22:26から。
本日はお休みだが、昼過ぎまで遠隔でちょっとお仕事。
先輩女子も犬型新人もダウンして休みだったらしく、緊急事態だから、別に構わない。それでも、配慮してLINEを送ってくれるのが分かる有能な事務先生。
若い女子がダウンしていると聞き、犬型新人にはお大事にと個人LINEを送ったが、先輩女子には送らない。自分に正直になったものだ。これって解釈の問題。
単に好き嫌いという説もある。先輩女子は好きではない。積極的に排除することは無いのだが、僕が当人に配慮していると思われると際限なく侵食されるもんで。良いとか悪いとでは無くそういう劇場でしか生きられない人は居るというだけ。
もうちょっと穿つと、好き嫌いって理想みたいな条件付けではなくて、直感寄りなのが本質な気がする。好きというのは自分にとって快い感じが在るという言語をちょっと砕いてみる。
犬型新人に対するLINEは、別に僕が彼女から良く想われたいという意図は全く無く、単に心配だったからというだけ。あんまり長々やると変な感じになるのも分かるから早々に切り上げたのだが、その中で、当人が休んだことによって硯が出勤したのかということを心配してくれるの、凄く人間。どちらも一方通行だけども文脈として繋がっている。
事務先生は犬型新人のこの感覚を昭和っぽいと評すのだが、昭和時代は、これが義務的に正しいと教育されていただけであって、きっと保守的な概念だったと思う。敵を作らない為のノウハウを道徳律に乗せて教育していた。僕はこれで生き延びたのだが、もう別に要らない。
令和時代になるともっと個人が個人だから、場はもっと自由に扱って良いから、この時代に場に居る人のことを無邪気に心配できるのは、さぞかし前世で徳を積んだ人物なのだろうなと。セルフケアもしっかりできていそうだし、凄いなって。
だから、僕も無邪気に心配できる。
その先、みたいなことはありえない。単に一期一会のイイ子みたいな感覚。深くなって得したいということはない。
いや、一期一会の人はそれぞれ先生だから大事ではある。
全部の情報をまるっと客観的に把握するのは個人の脳では無理だし、あくまでまなざしが向いた景色しか見られないのが人間。一期一会の人は、視点を転換する余地を教えてくれる人。大事な登場人物。
満月さんが、僕の愛が枯渇しているのではないかと述べる。
曰く、当人が言ったこと全然記録していなくて、やたらと同じことを聞いてくる、昔の硯さんだったら、もっと私のことを覚えてくれていたって。
これにも色々と解釈がある。
結果はもう起こっていることに対して繕っても仕方ない。こういうスタンスが冷たいと思われるのかもしれないが、自分で生きるというのは、他者の感情に依存しないことだと解釈している。
タスクがパンパンで記録項目の脳内処理で優先順位が低くなっている説。
たしかに、大事だから覚えているというものさしで言えば、満月さんが言っていることはたしか。ただ、仕事の案件は外すと信用を失うけども、満月さんとの項目は外したところで関係性ができているから、もう1回聞けば良い。
仕事みたいに外せない重要案件の人になりたいんだったら他人と同じ世界観のものさしで僕を測っていることになる。見返りの話なのかなって。
仕事案件よりは満月さんのスケジュールを把握する重要度は低いから、軽んじられていると思われているのは分かる。しかし、僕は最重要項目であるはずの自分の休みも把握していないから、自分と同じ世界観に巻き込んでいると言えなくないだろうか。
巻き込まれた満月さんはそりゃあ大変だが、独り身で培ってきた家事項目が有能だもんで、生活上家事労力はそんなに無い気がする。知らんけど。
そもそも、大事にしているから覚えているみたいな世界観は僕にはない。
情報を記録するときの精神状態が全てという説。全力で覚えようとしたところで自分の世界と一致してないと無理だし。
別に自分の誕生日を覚えられていることで大事にされているとは思わないんだよな。
「大切なことは目に見えない」
言葉が目に見えるものなのかというと微妙だが、言葉って凄く操作性があるから、知識とか見識とかも言葉で積めば自分の存在と一致しているような気分になる。実際やっていなくてもやろうとしたでやった気分になれるとか。気持ち良くなれるお薬みたいなプラセボ効果も得られる。
人生劇場って、結局どれだけ自分が気持ちよく過ごせるかだから、言葉で気持ち良くなれるのもとても大事。どれだけセルフケアできるか。
なんだっけ。
本日の午前、仕事しながらお勉強しようと思ったが、洗濯物がやたらと溜まっていたし、お勉強モードになるとお仕事モードに切り替えるのも大変だから、ニュートラルで過ごしていた。
満月さんには昨日勉強しようかなと言っていて、「勉強できた?」と聞かれ、「全然」と答えたら、ちょっぴり残念そうな顔をされた。オトナが勉強モードになるのは滅茶苦茶大変なことは言えない。僕が洗濯しなかったら明日大変になるということが文脈として分かっちゃうし、生活上の優先順位は滅茶苦茶低いから、無理矢理上げて時間を創らないとできないこと。
別に誰が褒めてくれる訳でもないし。
いや、僕は褒められるとやりたくなくなるし、強制的にやらせようとされても萎える。
この天邪鬼性は、なんかそういう言われ方をされると操縦されている気分がしてくるから。
言われなくても必要ならやるわって。
やらないということは当人にとって必要じゃないからという説。
僕は必要なことはきちんとやっているような気がする。
先日大阪に行った時に、天牛書店で古書を買ってきた。
「思考の整理学」で有名な外山さんの「読者の発見」だっけ? と、そろそろ読めるかなと思った、メルロポンティさんの「行動の構造」みたいなやつ。
今朝お風呂に入りながら読んだのだが、誰にも自慢するでもなく財産とするでもなく無目的に本を読める自由を得られるこの経年がとてもありがてぇとしみじみ感じる。誰かと読書空間を共有しちゃったら、自分にとって良い読書をしなきゃならないし、その空間に居る人達と共通の語彙で語らないといけなくなる。
場に合わせて深く潜れない。
潜ったところから拾い上げてきた言葉というか感想は漂流させるけども、それによって僕が認められたいというニュアンスは無いので悪しからず。
僕はもう僕を赦しているから、誰かに認められるために動かないといけない動機が無い。
ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。