恋と愛

アルコール関係無く、やたらと眠いしやたらとお腹が空く。

次の移動への備蓄なのかもしれない。

22:17から。

2連休の2日目、昨日もだけど、あんまり上手く文章脳に入れない。

本当は、すぐさま勉強モードに入りたいのだが、共同生活上のお仕事(家事)が残っていて、なかなか難しい。

言い訳では無くて、優先順位の話。

自分を大事にするのであれば共同生活上のお仕事なんて放っておけば良いだけのこと。それができないのが自分。これが美徳だと言っている訳でも無い。単なる習性の話。この習性からすれば、、

昨日、満月さんからすき焼きのリクエストがあったのだが、支度が遅れて、お風呂から出た後に作ろうとしたら、お風呂から出たタイミングで帰ってきてしまった。最終的には作る気だったし、実際作ったのだが、その時に、満月さんから「何をしていたの?」と聞かれる。

当人は工程が遅れていることを責めている訳では無く、単に聞いていただけとのこと。

たしかにそれも分かるのだが、僕はこの聞かれ方、ほんと嫌。

店長もちょくちょく聞いてくる。自意識過剰と言われればそれまでなのだが、凄く責められている気がする。

もうちょっと細かく書くと、相手から僕に対してこれこれの現実的現象(あるお仕事とかすき焼きとか)という期待があって、ある時間単位の中でそれができていないことに対して、じゃその間何をしていたのという一人称視点が嫌。

もちろん、その間、別のことをしていたという言い訳をすれば良いのだろうけども、言い訳したところで結果は変わらないから、当人の中で怠惰な人という認定になるのだろうなって。

僕は自分の中では全然怠惰ではないという認識。割とせっせと色んなことをやっているし、変化もある。この進捗は外からはあまり見えないから別に怠惰でも良い。

ただ、この相対的世界観だと、動いていない人ほど人が動いていないことが見える、ということになりそう。人の静的側面がその人の本質であるなんて僕は思っとらん。

この文脈で、恋と愛の違い。

恋の根っこは興味で、愛の根っこは生活。

興味の世界だと人って視野がとても一人称。これはこれで生きる原動力だから良いのだが、ちょっと期待からずれると、一気に醒めることもある。

昔僕に恋して付き合った人が、すぐ醒めたのは、私的空間になるとだいぶ期待と違ったから。

いや、今当時に戻ったら王子様ムーブみたいなことはできると思うし、今でもやろうとすればできる。

興味の質もある。恋ではまるっと相手のことを受け入れらない。

結構、どれだけ自分にとって都合が良いかが本質のような気がする。

もちろん、恋と愛をマーブル的に捉えている人は、そのまま人称増えても問題ない。

僕が人に恋しなくなったのは、人を好き嫌いの一人称で判断することを辞めたから。

厳密に言えば、もともとがそうだったから戻っただけ。

好きか嫌いかって、あくまで興味の言語野だと思う。だから大小を測れると認識されている。

本来、人への好意とか嫌悪感って量の話ではないような気がしている。

人を定量的にしか見られないって、何か認識が洗脳されていないか。

いや、分かり易いのだが、人間ってそんなものだっけ?

ところで、お仕事場での擬人化がバレてきた模様。

特に変なこともしていないし変な発言もしていなのに、何故か僕が独特だと認識されているらしい。たしかに、経年すればするほど確固たる自分が剥がれてきている。

別に、「普通の人」なんて「完全な三角形」くらい存在しないものだし、店長も事務先生もいびつな普通の人。

恋は一人称、愛は人称がズレる。

自分がそうしたいみたいな方向で慈善事業をしているのは、恋(一人称)の範疇。

みたいなことを考えている。

世の中のだいたいの人は1人称で生きている。

僕はそこまでちゃんとした1人称が無い。関係を気にしなくて良い1人になったときにやっと出てくるくらい。あとは適度に誰かの一人称をトレースしている気がする。最近は満月さんをトレースすることが多いのだが、これをすると本人にやたらと怒られる。

人の精神性ってよほどの天才でない限り、だいたい先人の足跡を追っているだけという説。

でないと、自意識でコントロールできない領域があるということが信仰されているはずが無い。

ここに人生が楽しくない、の本質が含まれているような。

僕の素朴は、お仕事を楽しんでいる。

にもかかわらず、お仕事に行きたくない精神もある。不安感でいっぱい。

後者は、店長と事務先生の鏡としての精神性という認識。

仕事とは、しんどくあるべし、下にもこのしんどさを継承させるべし、みたいな世界観。

そりゃあ退場したくなるし、仕事より自分を守らなきゃいけなくなる。

犬型新人の相談。

地元の仲良しの人達が、結構やばそうな彼氏と別れろ別れろと言われて別れたのに、地元で一番仲良しな友達が自分の発言を信用してくれなくて怒っている。私は地元の人達とは仲良くしたいのですが、どうしたら良いですか。

素朴な一人称だと、こういう場でしか関係できない交友はアウトなのだが、ここは僕の話ではなく犬型新人の世界だから、人称をずらす。

仲良しな親友が犬型新人の「言葉」を信用できないのだったら、共通の友人に犬型新人はちゃんと彼氏と別れたよって信用されるように外堀を埋めたら良いというアドバイスをした。

たぶん、違う人の言葉だったら信用するかもなって。

犬型新人の話で出て来た登場人物、誰にも興味を抱かなかった。

地元の人だから大事なんてことは無いのだが、地元に生きて居る人に言ってもしょうがない

なんちゅうもったいない人生を過ごしているのだろうという視点。一般的には余計なお世話と呼ばれる。

結局のところ、恋は静、愛は動でも良いのかもしれない。

僕が動いているほど、相手は動かない。

待ち合わせ場所にはいつやって来るのだろう。

どうでも良いけど、僕が愛的側面で動くことに対して誰も労ってくれない。

別にそこは原動力ではないけど、これが当たり前になったら、パートナーじゃなくて、保護者になる。

いや、保護されるほど価値があるという一人称は良いけど、満月さんがそういう世界認識だったら、ずっと一緒には居られないと思う。きっと違うはず。

僕がトレースすべきは、じつは変人認定されている自分で良いのかもしれない。

これだったらいちいち他人に怒らなくて済むし、相手に期待もしなくて良い。

期待するということは、僕の期待にも応えてくれると思ったらそんなことは全く無くて肩透かし。

人に合わさない方が身動きが自由というだけの話。

おしまい。

良い夢を。

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