22:31から。
今、ちょっとコンビニに行って来たのだが体を度外視すれば雨ってほんと綺麗だよなと思う。自然のだいたいはこの範疇。
五感が過敏だと自認するHSPとしては、肌にかかる雨とか濡れる足元とかももちろん感じているのだが、そんなことより目に映る像が美しい。昼でも夜もそう。雪も進行形で降り積もっているのが好き。雪だと体があんまり追いつかないのがネック。
僕が本格的な山登りをしないのは、そんなところに行ったら美しさに見惚れて身体を落っことすに違いないから。まぁ本格的な人は自分の身体によって自然を征服するみたいな英雄気質もあるだろうし。僕にはそんなのはない。
さておき。
どうでも良い話から。
相互の神谷さんが、「小難しい哲学をコピペして話すような人は受け入れないからさよならした」と書いていて、あぁ僕も退場かと思ったら、そんなことは無かった。哲学は認識の道具であって、思考のショートカットではない。
要は、単なる自意識過剰だったという話。
お仕事。
昨日の休日にあれだけうごうごしていた精神が、何故だかとてもすっきりしている。
なんだろう、この認識の変革。調子が良くなってきているだけという説もある。
調子が良い時は、身体が意識されないという話がある。
そういうことは読んだ本の中でいくつもでてきているから、もう定説で良い。
不具合を現象したときにしか身体が意識されない。
ということは精神もそうだよなと思う。これは自我とかでもいい。あくまで言葉で何処を括るか。
僕は割と身体も精神も調子が良い時も観測しているもんで、浮き沈みなんて程度問題という感じになってきている。
お仕事で、先輩女子の雑談が鬱陶しいと思うこともある。この人の話、登場自分が一人称だから害は無いのだが、如何せん面白くはない。凄い洞察があれば一人称でも面白いのだが。
でも、別に聞いてあげているという意識も特には無い。
お仕事の効率上ではもっと無視した方が良いのだが、余力があるもんで聞いているだけ。
僕でなければ邪魔だと腹を立ててているに違いない。一個多い。
お仕事話はここまで。
やれやれ。
ここ何日か、新参の人がちょこちょこスキを付けてくれていて、読んでくれた人にはだいたい読みに行っているのだが、ビジネスっぽい人が半分くらいいるは何故だろう。僕はそれほど社会的に成功するところを求めていないもんで申し訳ない。
スキバックで読んでいる記事の中に、「家に本が10冊以上無い人はヤバイと自覚しろ」みたいな話があった。曰く、本を読まない人は知識のアップデートができないから年収も上がらないとのこと。
これを1つの命題として考えるてみると、反例が1つ。うちの書庫にはおそらく2000冊くらいはあるけれど、僕の年収は全然上がっていない。
冗談みたいな反例はともかく、この命題が真理かという話だけど、知識をアップデートするだけだったら、書籍よりXとかネット記事の方が鮮度が良いから、そういう目的で本を読むのは遅いと思った。
本を読むのは知識のアップデートでは無くて、認識の更新だと思う。
知識は道具だから最新を追った方が良いけれど、認識は知識という道具をどう扱うかという振る舞いの話。
知識のアップデートに振り回されないようにする為に芯の認識を把握するために本を読むという提案だったら分かるのだが、本で知識を取集しようとするのは、いまどきでは遅いような。
本日、早く帰ってきたのだが、ご飯のタイミングとかがずれたもんで、この文章量。
満月さんが食卓を支配している当番の時のご飯はとても美味しいのだが、僕の時間とはずれている。いや、このズレがあっても過ごせるかというのがパートナーの本質だから別に良い。
この文脈ではまだ書けることはあるのだが、満月さんもいちいち凹むから、僕の「漂流文」のコンセプトとは外れる。かといって、別に満月さんい都合良いことばかりを書くつもりもない。だってここは僕の場であって、共同空間でもない。
僕がこの見地に至っているのは、誰かに逢って認識が更新された訳ではなく、本を読み続けてきたからこうなったのは確かだから、個人的には日常に本を読む時間を創った方が生き易くなると推奨する。
読書の効用は、旧来の自分がぶっ壊されること。
はい、ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。