22:48から。
記憶って、余白だなと思った、本日の出勤道。
精神のバイオリズムの波の中、荷物が全部無くなった瞬間があって、その時に色々と想い出した。
一般的には、情報を採り入れてその通りに吐き出せることが記憶力とされているけれど、人間の脳はそういう風にはできていないし、この能力ならAIの方が断然強い。
記憶とは、当人のプロットで自分を物語ること。
過去なんて無いというのがスピリチュアル界では定説だけど、たしかに、空間的な距離感と時間的な距離感は良く似ている気がする。
どんなことも、距離が離れてしまえば大した問題では無い。
空間は体が動くから当たり前だが、時間も同じ感じ。
さておき。
お仕事。
てんちょー、相変わらず駄目出ししかしない。
ここまで来ると、何か自己認証がバグっている気がしないでもない。誰かを否定することで自分を認めてもらいたいみたいな。
人ができていないことを指摘するなんて、とても簡単。
生き残り脳だからというのもあるし、仮に当人ができていないことであっても、部外者の視点でいくらでもできる。
駄目出しでは人は成長できないというのは現在の風潮になってそうだけど、
そうやって育った子供に学習能力が無いというのが問題になっているという話をちらっと見た。
これは、子供が悪いのではなくて、大人が悪いと思う。
イマドキのオトナは、自分がしんどい努力をしたからここに居るという自負がある。
ただ、これって自発的な努力というよりは場からの強制だから、やらされた感が強くて、だから下にもやらすもんだという精神。
この精神感覚、独裁者と同じだなと思った。
僕はきちんとしたトップが居る独裁政権とか共産主義はアリだと思っているのだが、やらされたことが自負になっている人は、あんまり人の上に立てない。
だってそんな時代じゃないから。
完璧に操縦とか成長されられると自負できる人は、人に対してやたらと駄目出ししても良いと思う。
なんだっけ。
僕の内部の話。
行動原理の中に、人から認められたいという感覚が無い。
だもんで、話が伝わらない感覚が多い。
僕はいちいち自分がやっていることを他人から認証されたく無いくらいな感覚がある。
別に目立ちたくないし、そんなに一番を気にしない。
誰かに認められたいって若い人が書いていた記事をちらっと読んだのだが、そんな動機が無いと文章が書けないんだったら、読み手に忖度して大変だなぁって。
そもそも、誰かに認められたいっていう感覚は、自分が自分のことを認められていないから、せめて誰かからという代償行為な気がする。
こういう話法をする人に対して、僕はそんなに話すことが無いんだよな。
雑談の水準に落とし込むなら、あえて僕が何をやっているかみたいな話をするしかない。
個人的には、そんな雑談は最初から卒業しているから、あんまり面白くない。
誰かの人生が認証される為に存在していないし、そういう風に認識する人とどれだけ一緒に居られるかがワカラナイ。
とりあえず、お仕事ではてんちょーと関わるとエネルギーが無駄に消費されるから、お客様とずっとやり取りした方が楽だなと思っている。
この所作をすれば、きっとてんちょーから見た硯はやる気がある人物になる。
ただ、こういうのだから何なの?
という気分。
僕が見ている人と、見ている人の自己肯定観。
僕は別に、誰かに好かれたいが為に生きて居ないし、僕のことを好いてくれる人の為にも生きられない。
続きはあるのだが、本日はここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。