いっぱい

22:43から。

バンビーノ(漫画)曰く、料理とは自分が食べられるもの。

文章も自分が食べられるものだろうか。

お仕事。

未開拓で納期も詰め詰めの案件で、本日やっと進むものがあった。

外には出ないけれど、胃がキリキリする。自分の案件なのだから、成功も失敗も僕の責任で良いし、そこは楽しんでいるのだが、僕のキリキリは案件そのものでは無く、上層部の監視体制にあるような気がしてきた。

本日、てんちょーも経年乙女も関与できない案件がなんとなくひと段落したとき、なるほど、これがここの仕事の醍醐味かと感じた。社内規定と、お客様と、管理会社との折衝をする感じ。

たしかに、社内的な売上としてはあくまで1件でしかないのだが、成果では無く、経験が積まれたなと。知識も当然増えるのだが、肉を伴った情報。

上層部に細々監視されない方ができるじゃんという感じ。

まだ完了してないから、安心してはいけないのだが、そもそも仕事に安心するのは慢心だと思う。危険とは別方向で、同じ事を続けて居れば恙ないみたいな感覚はアウト。貴方が変わらなくても世の中が変わるから。

僕が気になる情報は、上層部の経験則のアウトセーフでは無くて、社内規定上どうかとういうところ。経年乙女は経験則でしか世界を見ないし、てんちょーは、きっとマネジメントしたく無い人。誰かを教育して成長させるという人生劇場の余白が無い。

仲良し大店長曰く、店舗のてんちょーの裁量によりけりとのこと。

僕の仕事はてんちょーにお伺いを立ててもキャパオーバーなんだよな。

硯の仕事の情報は把握したいけど、記憶力的にキャバオーバーだし、勝手に何某かやって成長すれば良いけど、時々マイクロマネジメントしたくなっちゃう。

僕が大店長のことを仲良しだと認識しているのは、別に僕のことを助けてくれているからではない。なんとなく観ている世界が似ている感じがあるから。

裏話みたいなことが平気でできるところ。

本日、仕事の兼ね合いで、大店長の店舗でちょっとお仕事をした。

その後の雑談で、ちょっと話したのだが、ぽんこつ女子と、ぎっとり元自衛官が何故か話に参加してきたもんで、あんまり根っこの話までできなかった。

なんでこいつらしれっと来ているんだと思ったが、なんとなく話している場に集まる習性なんだろうなって。お前ら何目線で参加してきとるんだ、まったくもってからに。

別に漏れても影響無い話しかしていない。

犬型新人は経年乙女と仲良し風だが、実は頼み事をし辛いと思っているというのはちょっと開示し過ぎたかもしれない。でも、これが漏れたところできっと犬型新人は怒らないと思う。いや、僕が個人的に怒られるか。

でも、変な話、我が店舗、本音がだだもれになっている感じなので、別に言語化されなくても、経年乙女を気付いていると思われる。

僕は基本的に人を持ち上げない。当人の努力とかは見るけど、ヨイショしないから、自分をヨイショしてくれない硯に対して、経年乙女は機嫌的によろしくないのだと思われる。

機嫌で仕事する人なんて知ったことでは無いから、特に何も気にしていない。

経年乙女は知りたがりだけど、知ったところで粗を探すだけだから、あんまり経験的な効用が無い。

てんちょーとの会話で、硯さんは卒業したと言っていたらしい。

こっちも卒業しているので、問題無い。もう、最新情報は僕の方が多いかもしれない。

経年乙女は経験則からぶつぶち言うしかない。

この人、てんちょーと一緒で、物事を悲観的というか、安全圏でしか考えないから、創造的なところをもう受け入れなくなっている。まだ若い40代なのに、冒険しないから下に冒険させられない。犬型新人は冒険側の人物なのに、上層部のせいでお仕事が楽しくないとなる。

冒険が怖いのは勝手な気分であって、冒険する時に叩く石橋はそもそも無いから。

てんちょーの機嫌の方が大変。

店舗の世界を決めるのがてんちょーだもんで、そこが問題。

他のてんちょーだったら世界が違うのであれば、僕は他の店舗であれば働けると思う。

もっと精力的に働けると思う。

もちろん、場を問題として世界を捉えることは拙い。

もっと自分が動けるとか理想だけ語っている人と同じように読まれても仕方ない。

それでも全く問題ない。

ただ、好き嫌いで仕事はしていない、というだけ。

大店長とは2人きりでゆっくり話したいとは思う。

別に書きたくもないことで1800文字くらいいってしまった。

単に今この仕事に居るから景色としてここがある訳で、今のところ良い景色ではないよな。

ここからが徒然。

人のモデルって、変に歪曲されてないかという説。

ゲーム理論という、経済学のモデルがある。

曰く、人は自分の利益を追求する行動をするものだと。

あんまり細かい話は書けないのが、モデル設定によって、そういう世界で生きる自分が決まっているという、因果関係が逆になっているのではなかろうか。

僕がお仕事上で関わる人には、こういうモデルから外れた人がいっぱい居る。

経済上の関係なのに、お互い、一般的な利得とされている交換をしない。

僕が与えを垂れ流しているから返ってきているのでない。

世の中には、利得モデルみたいなところとは無関係に人間と関係できる人がいっぱいいるということ。こういう人がいっぱい居るって、ゲーム理論としてはノイズかもしれないが、ゲーム理論に乗っかっても良いことは無いような。

ワカラナイ。

たしかに、昔の交友関係の人は、自分にとって僕が「得」かどうかが問題とされていた。

今でも僕を「得」とされることには歪みを感じる。自分がやらずに僕にやらせとけば良いって、ゲーム理論。

僕の人格はちゃらんぽらんだが、生活力は磨いてきたもんで、何か生活上な部分で、誰かに甘えなきゃいけないところがほとんど無くなった。家事全般できるし、そこを補填してくれる人なんて求めていない。

必要な人なんて要らなくて良くて、それでも相手と過ごしたいかどうかの話ではなかろうか。

この辺り、人と話がズレているのも知っている。

へい、ここまで。

おやすみなさい。

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