ちょっと違う解釈。
23;00から。
おにぎり。
大人のふりかけ(わさび)とちょっと良い梅干し味。
毎日作ることを決めれば、あとはどうするかだけ。そこに作らない理由が入り込む余地はない。
そういう風に生きられるようになって来た。
目的とか動機で生きる方式はなんというか、しない理由をいくらでも言い訳できる。しているうちはスイスイかもしれないが、しなくなったら罪悪感なのだから、なかなかのアリ地獄というか馬に人参的。この方式、動力が精神だよりで良くない気がする。精神が枯渇したら、自分の中に居るアリジゴクに食べられ続ける。
アリ地獄って慣用句だけど、生のアリジゴクの巣を弄ったことがある人はどれくらい居るだろう。葉っぱでちょいちょいとつつくと出てきて捕まえられるのだが、フォルムは、省略。
この話もどうでも良い。
お仕事。
相変わらず、身体が行きたくなさを示している。
本日もちょっとお説教された。成長が全く感じられないって。
自分の成長とかどうでも良いと思っている。成長という概念って、目的ありき。
太陽を目指してすくすく育てるのは、日向で過ごして居る陽キャというか、他のことが目に入らない人だと思われる。
自己観測で気にしていることすれば、変化。他人から観測すれば何も変わって居ないような微々たるもので、変化をしていれば良い。自分の存在に対して、これでイイという座れる場所なんてきっと無い。動物なのだから、退場するまで動いてなんぼ。動かなくて良い場所に居座れるのは植物の特権であって、人間だと無理が生じる。
だって、人間が動物だから心身動きたくなるのが当然。
ただ、店長は目的志向なのに、このお説教をされる意図を読解する認識。
できると思っているから言ってくれているのだろうなと解釈できると、苦言を呈されているとは趣が変わってくる。あの人は変わらないみたいなことだったら、直に言う目的が無い。
僕は、めちゃくちゃやりにくいなと認識している。
だいたい否定してくるから。
ただ、受け身は止めろという話、対お客様だけのことでは無いとすると、目上の人としては保ちつつ、職場で小躍りするくらいの解放をしても良いのではないかとなってきた。
いや、普通の職場なら無理なのだが、ここならワンチャンあるかもって。
僕がやりきっていないよねという話が苦言の主だから、もっと頭も身体も解放してみて良いのではという解釈。
見えていることに影響され過ぎというのはたしかにある。
そこに自然と合わせてしまうから、窮屈に生きることになる。
他人は尊重すべき対象だけど、まずは自分を生きることが大事とすれば、他者の中に在る自分なんてどうでも良くなる。あんまりやると、ほんとに場に合わない話をし出すもんで自制しないといけないが、元気は元気。たぶん誰よりも。
声量とかの面でもっと元気良くと言われるのだが、僕は内部ではいつも元気だし、そんなに外から影響されない。
別に元気に観られる意味を感じ無いだけ。
元気な人が騒がしいというのはどうも虚偽的。
知らんけど。
今後の変化の展望とすれば、社会の場でも他人の空気感を気にしなくすることだな。
もともとその気があって、空気に合わない振る舞いはなんぞやって怒られて抑えたけど、素に戻って、もっと空気を読まないようにした方がちょうど良くなるかもしれない。
ここまで。
0時までに抑えないと明日が大変。
シンデレラなもんで。笑。
おやすみなさい。
良い夢を。