21:45から。
誕生日にお仕事が詰め詰め。
満月さんが美味しい晩御飯をこさえて祝ってくれた。
タコのカルパッチョ、春キャベツと新玉ねぎのポタージュ、シャンピニョンパスタ、鶏ももに肉のブルスケッタ。僕にゃあこんなお洒落な料理は創れない。
お腹が結構いっぱいだが、これからケーキもある模様。
ええこっちゃ。
お仕事。
店長からラムネのプレゼント。
ありがたや。事務先生は本日出勤していないぽんこつへの嫌味として、「ぽんこつにもあげて下さい、集中力落ちているから」と宣う。
たしかにその通り。
ぽんこつの仕事の落ち度が店舗全体に波及して、店長以外の全員に無駄に負荷がかかっている。新人じゃねぇんだから、もうちょっとやって欲しいのだが、日に日に業務が衰えている。僕の暗黒時代のポンコツ具合とよく似ている。普通出来るでしょうということができない。病むようなストレスがかかる業務はしていないから、腑抜けの五月病なのかな。
僕も自分の業務に負荷がかかることは気にしなかったのだが、流石にもう駄目。
この人の尻拭いをするような業務時間の余白が僕にはもう無い。
お客様の2度手間になるような仕事はもっての外。
手抜きでしかないから許しがたい。頑張っていて余白が無くなってと結果的には一緒だが、後者は進歩の余地があるし、余白ができたときにどう動くのかが人の本質だと思う。
ぽんこつが目に付くのは、この人がサボっているからではない。
僕が余白無くてお客様に寄り添えていない部分を素朴でやっていて、僕の悪い部分が剥き出しに見えるところ、という解釈。この人の人間性なんて、僕がイラつく価値も無い。
物理的余白(時間)がほとんどなかった仕事時間。
事務先生もぴりぴりとしていて、諸々と僕の落ち度を詰められる。
いや、当人の視点では単なる指摘なのだろうけども、声のトーンがいつもと違う。
解釈では、ぽんこつへのイラつきが事務先生の余白を無くして、余白が無い時のトーンなのだろうなという解釈。余白が無い時は世界について悪い部分が見えすぎる。
なんとなく事務先生の視点も把握してきたもんで、自分先生の視点に波長を合わせて心地よくすることもできなくも無い。ただ、事務先生の視界には無い部分でのお仕事もあるもんで、そこまで合わせられない。
店長の視点も同じこと。
単なる想像的読解だけど、店長と事務先生、「自分を守るお仕事」という意味で世界観に共通項がある。店長としての立場と、事務を統括する立場と。僕はどちらの立場でもないから、どちらかに拠って動くことはできないし、なんならしない方が良い。1スタッフの立場としてすべきことは攻撃されないように自分を守ることでは無く、むしろこの両者に迷惑をかけることを怖れずに成果に向かって動くこと。
それでもできてなければ本気でお叱りを受けるはずだが、ポーズを越えたお叱りは受けていない気がする。店長も事務先生も保守的な世界観だけど、それぞれ守るところが職位として違うというだけ。
という読み。視点は採り入れるけど、どちらの視点も僕の行動の規則としてはいけない。
その立場を経験していないのに何を高尚なとか読まれそうだが、経験せずとも俯瞰とか相手の立場を想像することができるのが人間の醍醐味であって、いくらでもやって良い。
鷹の目で自分を眺めた方が、客観的な自分を把握できるし。
これが例の「不思議な人」の世界観らしいのだが、この視界が通じる人と出逢ったことが無い。僕、守りたいアイデンティティがとんとない。
素朴に還ると言葉尻がどうやら相手をけなしているように見えるらしい。
気を付けているからあんまり無駄に話さないのだが、素朴が無駄に相手の負の部分を刺激するらしい。
相手の鏡になってしまう理論。
ただ、もうあんまり相手に周波数合わさなくて良いよなと思って来た。
周波数だと分かりにくいし、波動だともっと。世界観でも良いし、語彙でも良いし、行動準則でも良い。同じようだと認識されなくても人として捉えられるし、あえて同じに合わせる必要が無い。その分割を食って損するかもしれないが、僕が損するような相手とは縁を切れば良いだけ。
いや、そもそも損得勘定で生きていないのだが。
犬型新人と個人LINEをしていて、「励ましありがとうございました」とのメッセージがあったのだが、僕としては励ましの意図は全く無かった。励まして何か返ってきたらいいという意識も無い。好意が返ってきたとて返せない。生涯の伴侶が居るもんで。
「職場で人間の心を持っているのは硯先生だけですね」というフレーズが出て来て、なるほど、この人、人間だとなった。人間と定義ってそれぞれ自己を前提としているから、損得勘定で生きている人は自分が相手に得を与えるから人間だとなるし、得を与えてくれる人だけが人間になる。
損得勘定で生きていない人の人間は、同じように人生劇場で身動きをとっているかどうか。
モブっぽくというかNPCみたいにルールが外にあるのではなく、内にある人。
この文脈で言うと、教育って人をNPCみたいに外からのルール付けで生きるように機械化する矯正と読める。たしかに常識って社会でよちよち歩きできるようになる前提みたいなところはあるけれど、これが世界だと思っている人はどうあっても自由に生きられないと思う。アンチ常識も論理的には同じこと。遵守するのも反発するのも水準は同じ。
で、犬型新人は休日出勤してきて、その後お祓いに行くとのこと。
ちゃんと聞いていたつもりだし、単純に興味はあったのだが、普通に聞いたつもりでも「馬鹿にしてますよね」と言われる。
犬型新人、(満月さんも別の方向性で)自己肯定感が低すぎる。個人的にはイイオトナは自分のご機嫌くらい自分で取るもんだと思っているのだが、ここができなくて自分の機嫌を他責にする人が多い。
僕のご機嫌はだいぶ方向性が違うので、自分で守るしかない。
誰かと居ることには無いというか、あくまで独りで調律を良くしているから他者と関われるという世界観。これはこれで自責過ぎるからあんまりバランスとしてよろしくないのは自覚している。
にも拘わらず、2人でご飯会を開催しても良い犬型新人が面白い。
変な話、僕が当人にとって「得になる」と認識されているだけという解釈もあるが、そんな人だったら僕より店長に阿るはず。
ぽんこつのぽんこつ振りを語っていたら、いや、私が気付くべきだと自己卑下みたいなことを言い出して、最下位の職分でそんなこと考えなくて良い、自責にし過ぎって流石に言った。
たしかに人間である。
僕もとことん自責で苦しんできた。
この自責か他責の世界観って、先天的なのか後天的なのか。
個人的には経験の前に決まっているという説。
後天的にどれだけ学習したところで反対側には移れないような。
他責にすれば世界に怒れる。
自責の怒りはもっと内に秘められる。
これはどちらが良いという話でもない。
守るべき世界が違うだけ。僕が守りたいのは自分(誰か)というより、身動きがなるべく自由な世界。
明日も事務先生に詰められる未來が決まっている。
誕生日だから早く帰りたくて残して来た仕事があるもんで、叱られるに違いない。
事務先生が仕事で守りたい世界は、お客様では無くて事務が完遂されるかどうかだから、僕とはややずれている。僕に情があるもんで丸投げできていないだけかもしれない。事務的なところは給料分のお仕事だし、首を突っ込んでもイイ。
犬型新人が事務先生に人間味を感じ無くなったのはそういうこと。
もっと落ち着いてくれば人間が戻って来るかもしれないけど、今の感じだとご飯会に来る余白は無いように見受けられる。
職場のご飯会において、どれだけ仕事と無関係な話ができるかが人間関係だと思っているもんで、だから犬型新人と開催できる。お互い守るところ無い話。僕も犬型新人も無駄にその場の話を職場に流さないという不文律がありそう。僕は結構噂話は垂れ流すのだが、本当に流していけないことは流さない、
はいここまで。
これからケーキを食べるのだが、湯船に浸かっている満月さんが帰って来ない。
きっと浸かりつつアプリ漫画を読んでいるに違いない。
お休みなさい。
良い夢を。