自分だけの人は淘汰される

22:38から。

考え事モード。

文章脳より深いところで、諸々考えるバイオリズム。

昨日の日記、どこまで書いたかなと読み返した(ほとんど読み返さない)。

全然書いてなかった。

昨日の僕は「書きたくない」と言っていたけども、言語として整理できていないというのが精確なところ。

利己的な個人主義の人が淘汰されるのは世の中の趨勢と感じているのだが、どうやって言語化しようかという話。

お仕事。

店長と2人。

色々うるせぇ。

なんだか店長と音楽性の違いみたいなことを感じる。(笑)

面談というか、毎月、今月の目標とか、改善案とかを話す仕事があるのだが、

その流れで、犬型新人に成果(売上)負けるなよ、犬型新人が調子に乗るからという話があった。

なんだが、義務教育時代のテストの成績で比べられることを思い出す。

僕はこの社会ではエリート寄りだったのだが、全然優越感が無い。むしろ、変な羨望が気持ち悪いというか居心地が悪かった。

もちろん、営業という仕事は売上を追求するものであって、他人とか他者を蹴落として自分がのし上がって行くというストーリーは分かる。

てんちょーがぽろっと、硯さんにはさっさと次のステージに行って欲しいんだけどと言ったのは、きっと期待の顕われ。

ただ、僕としては、この店舗、成果を追求できるような土壌がそもそもできていないような気がしている。上層部が保守的過ぎて、創造性が無い。

面談の時に、もっと課題について掘り下げて欲しいと言われたのだが、

ほんとうに掘り下げたら、自分だけの問題では無く、環境、ないし上層部の怠慢まで辿り着いてしまうからやっていない。

時間が無いのは、統制する側のコントロール能力不足だから、下の時間の扱いが歪になって、ほんとうに目標とされているところに辿り着かなくなっている。

なんて書いたところで、まずもって自分を追求しろよってきっと言われる。

し、別にそこまで闘いたくもないし。

誤解されると困る(いや困らないか)。

別に不満に思っている訳では無く、この場所では環境設定した神様(上層部)の世界観の中でどれだけ身動きできるかを問題としているだけ。馬鹿らしいとは思っているけども、だいたいの世界は馬鹿らしい。

利己的な個人って世界が貧しいもんで、誰かに分け与えることができない。

僕が、てんちょーとか事務先生に環境設定の問題だって言ったところで、何か文句言われているとしか思われないと思われる。

いや、1回当人の環境設定をぶっ壊す人になってみても良いかもしれない。

気を遣ったところで何も返ってこないというか、感謝も無く僕を環境としか捉えていない人に対して人間扱いする必要は無いよな。

僕は遠からず転職するつもりなのだが、その理由として、

営業は好きですけど、売上を目標とする世界に着いていけなくなりましてって言ったら、引き止められない気がする。誰かより優れていないといけない世界観は、幅が狭すぎる。

という流れで、利己主義の個人主義の話。

利己主義と資本主義ってかなり親和性がある。

何故かというと、生きるか死ぬかみたいな生存本能に直結しているから。

人間に対してルールを外したら、そりゃあ皆当人にとっての利益を優先して他人は蔑ろになるよねという、今や大昔のホッブスさんが提唱した世界に未だ生きている。

生存本能は物体としての自己を確保するところから、社会的な自己を保有する自分を確保するようになるという概念に移行した。これが私有財産制。

難しく書いて伝わると思う人はインテリマウント。

要は、物を所有している量が多いことで安心できるという社会観。

これは、知識の保有量だとか、経年という単なる長生きをしたら優位みたいな感覚とも繋がっている。

個人的には、だからなんなのという感じ。

そんな意識が多数派だから、世の中が円滑にならないんですわと。

そんなことより、面白く生きるのが全て。

新しくなっている世の中、割と個人を尊重できるようになっているような。

「多様性」の概念がキモチワルイのは、利己的な個人主義のオトナがネーミングしたものだから。自分はその多様性の中に含まれていないのに、寛容に寛容にみたいなことを外から言っている。

自己も多様性の一部だとは認識されていない、あくまで上から目線。

もちろん、社会という場にあるべきマナーという劇場はある。

これをどう設定するかがそもそも問題だけど、「多様性」を口にする人って世の中のカオスが自分の目に見える範囲でしか把握できない気がする。

自分の普通とは違うけど、まぁ受け入れるべきでしょう。

ほんとうの尊重社会は、自分すらずれていることを認めること。

普通の人なんて居なくて、世界を観測している当人も普通じゃないですけどみたいな。

ということを、若者は自然と受け入れているような。

別に統計的な話ではなくて、たまたま接した若い人の一部。だいたいの若者は大人の利己的な個人主義を学習しているから、あんまり変わらない。

でも、サブスクが普通になっている世の中、「物を持たないといけない」という観念からはずれてきている。僕も、書庫に本がいっぱいあるのだが、別に全部売っぱらって良いなと思っている。読み返せない本は家に置いておいても意味が無い。

この感覚が普通になっている人は、人間関係においても自我を守ろうとしないようになりそうなという説。

そもそも自我自体、触れるような物ではないし、何故そこを確保しないと自分を守れないのかも意味が分からない。

おそらく、心理学とかの見地でそういうものだと教えられて来たからそれが自明だとなっているような。

自我という言葉は僕の辞書には無くなってそうなのだが、自我があることで何が守られるのだろう。分かっている人は教えて欲しい。

今後のストーリー。

上層部の人格の誤謬を指摘するのはやらないので、綺麗に転職するだけだと思われる。

当人の人格の矛盾を指摘されたとき、その人がどう振る舞うのかというのは実験としてきになるけども、これはやらない方が良いか。やったところで僕は楽にならない。

こういう感じが、世界は自分が決めているという説なのだろうな。

あくまで、世界は自在という説は推せる。

へい。

ここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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