22:16から。
どうもお待たせしました(誰も待っていない)。
1年分の風邪を引いたもんで。
かいがいしく看病してくれた嫁のおかげで復帰しました(とか言っておく)。
ほんと、風邪は引くだけ損。
動きが遅くなるし、活字も読めないし、ビールも飲めない。食べ物は食べたい物より身体が欲している物を食べたい派だから特に変わりない。元気だと肉は食べられるけど、肉が食べたいから元気ではない。
身体の動きはすさまじく違う。某アニメ風にすると精神と時の部屋を出た後くらい。
ほんとはしたいけど身動きが遅い足かせが外れた気分。もはやなんでもラグなくできるのではないか。
なるほど、風邪も修行であって、人の一次的な不具合でもないということか。
まぁ、人がどこか一次的な次元で留まっていることなんてありえない。
在り得るとすれば、他の次元を巻き込んでいるということ。
日記的日記。
昨日初めて仕事を休んだ。もしかしたら二回目かもしれない。某プロミネンスみたいな時期に休みの日に発熱して一日で収まって出勤できるけど待機しろという事態があったような気がする。
満月さんからは私は仕事を休んだことが無いと謎のマウントを取られる。
そういうとこよ。たぶん、学校に行っている時も皆勤賞で不具合が云々。身体が強いことと、精神が強いことは連動してない。
たまたま満月さんが休みだったから看病やら病院に連れて行ってくれたり、ありがたかったり。私のかいがいしさによって回復しただろうと言われるのは、そうだろうと返しつつ、ちょっと、仕事ばっかりしていてたまにやった自分すげーだろうという「世帯主感」があった。ここはまた後で。
プロミネンスもインフラも陰性で問題なく出勤できた本日。
バスに乗ったら、スーパー事務が乗って来た。
前に同乗した時は気付かれなかったから今回はどうかと思ったら、バレた。
硯さんは全然大量崩さないからいったん崩れたら長引きそうだと話していたんですが、復活早いねって。恨み嫉みも長引かない。
スーパー事務はおそらく波長は合わないのだが、最低限の基準が合っているが故に話し易い。この基準、他人のことは縁次第でどうでも良く、自分に影響させないという感じ。この言語化で合って居るのかは不明。もうちょっとちょうど良い当てられそうな言葉はありそう。
店長もちょっと体調悪そうで、「硯から感染された」とか言う。
こういうところ。ネタでしかないのだが、それでも他責にすんなよと。影響されがちな若者が聞いたらどう思うか。新人さんが入って来たもんで、そこは気にして欲しい。僕はここに関しては全く自責にしない。なんならちょっと体調悪いことで休めない会社の他責にして良いのが労働契約関係だと思っているし、そんなの余波でしかなく。
新人さんはまだ数日で、新参者の皮を被っているから今後どういうあだ名が付くのかは分からない。スーパー事務はメンタル弱そうと見ているみたいだけど、個人的にはまだなんの判断もしていない。目が大きくて目力強そうだなというくらい。
どうでも良いというか、九死に一生だけど、本日何日か振りに雨の中夜道を運転したのだが、なんだか視力が落ちたのか、注意力が落ちたのか、ルートがよく分からなくなった。この視野の中、適切な運転とは。自動車を運転ばかりしている人、僕より視力低いのにどうやって情報処理しているのだろう。まぁ、それでも生き残っているからまだ大丈夫なはず。
皆、九死一生の世界線の中をぐねぐね生き残っている説。
さておき。
やっと本を読めた。
時系列で言えば2日振りだが、個人的には3年越しくらいの感覚。ビールも同じで、それを満月さんに言ったら、何を言っているのだと言われた。よく分からなくて良い。
色々感じたことがあって書ききれないのだが、なるべく分かり易いところで(それでもきっと分からない)。
「もやもやする正義」の中で、諸々の差別を受けている人が感じていることについて「ついらいのは事実」だというフレーズについて、「事実」の定義とはとなった。
属性を前提にした差別って、老若男女、上位下位問わずある。そういう社会的な場所は当人の努力とは無関係にレッテルが貼られるから、印象としては動かせない。
ただ、これが「事実」かというと個人的には違う気がする。
つらい=事実と繋げるのは、科学的ではないし、哲学的でもないような。
つらさが客観だとしたら、そこには統計的な基準があって、辛いという主観的な基準を還元しないと思う。差別で言えば、どこに行っても変えられない法的扱いの差だし、この意味での事実上の辛さはどんどん減っている訳で。
僕が思う事実は、法的なところというか、記述できる部分であって、感情的なところではないし、特に事実を重視してもいない。事実なんてどうでも良いというか、事実を大事にしても良いことが無い。
だけど、ここで書かれている「事実」って、法的な最低限ではなく、誰もがそう感じているみたいな意味合いでの事実だから、結構文学的だよなと。流行の事実な感じ。哲学専攻の人の語彙では無さそうな感じ。作者が読んだら怒られそうだがともかく。
私的な事実とは何ぞや。
というと、自分の主張が相手に受け入れてもらえることが事実だと思う。自分が認知した現実と相手の認知を戦わせて自分が勝ちたいみたいな感じ。相手より上にならないと安心できない気持ちは分かるけど、その事実は空想な気がする。いずれ負けるし。
そういえば、こういう意味合いで満月さんとは事実喧嘩はあんまりしていないような。
茶番ばかりやっている。だいたい怒られる。
やれやれ。
本日はもう少し書きたいことがある。
生活の継続としての事実感。
僕のもともと生活感も、母親が最終的には片付けてくれたから食器は炊事場に持って行くまでが最終形だった。母親がやってくれるという意味ではユートピアだったけど、個人的には失楽園した方が良かったから離脱して自分で循環するという生活圏で生きることにした。
なんのスキルも無く誰からも料理を教えてもらうこともなく(時々恋人さんから学習)しつつ試行錯誤して今に至る。まだ過程。
満月さんが食卓においてあんまり片付けられないのも、お母様と過ごした世界観の中で未だ生きているのだろうなという解釈で良いのだろうか。お母様の愛の影響が強すぎる説。
僕は男だし、特に自分の生活圏を綺麗にしたい人ではないのだが、変な話、最初に生まれ落ちた生活圏の世界からは離脱できている。アダルトチルドレンの気もあったのだが、もはやどうでもよくなった。
そもそもこんなの事実ではない。
おしまい。
おやすみなさい。
良い夢を。