情緒

22:21から。

本日も朝活。明日の朝活でもすることがある。

いつももっと早くできれば良いと思うのだが、このパフォーマンスは期限が迫っているから。自分で期限を作っていけばと想うのだが、そうなると短期的な期限(資格試験の日程、納期)みたいなものより、長期的な期限(退場するまで)という設定になり、だったらふわふわと好きなことをして考えれば良いとなる。

それほど社会的地位の向上に頓着していないというのもある。

さておき。

コンディションとしては去年より遥かにマシ。

お仕事が比較的暗中模索ではない。結局どこまで慣れても暗がり(死角)はあるものだが、明るい部分があればそこで安全圏を取れる。僕が安全圏に居続けることを好まない性質だもんで、容赦なく暗がりばかりがやってくる。手探りで探索するほうが良い。

かといって物理的に身体を危険にさらす登山みたいなことには興味は無く、あくまで精神世界の話。物理的に山に行くのはとても好きだが、本の森に迷い込むのも効果としてはあまり変わらない。

知人と京都にいって来た満月さんが個人的に有名な書店で新作の小説と哲学書を買ってきてくれたもんでまた迷える。帰宅した満月さんが声をかけてくれたときはお風呂で宅建の森で迷っていたもんで、返事が半分になって申し訳ない。

集中している(迷子になっている)と、3次元の世界に居なくなっている気がする。

だもんで、時間配分を多くするとちょっとした離人感がある。これはこれで大事だと思うが、あんまり連動を感じなくなるのはどんなもんか。

新作小説枠は「俺俺」の作者の新作らしいが、読んだことないからよく分からない。

どうでも良いが、自分の呼称を高校入学くらいに「俺」に変えたが、いつのまにかまた「僕」に戻ってしまった。お仕事では「私(わたくし)」、満月さんには「僕」の他に、「○○(苗字・もはや同じなのに)」になっている。「俺」はオラオラ感があってあんまり好きでは無い。

変な話、2人で話しているときに呼称としての主語ってあんまり要らないのではずっと思っている。ここは省いても会話は通じるから主語を多用する意味は、自己主張となる。

他人が自分を呼称する言葉はあんまり気にしない。そんなことより中身のが大事。

あと、哲学書の思索枠は、待望の鷲田さん。「所有とは」みたいなタイトル。所有を哲学するのはとても面白い。所有という概念ってかなり多義的で、古文でいうところの「おかし」より遥かに意味が多い。

社会的な最低限でいうところの法律の定義でも、所有権は物の使用、収益、処分ができる排他的な権利とされているけれど、これって取引対象になる財産に向いた定義であって、社会的な意味合いにおいても所有の彩は様々。占有権も出てくると、素朴な感覚を言語化しようとするとこんなにも面倒なのかとなる。

刑法の窃盗罪で出てくる占有もなかなかややこしい。

窃盗罪になるのか占有離脱物横領罪なるのかは、現象としては同じようなものだとしても罰則が全く変わって来る。

個人的には「所が有る」というのは、もっと素朴な五感との連動にあるのではという気がするが、読んでみないとどういうことが書かれているのか分からない。楽しみ。

なんだか法律畑の話が捗っているのは宅建の森に迷っているからというだけでもなく、たまたま本日やって来たお客様が同じような経歴の人だったから。オタク話で盛り上がった。誰でも参加できるような見れば履修できるようなオタク領域ではないのであまり書けないけれど、このお客様特有なのかあんまり共感を欲されない抑制された距離感で良かった。

お客様と言えば、本日手続きで再来してくれたお客様と仲良くやっていたら、それを聞いていたスーパー事務が、「お客様満足度1000%かよ」と評した。僕は結構与える側の人だと思っていて、情報くらいなら独り占めしようとは思わないから、地域の実体験上のグルメ情報くらいはいくらでも垂れ流して良い。

日記でも僕の情報としての中身は垂れ流して問題ない。

面白おかしく読んでいただければ良い。

お仕事で言えば、ちょっと変わって来たことがある。

憤怒氏がお仕事でも登場。

僕は優しい人だと認識されている。これは別に僕が優しい訳では無く、利用しても良いのだなと思われている節がある。ちょっとこれでは割に合わないという現象が起こって来たもんで、自分を守る為に態度を悪くするというポーズが必要だよというアドバイス的な憤怒氏。

別に嘗められていなければある程度不合理があってもそういうもんだと出てこないのだが、限度を超えるとこっちの許容量がオーバーになる。

先輩女子に嘗められている。

嘗められていても割を喰わなければ問題ないのだが、ちょっと一回ガツンとしとかないと身と精神が持たないという予感がある。事務仕事専門になって僕の事務仕事をやってくれるとしても天秤の割が合わないと、憤怒氏が言っている。

ただ、これって言ったところで返って来るところが少なすぎて滅茶苦茶難しい。

最低限自分を守るために怒ったとて、たぶん、硯さんも機嫌悪くなる時があるのだとしか思われないという。

まぁ憤怒氏が滅茶苦茶怒っているから、いちいちそれをやった方が良いと思った。

というのが、離人的効果であるのかも。

2年くらいは一緒に働いて情が湧いているはずだが、そんなことより自分を守らねばという感覚になる。まぁ、経験則の可視化でしかないとも。

僕のことを都合良く捉える人に構って居る時間は、人生劇場の長期的制限であっても無いということ。

ここを回避するためには憤怒して面倒くさい人と捉えられる必要がある。

こういうペルソナも使わないと自分の時間を守れない段階なのかー。

なんだろう、別に嫌いだからここまで書いている訳ではないというニュアンスは伝わっているだろうか。伝わってなくても良いか。

はい、まだまだ自分を使って劇場を充実させる余地がある。

おやすみなさい。

良い夢を。

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