よそはよそ、うちはうち

22;27から。

なんだか随分と図々しくなれてきている。

店長と2人。

色々詰められた気がする。

「何回も言っているけど」という枕詞があると堪えない。

というか、覚えられない。これには色々解釈があるのだが、相手からそういう人と認識されていることに甘えてしまうという説。

基本的に物覚えは良いし、やることはやっているという自負はある。

自信ではない、完璧な自身は保守的な劇場でしかないし、落ち度を他責にしてしまう。

芯がある人はおっとりするという動画を見たのだが、結構その通り。

ちょっと違うのが、余裕があるおっとりの源泉に他者からの愛があるみたいな話。僕はここを自給自足していて、特に他者からの肯定があれば余裕ができるみたいにはならない。余裕の源泉は、劇場を楽しんでいるかどうか。他の人と歩調を合わせていないからおっとりしているように見える。

時間軸が違うだけ。

店長は僕が社内の事務作業をやっていないことに対して、「社長から刺されるよ」みたいなことを言うのだが、とんと響かない。自分を守る為にお仕事をしている人には響くのだろうけども、僕は自分を守るような保守的な仕事をするより、お客様視点とか同僚視点で仕事している。それで僕が仕事していないと刺されたところで、知らん。

査定が下がる訳でも無く、店長が刺されるだけだから、店長が僕お仕事量を調整しないといけないだけ。僕をコントロールしないといけないのだったら、ちゃんとそれをする時間を創るのが店長の技量。

という図々しさを習得してきている。

僕は自分だけで仕事しているという価値観が無いもんで、自分が割を食っても場が潤滑に回る方が大事。

店長も某人も事務先生も、割と自分を守る為に仕事をしているのだなと思う。

軸がちょっと違う。

いや、経年すれば守らないといけない項目も増えるからという一般論は分かる。

某人は何も守れていないお仕事していないから外しても良い。せっかく知識を蓄積しているのに他人に流せないという意味で保守。

かという僕は、経年するほど守るべき自己を無くしていっている。

立ち位置守らなくても、別に自分は存在しているという認識。

自分が苦しいのは自己満足の勝手であって、そんなに世界の責任にするものではない。

もはや苦しかった自分の過去もどうでも良い。

厳密にはどうでも良いではなく、経験にしているだけで、他人に同じ道を辿れとはならないという意味。年功序列で他人にも同じ道を辿れみたいな不親切な人が多いけれど、こういう風に教える人の意味がワカラナイ。なんで苦しかったことを下にもやるのか。

今の自分に至れるようにが社会的な自己だとすれば在り得る。

教育として社会の荒波の一部になるということ。

ただ、こういう教育方法はかなり迂遠だと思っている。

教えたくないから相手の劇場上登場人物になるというのもありだが、なんというか、あんまり人物にはなれていないと思う。

要は、人生劇場にやってくる人って、それほど僕を気にしていない。

僕が過剰に気にしているだけだから、調整をかけないといけない。

仕事とミスしても満月さんのイベントを忘れても退場させられる訳でも無い。

僕はもっともっと楽しく生きられる模様。

ここまでやっとやって来られた。

僕の文章はオチが無いし情報も特にないから、僕と実際話してもあんまり面白くないと思われる。実際の僕はだいたい聞き役だから、発話はそんなにしない。するとすれば相手の思考を促す方向であって、僕の場にするみたいなことはしない。

アルコールが切れたもんで、ここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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