怠惰

22:33から。

身体がぐたぐだしろと訴えてくるもんで、年末年始は生産性が無い。

お仕事で休めない期間に発熱を入れてこない辺り、とても恣意的。あんまりコントールされるのも面白くない、どうせ明後日には治っている。

今日はきちんと呑もうと思う。

病弱になっても淋しくないのはなかなか1人身気質だと思う。

満月さんに甘えたいとも思わない。割と1人でいっぱいいっぱいだからというのでもなく、どんな余裕ある人にも甘えることは無いと思われる。厳密には微妙に違うが。

身体しんどくてもやることはやる。本日は満月さんのリクエストの焼肉丼の準備はした。

焼くのとタレはセルフ。いやタレは作った。

満月さんは今日も私に辛辣なことを書くのだろうと言っている。

この人ドМかいな。

身体の調子が悪いとき、調子の良い時を忘れている。

昨日買って来た良い焼肉が本日焼肉丼になっているのだが、ちょっと食べたところ胃腸が気持ち悪くなった。ザブトンの油味に勝てるほど本調子ではない(本調子でもきっときつい)。焼き肉3枚分に換算できるくらいの納豆っとアボカドのオリーブオイルわさび醤油和えの方がちょうど良い。おつとめ品の100円の春菊で作った胡麻和えもなかなか。

調子が悪い時の傾向。

身体が過敏。ふと腕を見たら寒くもないのに鳥肌が立っている。味覚とかもそう。身体が内側に裏返されるから、ある意味生きている実感なのだろうな。個人的には、もうそれは分かったから活動させてという感じ。

あと、変な言説が目に入る。昔はにちゃんねるのオカルト板とかをひたすら読んでいた。

SNSを貪るのも調子が悪い証左なのでは(ある意味失礼)。

本日、女性専用車両についての議論が見えてしまった。

当事者の本気度は知らないが、どちらの側の本気も分からない。

そもそも、女性の痴漢への不安がこれで解消するはずが無い。コストを度外視すれば女性専用バスの方が良い気がする。これだったら近くに男性が居なくなる。女性から女性へ痴漢は知らんけど。そんなものが絶対無い、なんてことは無い。

妥協の産物というか、忖度の産物。

だから、ルールでは無くて道徳というか協力の話になっているというだけ。

個人的にはどうでも良い話だと思っている。いちいち乗り込んで行く男性も法律を盾にしているけど、それが正論かというと、いちいち目くじら立てる時点で余裕が無いだけ。法律上のルールと実生活の不具合をほんとに気にする人が、女性専用車両を問題にするはずがない。もっとスケール大きい問題無くないか。税金取られまくり問題とか。法律を気にしているのではなくて、法律を論拠にして相手を論破したいだけに見える。

いまお風呂読書で読んでいる「もやもやする正義」で、トーンポリシングとか、些細な攻撃(横文字を忘れた)という概念を読んでいてもやもやするのも近い。

トーンポリシングは、語調が感情的だと、中身がどうあれもっと冷静に議論しようと窘められること。個人的には、窘める側がほんとうに感情的でないのかというところが気になってしまう。余裕がある人は相手の話のことをてらいなく聞けるような気がする。

お互いが冷静で話せる場というのが仮想っぽいなという話。

学問なら基準が決まっているけども、政治とか社会になると、そもそもそれぞれものさしが違う。

あぁ、そういえば、「被害者意識」という概念もあるらしい。

今の世の中、被害者マウントを取って負けが勝つみたいな。マイノリティが勝つでも良いけど、そのうち更に弱者が出てくる訳で負けたときどうするのだろう。

些細な攻撃は、セクハラみたいな話で、些細な言動が主観的にダメージを蓄積していくという概念。僕もこの話だと加害者にも被害者にもなるけれど、だからなんぞやと思った。ルール化できないことを言語化したところで、あくまで捉え方の問題でしかなくなってくる。

法律学畑からすれば、定義が甘いと言動として人のルールとしてはできない。

哲学はルール自体を考える学問だから良いのだが、こういう捉え方がなんとかニズムで甘くなっているような。

例えばセクハラ。

するつもりは無いが、相手からどう捉えられるか分からない概念。

もちろん、完全な黒はセクハラという言葉が無くてもある。仕事の場で性癖を聞くとか、夫婦関係について掘り下げようとするとか。そもそも立場を盾にして性的な何某かを求めるのはセクハラが無くてもアウト。窃盗を万引きと呼ぶことに近そうで寧ろよろしくない。

環境的なところは完全に相手によりけりだと思う。

職場のデスクに推しのフィギュアを置いていたら、セクハラになりそう。いや、僕はデスクに何も置かないのだが、環境型セクハラが視界が不快だということだけでまかり通るなら、何でもありだなという話。

不快をルールとしたら、世の中はまかり通らない。

これは独裁者の精神性だから、やめておいた方が良い。

という意味で、怒る人はどういう意味合いにおいても余裕が無い人と解釈される。

あくまで僕の経験則だけど、自分が怒っている時も相手が怒っている時も、当人に余裕が無い条件で発動される感情。余裕が無い時は不快で平気で怒ることができる。

これが不快の腐海。

だもんで、僕は怒っている時に満月さんに何も話さない。

語ったら反発が起こるに違いないことを語る意味なんて、自分が主人公の人しか居ない。

辛辣だと言われているけども、序の口なのは秘密。

呪詛溜まる。洗濯した時に私のパンツを洗ってくれない。生活上滞り無いという世界観では無く、あくまで当人が必要な洗い物しかしないのねって。別に僕がコントロールすれば全部洗うから労力の省エネという意味ではない。あぁ、やらんのねという意味。

厳密には怒っているというより、メカニズムが社会的では無いということなのだが、諦めたらそこで試合終了なので、期待はしている。

僕はほんとに怒ると相手の人格を破壊することをやりそうだから、一応制限はしている。

でも、人に勝つことなんてどうでも良いもんで、だいたいちゃらんぽらんで過ごしている。

誰かに勝ったところで、僕の価値が認証される訳でも無い。

ここは所有論の話。安全な場を確保することが自己の固有性を確証するというレトリック。

安全な場なんて無い。

嫁である満月さんが僕のことを、見限る可能性は夫婦関係に内包されているし。

ここまで。

明けましておめでとうございます。

今年も宜しくお願い、はあんまりしていないけども、どうぞよろしく。

良い夢を。

おやすみなさい。

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