22:49から。
平日は閑散期なはずなのに、おにぎりチャージ時間が2分くらいしかない。
満月さんおにぎりが無い日はむしろウイダーインゼリーとかカロリーメイトの方が良いのではないかと思ってきた。満腹感ではなくて、エネルギーチャージ。
ストイックな訳では無く、本当に物理的に時間が無い。
周りを見ていると店長以外きちんと昼食時間は取れているから、セルフブラック企業みたいになっている。
本日は店長と2オペ。
雑談する時間もないのだが、ちくちく足りていないことを言われる。
この感じは人によってはほんと嫌だと思う。僕はあんまり気にしないけれど、こういう指摘をする人には2種類あって、自分ができていることと相手ができていないことを比べて、相手ができていないことに不満な人と、最低限これをやっとかないと当人が割を食うからいけないよというどちらかというと相手寄りな人。店長は後者なのだが、言い方のせいで前者と捉えられる。
本日の日報で、「レスポンスが遅くなっている気がする」と言われて一瞬絶望した。
僕の仕事ぶり全く観測されていないって。ただ、この見解に至ると、僕が足りていないのではなくて、硯さんならもっとできるよねという改善の指摘という風にも思えてくる。
個人的にはレスポンスが遅いのではなく、レスポンスする時間さえ他の優先順位の業務で押し込まれているという感じなのだが、もっと時間の使いようがある気もする。大事ではないことに時間をかけないみたいな序列。
結局のところ現象は解釈次第。
厳密に言えば、世界は解釈次第という説。
こういうと巷に溢れているスピリチュアル系っぽいのだが、個人的には哲学の範疇。
たしかに、今の世の中、客観という定義で、当たり前とか常識とか社会とかはある。さらに物理的な空間は客観で誰でも認識できるという世界観もあるし。
ただ、個人のまなざしでこの客観を把握できるかというと絶対無理。
どんなに視野が拡がったとしても、あくまで眼は1つ(2つ)しかないし、あくまで当人が把握する客観は当人のまなざしの範囲でしかない。この辺りが認識されてきて分断されてきた世の中な感じ。
要は好きに生きるしかないということ。
変に旧来の当たり前を自分の価値観に容れると歪んでくる。
僕はあんまり自分の見解の筋に客観からの確証を求めていない。
本日、満月さんとちょっと喧嘩をした。
詳細は省く。仲直りはできたし。
ここで想ったのは、僕の気遣いの範囲のこと。
たぶん、実際観測したところでそんなことは見抜かれないのだが、僕は結構四六時中人のことを気遣っている。空気を読むの然り、気付かれないように何かをやっておいてしまったり。
もちろん、僕が好きでそう過ごしているから、別に貢献を賞賛されたい訳でも無い。
ただ、こういう目に見えない気遣いを享受されるのが当たり前にされると、ふとしたときに、電池切れが起こる。ブレーカーが落ちて人間関係を断捨離して今は友達が近所のコンビニの店長くらいしか居ない。
パートナーである満月さんは、この電池切れ現象を良く観測する視点だもんで、僕が当人を好きでは無いと疑うこともあるかもしれないなーと思いつつ、断捨離されない限りは断捨離しないという定義で結婚したつもり。
ブレーカーが落ちたら怒ることも無く、ひっそり離れる。
人に不機嫌になれるって、恵まれていることだよなって。ナチュラルに満月さんに不機嫌になれるということは、相手に対して甘えて良い存在だと認識しているということ、
こんな僕に今後友人はできるだろうか。
趣味が合わなくても良いし、時間が合わなくても良いのだが、とりあえず楽しい話ができる人。こんな世界を面白がっている人でないとおそらく無理。
何の話か分からないがここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。