ただただ

22:23から。

遅番の満月さんが夕食をこさえてくれていた。トウモロコシのかき揚げ、きゅうりの漬物、ささみとアスパラの和え物。どれも美味い。

これを職場で大々的にアピールしたら、かいがい女子が食いついて、お酒に合うように作ってくれるのは良いですね! と肯定。いやいや、お酒呑んでいる場合ではない、試験勉強してねと店長が水を差す。

そこから、私は試験が終わるまで禁酒していますとかいがい女子が言う。

店長とかいがい女子は相性が悪くない。満月さんとも合うのかも。

僕はそこまで時間をかければ何かが返って来るという精神がないから、今を未来の為に削るという生き方ができない質。

たしかに、成果はあんまり得ていない気はするのだが、今を楽しまなくて未來が楽しいとして、これって未来もその先のために楽しまないみたいな連鎖になるような。この人生っていつ楽しめるのか。合間のバカンスでしか楽しくない人生って逆に無駄に時間を使っていないか。

別に努力を否定するつもりはないのだが、努力って削ってなんぼっぽいのが嫌。

削ってやったところで全然残らないんだよな。僕だけのことではなく、そういう層の人は居ると思う。

努力って、自分にやらされていること。外から来ている動機という意味では仕事と同じ。

これで自己を調教できている人は恙なく生きて、時折抜いてということになるのだろうな。

僕はもう自分やらされるようなプライベートは無い。

それでも続くことは勝手に続く。

自分がやらすまでもなく継続できることがいわゆる「好き」なことだし、好きに生きているときは削るのではなく、足している。人って睡眠時間と学校なり仕事なり、移動時間含めて20時間として、何にも使っていない時間って結構ある。歩いている最中に考えることもできるし。

そういえば、本日バスの待ち時間が20分ほどあるなと思って、スーパーに買い物に行ってまだ待ち時間があるから歩いて帰っていたら、バスと到着時間があんまり変わらずに帰り着いた。徒歩時間30分くらい。

都会のバス停の区間はやたらと短い(僕の実家から相対的に)。徒歩3分くらいの間隔のこともある。

お仕事の人員は変わらないらしい。

なんとも緩いというか、周りが迷惑する感じだと思うが、気にしないようにするしかない。

なんだか面白いというか、越境っぽい感覚。

もうそろそろ、もっと能動的に世界に関わって行かないとなる気分。

個人的にあんまりするものでもないなーと思ってきた訳だけど、生き残っている以上、どうしようもなく、多かれ少なかれ影響してしまうのが人。意志なのか無自覚なのかは対象にとり無関係だし、僕がどれだけ言動を制限したところで人格は滲むし。

また身動きが1つ軽くなる。

短いけれどここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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