帰還

信用は現象的、信頼は心理的。

21:46から。

本日はお休み。

健康診断に行って来た。あんまり変わってないと思われる。

だって、去年から特に変わった生活してないもの。あえて言えば、お弁当を完全自炊にするのが生活上の改善点。時間が無くても必要だったら毎日の時間にできる(昔はしていた)。

視力検査はまだいちばん小さいのが見える模様。体重とか採血って3本も抜かれるのだっけ。抜かれるとちょっとひゅっとする。ある意味身体の危機だから当たり前か。

変な話、変に空腹時間を作ってしまう健康診断に不健康性があるような。

空腹に耐えきれず、というか、ジャンキーな気分になってコンビニで弁当やらアイスを買って食べてしまった(アイスは本当のところ満月さんへのお土産だったのだが、内緒)。

もちろん、生活ってこんな1回ではなく日常の方が重いから、別に1日くらい生活習慣崩れても良いじゃんというやり方は分かる。ただ、僕としては、生活って1回の連続じゃんって思うから、時間が短いから相手の時間を侵襲して良いという考え方には賛同できない。

何の話や、と読まれるのが文章脳。

ここ何日か自分の時間がなかなか取れなくて、読書もあんまりだし、文章も書けないしで、脳が凝り固まっている感じがあった。別に脳が凝り固まったところで、外から見た僕は特に変わらないし、なんなら調子良く見えるかもしれない。

ただ、これをしていないと、「いま」をあんまり生きていないなという感覚になってくる。

自分の趣味だから守りたいとかの「その時間を現実とは別として確保したい」みたいなものとは違って、別に何処で過ごしても現実だけども、素朴な自分として調律させたい時間という意味合い。たぶん、そんなに意味が分からないと思う。それで問題ない。

ほんと、ゆっくりの自分時間があんまりない。

これは私生活もあるけれど、お仕事時間のが面倒。まぁ、どちらもより良い環境を求めてみたいな冒険者ムーブをしたところで、何処に行っても同じ問題で引っかかる。

僕の次の課題は、僕の内部というよりは、外部をどうするかということになっている気がする。外から見ればそうは見えないかもしれないが、そんな視点はあんまり関係ない。

さて。

そんな自分時間を確保するために、宅建の動画を読みながら今日記を書いている。

あ、満月さん帰ってきた。ちょっと生活モードに戻る。

戻って来ました。

時間と予定。

この営業職、他人との時間を調律する業務が6割(体感)くらいある。

僕はここがとんと苦手。人ってそれぞれ時間のペースがあるし、それをあんまり誘導したくないという素朴がある。別に自分が相手に合わすのは僕だけが無理すれば良いだけだから、日常的。

ただ、やろうとすればできるからある程度できているという向きもある。

予定を立てて、その時間に待ち合わせて、その時間を有意義にする。

なんて、あたり前なことが嫌なのは、「予定」がいまの話では無いところ、未來のためにいまを制限する価値はあるのかなって。

あと、自分1人では無くて、諸々の関係各所が関わってくるのも大変。

介在する部署が多ければ多いほど時間がかかる。面倒。それぞれの部署の人もお仕事をしているし、配慮しちゃうし。

資本主義って、もともと分業で効率化して生産性を高めるというコンセプトであったはず。

たしかに、単純作業であれば分業特化の方が効率的だったと思う。どの作業ができるかで振り分けて行く。

ただ、今後そういう単純作業系はAIが賄うようになったとき、人材の捉え方が変わってくると思われる。おそらく、自分の職分からやや延長した業務のことも考えられる人。だって、そうじゃないと、、

知らんけど。

休みの日に仕事のことを考えないといけないって、仕事の概念としてはおかしい。

それが楽しければ問題ないけども、義務だったらおかしい。

僕は義務でも無く考えている。古き良き時代の営業だったら当たり前かもしれないが、今やそんな時代でもない気がする。

僕が問題としているのは、業務時間というより、内部のところ。

休みの日に仕事のタスクを気にしないといけないのは、業務時間ではないけれど、内部に余裕が無くなるということ。

そのタスクがなければ、もっとどうでも良いことが考えられる。

どうでも良いことをどれだけ考えたり感じたりできるかが人生劇場の醍醐味。

必要は「場」によって決まっているから、そこでどれだけ考えたところで箱に入ったノミの飛び方な気がする(鉄拳チンミ参照)。

もうちょっとはこの職場に居るつもりだが、ここでのし上がるより、違う道がある気がしてきた。

健康は数日とか1年でも変わらないけど、認識は瞬間で更新できる説。

人生劇場、発想が大事。

とりあえずここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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