22:30から。
1人になりたい気分の日。
ちょうど満月さんも休みだったのだが、嫁だろうが恋人だろうが推しだろうが、生身の人間とはあんまり関わりたくない日って無い? 冷めたとか不機嫌とかみたいな原因では全く無く。普通ではないのだろうか。
これは外から観たら調子が悪そうに見えると思うが、なんだろうな。
エネルギーの配分の問題なのか、共感性疲労の問題なのか、特に言語化(原因化)を試みていない。
今朝、満月さんが、バイトの新人さんとの言語疎通について語る。
お互い誤解が解けて良かったなと思うのだが、個人的に、それほど言語次元の共通理解は求めていないかもしれないと思っってしまった。
たしかに、言語が主な疎通手段になる仕事場ならまだ分かる。新人相手とかなら。というか、仕事場でもある程度長期間過ごしていたら言語情報より非言語情報が蓄積してくるし、言葉で共通理解を得ることにどれだけの納得が起こるのだろうという気分。
内外を取り巻く世界を言葉で固定化していないもんで、内側の関係になるほど、定義で聞かれると答えられなくなってきた。
満月さんに「好きですか?」と聞かれても、僕の「好き」の定義は主観的な一方的な心地良さと都合良さみたいなところだから、逆に嫁を表現する言葉として不適切というか失礼な気がしている。「愛している」なら共同生活での行動だから、言葉はそんなに意味を持たないような気がする。
そんなかんや1人モードになっていたもんで、「硯さんにとって私は何ですか」と聞かれた。
即答はできなかったが、今想うと、別に法的な夫婦という意味合いではなく、パートナーって人生の「共同創造者」ではないかという言葉が出てきた。いつでもいちゃいちゃできるサブスクじゃないっていうのはインスタを眺めていたら出てきたフレーズだが、ほんとうにそうだとしたら、僕は当人の主観的な世界の登場人物でしかない。
別に価値観の問題だから何でも良いと思うが、これが話し合いで相互理解できるかというとのは別問題だと思う。僕はスキにビールを飲んでお風呂読書して文章を書いていて、お互いの蜜な時間はあんまり確保できていないことは自覚している。
ただ、共同生活の部分に対してはきちんと時間をかけていると思われる。
別に満月さんがやっていないことをやるなんてどうでも良い。ゴミ捨てとか部屋の片付けなんて、ほんとは僕が全部やって良い。やらないことに苦言を呈している訳では無い。それで良いならやりますけども。
それでも足りないなら申し訳ないなぁとは思うけども。
いや、これ、満月さんを悪者にする言説ではないからきちんと読んで下さいね。
愚痴であればだいたい事故処理している。
我ながら言葉がとげとげしいから、やっぱりちょっと調子悪い説。
まぁ、調子悪いのも自分なもんで、全責任は自己にある。
言葉における相互理解の話。
やっぱり調子が悪いのかな。
なんだか、頭が痛いところを考えている。物理的にも頭痛がしてきた。
寂しがっている満月さんを振り切って、お勉強タイム。
1人で居たくなったことに特に理由は無い。別にずっと1人で居たいという意味ではなく、ちょっと1人にしてというくらいのことであって、因果的な理由は皆無。
最も適切なのは「そういう日」だと思って答えたら、「生理かよ」と揶揄が起こる。
別にもうちょっとこじつける言葉はある。
「勉強は1人でするものだから、勉強モードになると1人で過ごしたくなるんだよ」
害が無いこじつけ。これを言った方が良かった。
たしかに、考え事をするときと、人と接しているときは使っている脳の位置が違う気がする。
勉強しながらいちゃいちゃするなんで脳のモードが違い過ぎる。
僕はこういう意味で一生勉強していきたいから、どんな相手でも寂しくさせてしまうに違いない。
言葉って魔術なんだよな。
内部世界を言語で明らかにしようとするのは辞めた方が良いと思っているのだが、自分の内部を言語で明らかにできるみたいな宗教がある。
言語世界の脆弱性は、語彙が変われば容易に変容すること。
ほうとうは一生を通して何も変わっていなくても、経年の語彙の変化によってなんだか歳を取ったとか、昔はもっとできていたとか、昔の自分を馬鹿にするとか、ころころと移り変わる。
まどマギ考察で、叛逆のときの劇場はほむらの内部世界(箱庭)だというのがあった。
別にこれを見て無くも良いのだが、そもそも現実世界の当人の世界だって内部世界の投影でしかなくなかろうかと思った。何か足りないとか足りているとか、本来は環境とか状況の問題では無く、自分の問題。
いや、たしかに人数が増えれば増える程、それなりのなんとなくの客観的な世界があると錯覚できるようになる。これが吉本隆明さんが言うところの共通幻想。
僕がおかまいなしに動いたらもっと変な世界になりそうだが、それはそれで自己責任か。
へい、ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。