読み方次第

22:21から。

公私詰め詰めで諸々と自分の時間を作れていないけれども、本日は日記時間がある。

ありがたや。

世界を面白がっている。

これって、別に誰かから評価されたからここで生きている訳でも無い。自己の評価って相対では無く絶対だから、誰かから何かを言われたところで、本当に自分に信頼があれば誰かから何かを言われたところで一蹴できる訳。

どれだけ他人から言われたところで、自己の存在が確立していたら、必要なところだけ採り入れようかと動けるだけで、メンタルにダメージが無い。僕はそういう奴だった。自分の世界観を守るために誰かとか世界の責任にしない。

これって、おそらく世界の詰まらなさを自分の責任にしているのも同じ(某神〇さんの文章、自分の世界から外に出ていない、読んでる側は面白いけども、そんな人生で大丈夫かって想っちゃう)。

お父様とお母様がこちらにやってきて、ついでに弟愚者もやってきた。

僕の中の「人間」の定義は、ただ生きているのではなく、ちゃんと世界に影響されるというか、端的に言えば、ちゃんと「人の話を聞けるか」ということ。話しを聞いて耳が痛くても、それを行動に移せるか。

変な話、お父様が動いたのは僕の影響もあると思われる。

がーがー怒声を発しても聞かないという観念はきっと布目家には無かった、かどうかは知らないけども、音量下げて話して下さいと言ったら弟愚者にやってくれたし。

これは、功績ではなくて、存在感の話。

僕は基本的に人のこと操作したいという感覚が無いから、当人の世界観で勝手にやれば良いという立場だし、僕との相対的な関係より、絶対的な当人の世界観の方が気になる。

弟愚者がドラマのように土下座してくれるシーンがあったのだが、個人的には全く感動しなかった。だから何? って。お父様の感覚と近い。信頼は行動によって生まれる訳で、言葉で「しようとした、これをします」なんて、その人を捉える指標にできない。業務でも私生活でも同じこと。

言葉なんて内部の話であって、そんなの動けない理由にはならない。

ここまで。

おやすみなさい

よいゆめを

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