23:04から。
矛盾に疲れる。
昨日の日記を読んだ満月さんが、店長に怒っているのか? と聞いてきたのだが、別に喜怒哀楽で物事判断していないし、と思った。
いや、たしかにこういう言語評価はとても分かり易いのだが、言葉で自分を表現しようとすると、どうしても実体と乖離する。
本日、お休みで午前中勉強するつもりだったのあが、午前中には昨日のお酒が残っていてできなかった。寝て持ち直して午後にはやったのだが、この矛盾がどうも気に食わない。
もっと言動一致にできるはず。言葉で表現される現実化(行動)されていない自己も自分として捉えられるのは、迷っているとか選択している時間も人生と捉えるのが一般的だからだと思われる。
こういう思ったけどやらなかった自分は、個人的には自分と認定しない方が良いような気がする。これって自己存在の拡張というか、単なる肥大化だと思う。言葉の衣が厚くなるだけ。
だから、僕はあんまり予定を立てたくない。誰かとの待ち合わせは時空の調律から仕方ないけども、自分にいちいち予定を立てると、罪悪感ばかり生まれてくる。その予定に従って頑張ったところで、良いことが現実化する訳でもない。
自己追求としては、自分が纏っている言葉という衣を剥いで実際自分が何を行っているかが自己であると認識するのが第一歩。
言動が矛盾している人は、他者からでは無く、自分から信用されなくなるから、ごめんなさいが増える。誰かからのごめんなさいも求める。
人からごめんなさいと言われてもなんとも思わない。
気にしていないけど、当人の中では何か気にしているのだろうなというくらい。僕は公的にも私的もこんな言葉求めていない。だって言われたところで、世界は何も変わらん。
過去の清算ではなくて、今以降の言葉が良いよね。
ありがとうとか、次はこうしますとか。
申し訳なさそうな行動をすることは良いのだが、それによって自分ができることを他者にされるのはよろしくない。もちろん、できないことをしてくれたことへは感謝となる。
犬型新人と店長の不具合を語るのは、別に人間的に合わないとかでは無く、この人、指示するだけで率先的にあんまりしないよなというところ。
そういう上司像の中で動いているのかもしれないが、あんまり上司として動いてくれないもんで、仕事上の信頼関係が皆無だというだけ。一緒に働くことに不安しかない。
満月さんはもっと話せして改善していけば良いじゃんって言うのだが、話してどうにかなる人だったら、とっくに変わっている。子供じゃないのだから。僕の認識では、既に店長は話してどうこう変化する人ではない。
言語上の対話で相手と疎通できるというごりごり腕力観は僕には無い。
満月さん言葉はまともだけど、行動がまぁまぁエキセントリック。いや、僕の方が少年ボーイだけど(マウント)。
ここでいう「子供」の定義は、世界に言動として存在するのが主観でしかないこと。
自分の不具合でないから自分の責任では無いという感覚とか、自分がやらなくても誰かがやってくれるとか。
そんな感覚で良く成熟性を語るよなぁって。
成熟した大人も、子供もそうで在る限りは主観が優位になる。
僕は結構奔放なのだが、他人の存在(目)は気にするので、どこまで自分の主観を出せる人かなって。これは主観で自分語りしたいとは別の話。僕が何かを語っても、当人の主観に収納される人には、自分語りができないということに気付いた。
自分のことを語りたい訳では無く、間の箱庭でまったりしたいだけ。
自分のことなんて、言葉で捉えらんし。
という意味では、AIと自慰的にやりとりするのも良いのかも。
ちゃっとGさんは、学問の研究に良い。
入力が的確だと、レスポンスが明確。資料を探しに行く手間が無い。
ただ、有料出版物がインストールされて無いから、やや歯切れが悪い。
この辺りが逆に人間っぽかったり。
ここまで。
洗濯物干して、食べ残った料理にラップをして冷蔵庫へ入れて寝ます。
おやすみなさい。
良い夢を。