22:43から。
そういえば、理由を付けて動いていない。
自炊におけるキッチンは循環の場であって、最も大事なのはスタートとであるまな板と包丁とフライパン。これが洗われていないと、作ろうという気分が片付けから始まって萎える。洗い物が溜っていてもこの三点セットが整えられていれば、料理しながら洗い物ができる訳で。これは理由が要らない日常の話。
この話、別にどうでも良いのだが、ふと思った。昼ご飯レベル落ちている。
前職の時は完全自炊だったのだのだが、今はコンビニおにぎりが常態化している。お弁当生活に戻った方が絶対健康になる。なんでこの時間が無いのだろう。
それは次の日のことを考えて料理を作って居ないから。
料理が日常パートで無くなっている模様。日常パートに戻さないと、変に食費がかかる、かつ、不健康になる。毎日おかずがもやし炒めでも充分まとも。仕事においてきちんとお弁当を食べる時間が無いからということもあるのだが、だからと言ってコンビニおにぎりで良いとはならない。
自分の身体を蔑ろにしているわ。
いや、飲酒喫煙していて何を宣うとか想われそうだが、こういう体の糧にならない霞のような嗜好品より、毎日体の糧になる食事の方が大事だと思っている。成長期過ぎたらそんなに要らない。
さておき。
本日はお休み。
なのだが、遠隔で某人に指示を出していた。
この人、人っぽいAIだなと思う。オペレートをきちんとすればちゃんと出力してくれる。それだけの人。これ人なのか、もうワカラナイ。人としての余白ないし変化を気にしなければ付き合っていける人。
僕の人認識がオカシイという説は認める。あくまで自己基準だから。
動く(変化する)のが人で在って、動かない人は人生劇場において、NPCみたいに把握するしかない。
どうでも良い話だが、僕が人と接するときに脳の一部を休眠させている説は、別に本気だしたら社会的に凄くなるということではない。単に内部で一番動けるのが人と接して居ない時というだけ。なんなら山(森)の中で散歩している時が一番速そう。
休眠させて調律しているのは、僕が素朴だと別に独りで生きて問題ないから。という説。
水準を下げないと、人と関係できない。
もちろん、水準を自分基準に上げたところで自分が楽しいだけで、そこで何か成功に繋がるビジョンは今のところ全くない。
たしかに、僕を人と認識する人からすれば、「この人大丈夫か? ちゃんと生きて行けるのか?」みたいな心配が走る模様。
心配されなくても、別に特に保証される世界で生きて居ないわという素朴が抵抗してくる。
あえて合わさないときもある。いや、むしろ合わせているのか。相手の人生劇場における登場人物となっちゃう。これが調整。独りだともっとやる説。関係って時間が遅くなる。
さらにどうでも良い話だが、何処かの日記にスキを付けてくれた人の文章を読んだ。
だいたい足跡つけてくれた人の文章は読んでいる。
なにやらネットでカウンセリングをしている人っぽいのだが、僕も患者対象として読まれているのだったら。なかなかえぐい。
他人に話して気楽になる事情は無い。
僕の話、聞けんでしょうと思っちゃう。
たぶん、聞き手側としてのアレコレだとだと思う。
聞き手ってほんと大変。ちゃんと聞くと人生劇場が変化してしまうもんで。
もう寝る時間だもんでここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。