余裕がある人と無い人と

22:44から。

もう残り時間が幾ばくも無い。

犬型新人とタイマン忘年会。

職場の細かい視界の話をしたら、若干引いていた。

犬型新人も割と細かく観測している人だから話したのだが、僕の方がさらに細やか過ぎて。

例えばだけど、別に興味が無い職場の人のお手洗いの長さを観測しているとか。

興味がある人の観測だったらストーカーだけど、僕は勝手に情報を収集しちゃう。

この感じのニュアンスが分かる人はあんまり居ないだろうなぁって。

あからさまに変わって居たらそりゃあ人は気付くけども、僕は細やかに気付いてしまうもんで、日常では回転数というか、言語野を落とさないといけない。

真面目な会話ができない人には、ちゃらんぽらんな感じになる。

それでも、行動はきちんとしている。僕の観測世界で、私生活において僕より行動している人が見あたらない。

私生活で、自分を守るための行動は誰だってできる。

その行動ではなくて、誰かの為に行動できるかというところ。

僕も昔は自分でいっぱいいっぱいだからできなかった。

歴代の元恋人さん達、僕が人格的に未熟だったから、負担をかけてしまってすみませんねという気分。

人格的に未熟だという定義は、社会の当たり前に無駄に準えちゃったところ。

大人だからとか、男だからとか、相手のことを年下だから、後輩だから、みたいな価値観をもともともと持ち合わせていなかった。

この辺りの価値観って、当人の不安を守るための設定だと思う。

この設定で生きている人とは、あんまり付き合えないなと思ってきた。だって、こういう世界観の人において、僕の存在を置ける余裕があんまり無いから。

余裕が無い人って、まずわが身を問題とする。

だから、保守的になって、どれだけ居心地が悪い自分でもそのままで良いとなり、不満は世界に投げることになる。

余裕がある人は、我が存在がまずもって世界に悪影響を与えてないかということを気にすることができるようになる。

例えば、犬型新人と歩いているとき、硯さん「歩き煙草」してそうと言われた。

これは、犬型新人が僕のことを良く知らないから、僕のちゃらんぽらん性を加味して評価したのだと思う。

この視座、とても鋭い。

僕は歩き煙草なんて恰好悪い所作をすることは個人的に辞めたのだが、犬型新人の視座だと、僕は世界において歩き煙草的なことをしそうな人格だと認識されているみたい。

これが心外だと思って反発する人は余裕が無い人。

説明して犬型新人の僕の認識を変えようとも思わない。

そんなの経年関係が増えていけばそのうち気付くだろうし、いちいち弁解する気が無い。

そうして、ここも人生劇場の一期一会だから、僕はあえてこの人と関係を留めたいとも思っていない。

お互いに、繋げようという意志がなければ縁は繋がらないから。

僕はこういう縁で人と繋がりたいと思っている。

ここを契約とか血縁だからという前提の人とはちょっとずれておる。

ここを問題としなきゃいけない人は、人生に余裕が無い人。

僕は後ろ盾がなくても普通に人と関われるけどなーって。

本日はここまで。

明日は、冒険する人は勝手に尊敬されるみたいな話を書きたいような、書けないような。

ここまで。

おやすみなさい。

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