23:36から。
満月さんを迎えに行って先ほどかえってきた。
お土産の福岡地ビールが上手い。明日振替休日を勝ち取ったので優雅に晩酌できる。
満月さんは旅行疲れで早々におやすみ。
日中。
先輩女子からお仕事のLINEがばんばん来るもんで休まらない。
どうせ仕事モードか、と出勤のスーパー事務と個人LINEをする。この人は僕の劇場の先生の1人に認定。事務先生とあだ名を改めるか。
犬型新人も、明日は絶対休んでくださいね!とメッセージをくれる。
よくできた後輩や。この人も仕事の無駄個人LINEの被害者。この前の時は遊びの予定があったのに、そのせいでモチベーションが下がってでかけることができなかったら、家で弁当を作っていたとのこと。この人が辞めるようになるのは避けたいところ。
ふと思う。公私共に助けてくれる人が増えたなと。
直近の職場もその前と比べるとやり易くなっていたけども、あくまで「公」。「私」は断捨離したもんで予定が皆無。
弁当を持って職場に行き、帰ってきてご飯(&弁当)を作りつつ洗濯してお風呂読書して日記を書いて寝るという習慣だった。それになんの苦もない。ニーチェさんが言うところの「超人」かもしれない。ちょっと違うか。
休日は固定だったもんで、日帰りで遠方に古木巡りに行ったり、演劇を見に行ったりした。交際費が無いもんで、交通費に結構比重をおける。
この時代に戻りたいかというと全然そんなことは無い。
「私」に良き人が集まってきた次(今)の時代の方が良い。
満月さんを筆頭に、満月家の人達は助けになってくれる。
満月さんと結婚したことで、血縁の母親とも仲良くなれつつあるし、血縁の問題はおそらく僕の劇場の一生もんの課題なので、とても大事な改善。
仕事場も入った当時から随分と変わってきた。
これは僕が変わったとも言える。そう、変わっちゃったんだよな。従来の自分と新規の自分の対立。
昔なら振替休日の要望より、仕事場が忙しそうだなということを優先していたに違いない。
こういうのはバンバンやっていかないと自分の幸せを向上できないという認識に至りつつある。
職場の人間関係も僕が私的な領分を公的なところに開示できるようになってきたかもしれない。事務先生は今までの先生で最も教え導いてくれる人だなと思うのだが、僕が仕事上の中身を開示しているから、どう教えたら良いかというが分かるということで、もしかしたら歴代の先生達も僕の開示が同じ量だったら同じことをしてくれたかもなとか。
具体的には、「今まではいっぱいいっぱいで目の前のことをこなすしかなかったけども、休日もきちんと取れるようになってきて、やや経験も積んで来たから周りやら自分を眺めることができるようになってきました」とのメッセージを送った。これが送れるって、かなり相手のことを先生としていると思われる。自分の仕事しか見ずに周りの人の経緯を見られない人に送ったら、そんなこと知ったこっちゃないと一蹴されるに違いない。
そうして、自分の試行錯誤点として、タスク管理と時間管理を見直したらもっと余裕ができると思う。もっと自分はできるはず。と送ったら、その通りですねと返される。ついでに硯さんはお客様だけではなく誰に対しても丁寧に接するのが良いですが、タスク管理と時間管理ができたらもっとできるようになりますよ、という美点評価付き。
犬型新人は、僕が入った当時にはいなくて、後から入って来たという意味で「縁」がある人だろうなと。かいがい女子もできる新人だったのだが、余裕が無かったせいであんまり面倒を見られなかった。という教訓を得て、新人の面倒を見る余裕もちょっと出てきているからなんとか懐いてくれた模様。ちゃんと成長できる人を守れそうで良かったとなる。面倒見たい人の面倒を若干でも見られる余裕ができた。
年齢はだいぶ違うのだが、一緒に試行錯誤して良くなっていこうという同志ちっくでもある。ここにやって来て初めての飲み仲間にもなれそうだから、そのうちやや私的な領域の話もできたら良いなという感じ。
本日の仕事場は上層部のさらに上が出て来て、激動だった模様。
僕の訴えも原因ではある。職場の階層構造の役割分担と風通し。ただ、ここは自分が楽したいからではなく、楽しい職場にしたいという意味合いだから、自分にも訴えた責任が生じる。
訴えたことを訴えるほど自分がやっているかという方向に眺める必要性。
労働者だから雇用者に訴える権利があるみたいな抽象論ではなく、自分にも見直すところはあるという具体論として跳ね返って来る。これがタスク管理と時間管理のお話。
マルチタスクができるようになるには、タスクの優先度(緊急度)を切り分ける必要があるらしい(ネット記事参照)。たしかに、上層部の目の前の指示を優先度高いと認定するのはタスクカースト上おかしい。今までは指示された⇒それをまずやらなきゃとなっていたのだが、指示された後に、優先順位の置き所を決めて僕が管理する必要がある。
自責世界観を全うするのであれば、タスク管理を「誰かに指示されたから」という他責でやってはいけない。ちゃんと自分で選別していく試行錯誤が必要。
普段というか今日、仕事LINEがあって何処かに出かける気分にはならない、でも仕事のことで頭いっぱいになっても仕方ないしで、宅建のお勉強時間を創った。YouTubeで都市計画法を流しながら、民法の過去問を解く。人の脳って1回で全部暗記して浸透できるわけでも無い。ワーキングメモリがあるから時間かけたらやった気になるけど、定着率の方が大事。定着したことしか思考の道具として使えない。
どうせやるなら思考の道具に扱えるまでという認識。
本日、僕への別の理不尽パンチの人が連絡してきたらしい。
宅建の勉強中だったもんで、法律脳で、この人の振る舞いは威力妨害罪に当たらないかとか、僕の不手際が詐欺罪に当たらないかとかを分析してしまう。
前者については、もっと頻度が増えれば逮捕案件になりそう。
これは後者とも繋がっていて、僕の行為は相手方にとって詐欺罪に当たりうる可能性はあるけれど、そもそも僕にそんな故意はない。詐欺罪って欺罔行為⇒相手方の錯誤⇒相手方の処分行為⇒行為者の利益みたいなフローがあって、この全部に対して行為者に故意が要る。
故意って一般用語だと分かりにくいけど、わざとやったではなく認識があったと認定されるかどうか。だいたい一緒っぽいが、詐欺罪だと、相手からお金をだまし取る認識があったかどうか。そうしてこの認識は自白が無い限り、内心ではなく状況から判断される。こういう言動をしたということはそういう認識があって然るべく、みたいな。殺人罪の故意は特別に殺意と呼ばれる。ナイフで人を刺したとき、身体の中心部を執拗に狙った痕跡があれば、それで人が退場するのは認識できたよねという認定になるという意味合い。これで退場しないと思っていたというのは通じない。心神喪失で無い限り。
そうして、今回の件への当てはめ。
単なる知識不足での説明不足なだけで、別にこのお客様から金銭をだまし取ろうとは認定されないと思われる。僕から働きかけた訳でも無く、相手が信用情報に傷がある息子をどうにかしたい相談を受けて、ではこういう手段がありますねと回答して、じゃあそうした方が早いよねという合意に至ったという認識。たしかに企業的には利益になるけれど、この案件1件では僕の歩合には関係ないという。個人的には訳アリの人だから早く決めてあげなきゃくらいの認識。
ついでに、民法上の錯誤で取消し可能かも分析してみる。
意思表示に対応する意思が無い訳では無いから、動機の錯誤になる。動機の錯誤とは、表意者が法律行為の基礎とした事情についての認識が真実に反する錯誤。
例えば本当は地下が高騰する事情は無いけれど、地価が高騰するならその土地を買いますよみたいなこと。土地を買いますという意思に錯誤は無く、その背景について認識の齟齬がある。
これって結構ありきたりなことだから、民法はここについて、法律行為(契約とか)の基礎にされていないといけないとした。具体的には契約書に文面としてその事情が書かれているとか。口約束でも良いけれど、口約束は裁判の証拠として弱い。録音とかメールがあればともかく。
要は、この理不尽パンチの人の認識はきっと法律上は認められないだろうなということ。
単に企業が付き合ってあげているだけ。お客様神様精神はもはや時代遅れで、ちゃんと選んでくれる人とだけ付き合った方が良いような。
故意と書かれると主観的だけど、法律って社会的なルールだから、社会から見てきちんとそれが満たされるような証拠を呈示できるかという客観的な問題に帰結する。
ちなみに僕は法律学好きだけど、法律ルールで運用されている社会については特に好きではないらしい。都市計画法とか建築基準法みたいな不動産ルールは面白い。これは人の物理的な安全にも、精神的な安心にも繋がっているし。
法律で決まってないから何でもやって良いとか、法律(ルール)を守っているから自分が正しいみたいな人はなんとく嫌な感じ。結局指示待ち人間じゃんって。
凄く心苦しいお話。
人生劇場を満喫する為には、人に対しても優先順位をつけないといけないということ。
僕は関わっている人に対しては合う合わないはあっても好き嫌いは特に無い。ただ、話ができる人を優先しないと、ただエネルギーが消費されるだけだろうなという次の認識。
僕は膨大なナカミがあるから、全部まるっと聞いて欲しいとは思わないし、人が聞いてくれないから文章に起こしている訳でもない。僕は人の話を自分の主観とは別に聞ける(これが小説脳だと思っている)し、これが寄り添いと勘違いされることも多々あるのだが、別に人を甘やかせる精神性はない。
話ができるかどうかの基準は、僕に影響される人かどうか。
僕は具体的な関係でなくても勝手に影響される人なもんで、自分と相手が釣り合うみたいな一般的な道徳観ではない。自分がして欲しくないことを相手にやることもある。防衛機能として。あくまでバランスの話。
人って、自分のことを覚えられていると相手に対して「おっ」って思うじゃん。の派生ではある。僕の誕生日を暗記として覚えている人より、楽しく気遣って変化してくれる人の方が優先順位を高くする。
あくまで自分の話を受け入れて欲しい層の人は断捨離案件なのかもな。
こういう文章読むの割と好きなんだけど、人生劇場の優先順位としては低くなる。だって僕と具体的な関係に無いから。関係ではなく、読み側として気が向いた時に読む人で良いのか。
ここから離脱したら、もはや気が向くことは無いかもしれない。
あくまで読み物だったらもっと完成度高いコンテンツはいっぱいあるし。
でも、そういうことだよな。
noteのアカウントが消えていたらそういう人だったと思ってくだされ。
おやすみなさい。
良い夢を。