても良いと思われる。
知らんけど。
おやすみなさい。
良い夢を。