人生劇場は続けるに値する暇つぶしか否か。
22:23から。
お仕事。
〇意。
内容を満月さんに話したら、本人に意志表示という意味で言った方が良いと言われた。
僕としては言葉って伝わらないと意味が無いと思っているもんで、言いたいことだけ言ったらスッキリする感覚は無い。
ほんとうに言うなら、覚悟を決めて、相手の世界観の中で相手の逃げ道を無くすまで話すことになる。別に怒っているんではないし気に食わないでも無い。ただ、冷静にこの場に要らないと捉えているだけ。
こうなると改善要求では無くて、こんこんと貴方がこの場に要るためには価値観を変えないといけませんねという話をすることになる。
そんなエネルギーを遣う価値があるのかというとそうでも無く、自分の仕事に時間をかけたい。教育する職位でも無いし。今の立場で言うと、僕が単に気に食わないから言っていると解釈される可能性がある。外堀から埋めればなんとかなる気もするが、事務先生に促しても外堀は現状埋っていない。
ぽんこつは仕事の姿勢が悪い。
凄く退屈そうに仕事をする。なんならバックヤードに頻繁に行ってセルフ休憩をしている。
個人的には勝手にやってればというか、どうでも良いだが、この人が居ることによってスムーズにいっている仕事より、滞留している仕事の方が多い。
で、この〇意は、別に本人に言わなくても良い。
内向的なもんで、その景色が何故気に食わないのかに向かう。
人生劇場を退屈にするということは、どこかに面倒事を投げて、逃げている。
面倒事は誰かがやってくれるわっていう世界観だったら、そりゃあ退屈になるに違いない。
で、僕が思っているのは、この人生劇場にまつわる「面倒事」こそ、退屈を回避する手法なのではないかという解釈。柵から解放されたと思っても結局は自分の出自からは逃れられないし、結局1人になることはできないし、都合良い世界というのも無い。
個人的に次にメスを入れないといけないのが、実家関係。
思惑とか感情が錯綜していて面倒なのだが、解決しとかないと次に進まないステップなのかもなと。
いまのほんとうの自分は、退屈している暇が無い模様。
公私、面倒事はまぁまぁ請け負っているし、それに対して感謝も特に要らない。いや、これが当たり前だと思われていたらちょっと心外。1人時間の為に色々家事とかやっている訳でも無いし、面倒だけど、だからといって、同じようにやって欲しいとも思っていない。できることをやらないというか滞留は困るけども。
ほんとうに困るのは、僕の存在で時短というか面倒事を回避しようとする人。
ぽんこつがキモチワルイのは、もちつもたれつでは無いところ。世界が一方通行な人と関わる必要が無い。話を聞くだけの相手って退屈。いや、僕は一方的に聞くのも面白いのだが、「貴方もそうですよね」という言われ方が苦手。いやいや、貴方の世界観に僕を巻き込むなよって。こちとらもうそういう煩わしさは終わっているんですがって。
弟主人公、さくじつ、僕が作ったサラダに対して賞賛をくれた。
なっつとぅーゆーで注文すればこのサラダまた作ってくれますか、みたいな。
弟主人公は結構世界に悲観的な人なのだが、僕が世界に悲観的では無いもんで、世界に対しての褒めを僕に持ってきていたいただいた模様。僕は別に褒められて自己の存在感を満たすほど飢えていないもんでどうでも良いのだが、弟主人公って人を認められなそうなのに何故か僕のサラダは認めているという不可思議。
僕のサラダの完成度は試行錯誤の成果だもんで、ある意味秘伝。
同じように作りたい人に継承することはできるけど、いつでも同じようにできる自家製ドレッシングでは無くて、だいたい
同じく目分量で試行錯誤してきた人には通じるかもしれないが、望みは薄い。
客観的な信ぴょう性って定量だから、調味料をきちんと配分すればだれでも同じご飯を作れるというのが一般論。
個人的な観測だと、料理って芸術作品だから作者の気分による気がする。
僕は食べる人に合わせて創る傾向にある。食べる人は自分だもんで。
でも、作ってきた習慣でしかご飯を作れない人も居るよな。これも退屈。
ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。