22;35から。
なんだかよく分からないが、お勉強スイッチが入った模様。
面白がってテキスト読んだり過去問解いたりしている。
勉強というか、日常でもなんでも良いけど、覚えるのではなくて思い出すことの方が大事。
時間おいて思い出せるかどうか。これが学習時間のミソであって、思い出せるようにするためには繰り返さないといけないということ。
思い出す訓練は別に机に向かわなくてもできるのだが、あんまり外から勉強しているようには見えない。
そういえば大昔も勉強時間が短いとディスられていた気がする。
集中力散漫だし、別に努力した感を求めていないから、テレビ見ながらテキスト読んでも良いじゃんと。机に向かって勉強してみたこともあったが、あんまり意味無かった。いや、反復は大事だけども、反復したからOKみたいな話は無い。メモ帳に書き留めたらやった感があるのと同じ。
店長も時間を決めてやってと言うのだが、内在的外在的なイレギュラーがある状況で時間を決めて業務を行うなんて無理。できるとすればそうとうなサイコパスでしかない。ここでいうサイコパスは反社会的人格という意味では無く、効率だけを重視できるという意味合い。
普通はもっと自分の範疇の中で生きている。
できることの範囲に世界があるから、そんなにイレギュラーが詰め詰めにならないと思う。
僕の劇場は戦場みたいになっているもんで、空いたらすぐさまイレギュラーが詰まってくる。これも思い込みなのかもしれないが、僕はそれほど世界に対して求めていないのに、求められることが多くてバランスが取れていないような。
お仕事。
本日はお休みだが、ちょくちょく仕事のLINEが入ってくる。
一元化された世界だと仕事のLINEが来るくらいではプライベートは侵食されて居ないと思うのかもしれないが、僕はやむを得ないからやっているだけであって、本来はしたくない。できればしたくないし、仕事するなら給料が発生するように仕事した方が良いと思っている。仕事が遅いとかではなく、その日(休みの日)にしか対応できないことがあるというだけ。全部調整して休みを確保するなんて無理な話。
お仕事も楽しいのは楽しいもんで、お勉強の合間に「できる営業マン」について調べたりする。できる営業マンは心理学に精通する必要があるらしい。読んでいるとなんとなく無意識に実践していることが多くて人たらしを自覚する。
あとは、この無駄な胃痛とかざわざわをなんとかすれば良い。
仕事で抜けていることとか、仕事上の問題を肉体に影響させるのはおかしな話。自分の生理だとして付き合っていくのもアリだと思うけども、そうならない人が居る以上、意識とか世界観の革新で何とかなるのではと思ってきた。胃痛はこの仕事に入って始めてのことだから、どういう精神性がそれをもたらすのかを解読できれば、連動させずに仕事上のペルソナを構築できる気がする。
満月さんも仕事で上司から変な言いがかりをされてダメージを受けて私生活のフットワークが落ちている。具体的な話を聞いたときに「(満月さんに対して)失礼な」と感想した。満月さんがここにダメージを受ける言われも無い。
ところで、「ブルーロック」というアニメを一気に流し見した。
サッカー漫画なのだが、哲学的というか、ダーウィンの進化論めいていて面白い。主人公はスペックが低いけれど、適応力が高くてなんとか生き延びつつ他者を喰って進化していく。
まぁ、スポーツ漫画の良さは自分を作り変えることにあって、読んでいて楽なんだよな。
「スラムダンク」とか「ベイビーステップ」とかもこういう系譜。あだち充さんのスポーツ漫画は「哀愁」が主題っぽいから、主人公がステップアップすることに主眼がないような。
あくまで僕のどくだん。
解釈できない作品を読んだところで何の面白みもない。
少し現実に戻ってきて。
「できる営業マン」の話の中に、「セルフイメージの高さ」という話があった。
日本語で言えば自己肯定感で、何によって肯定されるかが問題。
僕が読んだ文章の中だと、要は社会的自己としてのセルフイメージだった。
店長も同じようなことを言っているのだが、これを高めるためには自分が社会的なやることを決めて達成して積み上げることと、試行錯誤することしての社会的な自分。
要は、社会に出してもとやかく言われないようにやることをやる自分という存在を守ることが「セルフイメージ」を肯定していくことになる。
たしかに分かる。人に付け入れられなくなるには、こういうギスギスした自己肯定感を持っておかないとブレるのだろうなと。店長も失敗したときはお客様に嘗められているとか言うのだが、個人的にはほんまかいなと思っている。それって本当の関係性なのか。
あんまりこういう話はどうでも良くて、もっと深堀りしたところ。
「セルフイメージ」って変な話仮象だなって。
だって、1人で生きているときに自己肯定感なんて必要ないじゃん。
この自分の芯がおそらく他者からみたときのオリジナリティであって、この部分に対する肯定も否定も起こらない。比べるところが無いのだから。
で、「セルフイメージ」は鏡理論というか、自己を観測される立場として捉えた自分でしかない。僕が仕事で胃痛とか頭痛とかが起こるのは、仕事上で出来なかったことに対して肯定できない自分への反射であって、本来こんなこと持ち帰るものではない。仕事上の硯と仕事外の硯は連動していても別人格なのだし。
ここを切り離せる解釈としてもっとも手っ取り早いのは、世界を他責として捉えること。
先輩女子のメンタルの強さはここにある。だからあんまりお話ができない。
僕がこれをできなくなったのは、大人の醍醐味としてどんな世界も自明ではないと知ってしまったから。正しいとされていることは現在反証が無いだけであって暫定でしかない。
だから、誰かに教えなきゃいけない時は一般論ではなく、具体的にこういう条件の下ではこうですよとなる。
昔語りで人に教えるなんてことはおそらく一生できないと思う。
聞かれない限りあえて話したいことでもないし。
「セルフイメージ」の続きだが、店長の世界観はほんとごりごりの社会的人格の淘汰の中で生きてきたのだろうなと思う。人を肯定する話し方が、お客様に対してしかできない。
おそらく否定的な言説を原動力をとして跳ね返してきた人だから、同じ手法で発破をかけているのかもしれないけども、僕はこういう言説はほんと嫌。具体的な否定的なアドバイスは全然良いのだが、抽象的で物理的に不可能な指示は理不尽でおかしい。
競争には適応できない人物だから、ほんとに僕を動かしたいならもっと具体的な指示をくれと想うのだが、店長も忙しい人なもんで無茶振りなのは分かっている。
具体的なノウハウを伝えずに結果だけ求めるのはパワハラでしかないと思うのだが、店長には愛を感じるもんで別に気にしていない。いや、言葉のナイフでチクチク痛いのはある。人のセルフイメージを低下させる語彙の人。
ここを連動させないセルフイメージのためには、人のことなんてどうでも良いというサイコパス成分を前面に出さないといけない。
サイコパスって、情緒が乏しいのではなく振り切れるまでの段階が鈍いという岡田さんの言はしっくりきた。
満月さんは僕のことを塩対応だと観測しているけども、実際満月さんとお別れになった僕は泣くに違いない。
結構不安定になっているということは、ほとんど振れ幅が上限近くのところで生きているということか。
ここで生きられるのであれば、どこでも大丈夫だから今ここで修練しているという解釈にしてみたら良いのか。
僕がこのお仕事で成功している時は、セルフイメージなんて意識しないときだから、もっと切り離しても良いのだろうな。
言葉って言霊だし予言だから、あんまりネガティブなことを書いてはいけない。
はい。
おやすみなさい。
良い夢を。