22:34から。
胃と頭にきている。
と書くとどう解釈されるか。
「頭にきている」というフレーズだけ見れば、腹が立っている(また別の身体の部位がでてきた)のが通常用語だから、そう読まれても仕方ない。
ただ、書き手としての僕からすれば、「胃と」という枕詞があることによって、胃が不調と同じように、頭も不調(それぞれ痛い)と読んでくれる人の方が好ましい。
別にどう読むかは読み手次第だし、同じ言葉、ひいては世界を観ていても解釈が違うのが当人の精神世界それぞれ。
別にどう読んでくれても構わないという姿勢で書いている。
前置きとして長々と変なことを書いているのだが、今日の考え事の本質。
さておき。
お仕事。
たまたま犬型新人と途中でかち合って、少しだけ話をした。
この時は普通。
店長と事務先生と事務所で合流したら、あからさまに発話が無くて、変だなと感じる。
タイミングを読んで聞き取ったら、元気はあるけど店長と接するのが限界だから、最低限しか話したく無いとのこと。
店長に対して元気を遣いたく無い気分はとても分かる。
ただ、店長、ここの違和感に気付かないのか、気付いていてスルーしているのか。
圧倒的後者寄りの説。
だとしたら、もう店長業が下手過ぎる。
本日仕事の始まりに、ミーティングをしますって言い出して、なんか変わったかなと思ったら、我が店舗、売上がこれだけ遅れていますみたいな、店長が管理すべき口上から始まる。それで店長が本社から責められるとして、だから何なの? ってことにしかならない。
そこからスケジュールの調整の話があったのだが、スタッフのモチベーションを上げるような言葉が全くない。硯さんここができてないけどどうなの? 犬型新人ここどうなの? の、後に、何か不安な案件ありますか? って聞かれて、正直に答えられるスタッフなんて皆無だと思う。
お客様に対しては肯定から入るとか、楽しませるようなハッピートークをしようとか言う癖に、内側に対して何のケアも無い。
これで、良く生き残ったもんだ、我。
僕が隣の店舗のスタッフから鉄のメンタルと評されている意味がやんわりと理解できる。
このメンタル攻撃でこの時期に離脱してきた人をいっぱい観てきた。
犬型新人もそろそろ限界みたい。
人間だからこそ耐えられない。
前のかいがい女子も言っていたけども、硯が変に蔑ろにされていることが嫌だとか。
たしかに、僕は耐えられても、普通の感覚だったらこの職場に居続けるメリットが無いと想っちゃうに違いない。
僕がもうちょっと人でなし達に反撃体勢になれば残ってくれるかもしれないけども、そんなの対処療法でしかないもんな。僕は温厚な人格だけど、決めてしまえば割と容赦が無いので、犬型新人からの同時に転職しませんかという勧誘もありかもなという次第。
で、ここまでの感覚はいままでも書いて来た愚痴っぽいところ。
それではつまらない。
仕事上、余裕がある店長がアレコレ足りないことを言ってくる。
胃に来るというか、この人とは会話ができないと思う。
例えば、僕はお客様の客観情報を十全に報告できない。
個人的には、もう、だいたい聞き取れているし、そこまで情報は要らんよなという主観。
雰囲気でだいたい分かるし、客観情報をそんなに気にしていない。
これに対して、店長は、「全然聞かないよなー、もっと相手を気にして」と言う。
いやいや、店長が言う「気にして」は、お仕事上、必要な情報としてそれが無いと不安という意味の相手では無く、こちら側からの「気にして」なんだろうなと解釈できる。
どんな人相手でも、最低限客観情報が無いと不安なのだろうな。
となったとき、この人の人格の傾向が不安を前提として仮定してみると、発言の傾向に筋道が着く。
スタッフにあくせく色々言うのだが、スタッフに響くようには言えない。
モチベーションも上げられない。
これってなんだろうなと思うと、あくまで主観でしか生きていないのが前提。
人と素朴に関係できる人が関係性をやたらと気にしないだろうし。そうとう内部が孤独なんだろうなって。いや、孤独こそ人間の至高だからほんとに孤独で生きられてはいない。
で、本日の気付きの本質は、店長があくせく言う言葉って、理想の投影っぽいなというところ。
僕からすればこのあくせく発言、仕事と精神を滞らせる毒でしかないのだが、店長からすれば、これがお仕事という主観があるのかもしれない。
自分ができない、やれないという、可能性を下に投げてしまう精神性。
事務先生は下に対してネグレクトだと言うのだが、たしかに忙しい時は放置。余裕があるときは、無茶苦茶細かく言ってくる。
その細かさって、当人が全部やっているかというと、不可能なこと。
不可能を強いるから下が着いて来られないのだが、店長と言う立場とはという像があるのかも。この人親として大丈夫なのかと心配はあるけど、だいたいの人はそういうもんなのか。
世界に自分ができないことをやってくれると投影するのは甘えん坊であって、その甘えは下の世代から見ればあからさま。
僕ももう無理かな。
何も話す気にならない人というか、言葉を選ばないといけない人は直感的に無理。
生きている世界が違う人でもなんだか可哀そうだなと思って付き合っちゃうのだよな。
可哀そうだから同情する訳でもない。共鳴はするけど同情は無い。
トータル、お仕事の能力とか経験は追いつけないのに、なんだか甘えられているのはお仕事として不均衡な感じ。
店長も事務先生も経験豊富なのに、それだけ経験して得た知見が、自分を守ることでしかないのかという感じが、「人として終わっている」となる。
人として終わった人は主観でしか生きられないという説を読んで、どれだけ憤らない人が居るのか。
僕は、まだこの自分が人格として完成したと完結していないので、人格形成の一般論からは離脱している主観。この世界だと他人の粗相なんて視界にほとんど入ってこない。
例えば、いちいち他人の落ち度を指摘すること。
言葉遣いが違うとか、振る舞いが違うとか、そんなこといちいち指摘される世界に生きたくない。そんな一般論より、そんなことを前提とした上の自由が良い。
へい、時間切れ。
おやすみさい。
良い夢を。