22:48から。
目的の最上級は、予言。
未来の自分を問答無用で決めてしまう。思考の現実化にも近いのか。
酔いどれが残っている今朝。
アルコールチェッカーで測ったら、体感20ミリくらい出ると思った。
酔いどれでも二日酔いではないから動ける。
燃えるゴミを二袋出し、出勤前の満月さんに朝ごはんのうどんを作った。
休みの日なんだから、家のことをしないと、なんて義務のお話しじゃない。
できることをするだけ。
そういえば、MBTIが64類型になったみたいだから、やってみたら、
INFP―AC(共感を育む夢想家)だった。これは観測する人によってはぴったりかもだが、表情筋固まらせることもできるから、その状態の僕を観たら、硯が人に共感できるのかよとか思うだろうな。共感し過ぎて大変だから、人は選ばないといけない。
INFまでは変わらないけど、その後はどっちもありな感じがする。
主体があんまり無い傾向にある。
まぁ、分類はあくまで分類。
さておき、kindle読み放題で滅茶苦茶面白い本を1冊読んだ。
この連休、kindle1日1冊しようかな。
酔いどれが語るアカデミックな話。
「視点」というタイトルで、リベラルアーツの本。
学問は視点を提供するものだというコンセプトのインタビュー本。
今は、正解不正解の二択の世界じゃないから、色んな視点を採り入れることのより、世界の解像度が高まるよという感じ。実用的な話ではなくて、世界の見え方が変わるよねって。
物理学、文化人類学、仏教、歴史学、キリスト教、歴史学、脳科学、教育学だったかな。
最前線の学者の話を聞いて行く、好きで研究している人の発言って深みがあって面白い。
全部の学問の感想を書くので、アカデミックなことが苦手な人はここまでで。
いや、酔いどれだから、かいつまんで行くだけのあかでみっく風。
昨日書いた「目的」の階層みたいなことを、物理学の学者さんが、「理解」の概念でやっていた。数学における「理解」は、分類、物理学だとモデル、工学だと実装とのこと。
こういう「理解」の階層、個々人にも適用できそう。
知識は、どこまでのことを言うのか、みたいな。ただ情報として他から分けられることを知識とする人は多いけども、それが腑に落ちて実装できることがほんとの理解というか、知恵というか。
文化人類学は、変人の巣窟だなと思う。
アフリカの何処かの部族の集落に2年間フィールドワーク行くような変態達。
実体験を研究していくという視座が面白い。文化圏が違うところに行くというか、日本でも当たり前で無い文化圏を記述する試みとかがあるらしい。
例えば、コロナ過の時の検査とか予防接種みたいなところ。
正しいからやるっていうのは、宗教とあんまり変わらないとか。もちろん、学者さんなので忖度して、今の医療技術は科学的に実証があるんだろうけどと後書き。
仏教。
原始仏教はロジックの世界。
僕は別に肉体的に修行してまで悟りたくないのだが、ロジックは理解できた。
東洋哲学は、正解を諦めているという前提がある。色即是空、空即是色の概念がとても好き。
存在していると思っているものは、ほんとうは存在していない、という矛盾の概念。
あと、仏教でいう輪廻転生の観念はゲーム理論と通じているという話も面白かった。
個人的にはゲーム理論はそんなに好きでは無いのだが、要は、来世があるかどうかは不明だが、来世があることを仮定すれば、信仰者がきちんと戒律で良い様に動かざるを得ないなという話。
これを本業の人が言うから面白い。
歴史学で面白かったのは、この学問、研究対象にできる材料が無さ過ぎるところ。
発見というよりは解釈の学問なのだろうな。でも、今の歴史学の主流は証拠ありきだとか。
同じ日本人だけど、昔の人は価値観が違うから、同じだけど違うということを前提として史料を読み取って行かないといけないらしい。歴史学者はM。
キリスト教。
「空気を読まなくて良い宗教」という言はとてもしっくりきた。
一神教で、神様が絶対者だから、ヒエラルキー上の当時の弱者が為政者とか貴族に頭下げて罪悪感を抱かなくて良いんだよって説いた宗教。
たしかに、だとしたら、三大宗教になった意味がわかる。
全世界において、社会的な弱者の方が圧倒的に人口が多いから。
あと、キリスト教と「理性」=「西洋哲学」はセットだという話は腑に落ちた。
日本人の感覚だと、「理性」でスポーツするみたいな感覚はあんまりない。人格と離れたところで考えるみたいな土壌が無いというか。
脳科学。
もう寝る時間になっているので、駆け足。
脳が、どうやって現実を認識しているのかという話が面白かった。
外的な情報と予測との誤差を少なくするように動いているのだとか。
あと、感情は身体情報からのフィードバックという話もあった。
たしかにその通り。
教育学。
上の方に、今の教育を憂いている人が居るのは嬉しい。
マーク試験の失敗を無くすような手法はもう古くて、論述的なところで人間力を試験するみたいな。マーク試験だったらAIの方ができるしって。
たしかに、僕の高校時代でも小論文試験あったが、高校の先生、小論文のやり方を教えてくれなかった気がする。
僕が今小論文試験を受けたら、テーマの外にはみ出しちゃうから落第する。
小論文じゃなくて、エッセイだろうって。
文章を書く練習もさせてくれないのが義務教育の限界。
読書感想文とか、文字数稼ぐだけだし。
トータル、この「人間」が試される時代に生まれ落ちて良かったなって。
価値観が錯綜しているなか、楽に生きるか楽しく生きるか。
ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。