分岐

23:53から。

本日のタイトルはリクエストにより「分岐」が良いとのこと。

我が家九死に一生だったかもしれないから、たしかに誇張でもない。

結論から言うと、満月さんの車が出先で故障した。

本日、もしかしたら名古屋に行くみたいな話になっていたのだが、結局近所になった。

当人、この前の車の点検で、ギアの当たりがおかしいからそのうち修理をしないといけないと言われていて、いつか来ると備えていたのだが、2日前くらいから車の音が悪かったらしい。

近所で遊んだ後、変えろうとしたら、店舗の敷地を出る前にギアが入らなくて動かなくなる。

押して端に寄せつつ、出入りしてくる車には手分けして謝った。たぶんドライバーさん方、邪魔、何しとんねんと思ったに違いない無いが、事情をちょっと話して謝ったら、「あー」って。経験なのか想像力なのか、理由がしっかりしていていたら、納得していただける。

店員さんとか警備員さんも助けてくれるし。

警備員さん、この寒空でエアコンもつけれない車内で居るのは大変だろうとホッカイロを二つ差し入れしてくれた。

優しい世界なのは、何か返って来る方向になっただけかもなと。

知らんけど、たまたま良い人が集まっているような場所では無いから。笑

九死に一生というのは、もし名古屋に行くために高速道路に乗っていて、そのタイミングで故障が起こったら、加速ができなくなって大事故になっちゃって退場まっしぐらだったなというところ。満月さんもイレギュラーに強いタイプではないから、てんぱっちゃって冷静に対処できない。

この分岐になったのは、満月さんの直感もあるし、僕の運もきっとある。

僕は人生ギリギリで詰まないところで生き延びてきたもんで、少々のイレギュラーには動じない。人に合わせててんぱったり感情を乱したりするポーズ(リアル)を取るのだが、1人だったら、きっともっと冷静。

人が増えると居る人の感情も気にしないといけなくなる。

で、ぎりぎり詰まなかったというと、故障が明日(今日だったら)、修理屋さんも年末年始の休業に入って車を受け入れることができなくなる。ここでレンタカーもやってきたら、レッカーの2重移動とか、ここのアパートの駐車場をどうするかとか、諸々の問題が増える。まだ詰まないと思うが、満月さんの世界だと、行き帰りする足が無いから詰んでいた。

結局、明日の朝だけ公共交通機関で出勤し、レンタカーが我が家にやってきたら、僕が夕方に迎えに行くことになった。

これに対して、僕は満月さんに特に悪印象は持たない。

物理的にできなくて仕方ないことに対しては、僕は結構垂れ流す。できるのにしないことを僕がやっちゃうのは甘やかしで駄目だよなというだけ。これだと愛では無く、単なる共依存。

そういえば、ふと、半年前くらいに、経年女子と犬型新人と3人で食事したときに、毎日飲んでいて、何かあったらどうするの、みたいに弄られたことを思い出した。僕がなんと答えたかは忘れたけども、僕のポリシーとして、何かリスクがあるかもしれないから行動しないとか予防線を張るというのは楽しくから嫌だ。

無難は理性ではなく、恒常性。

今回の案件でもほんとうに満月さんがギブアップだったら、いざとなれば僕は動くので、無難で自分を制限している人は僕のことを観測していると目に毒。きっと行動原理が分からない。

やれやれ。

本日のkindle本も、リベラルアーツの本だったのだが、読みづらくて途中で止めた。

リベラルアーツを学ぶ目的をなんだかんだ実利に繋げているから、結局自慢話っぽい。

若者が学ぶ意味という語り口なのに、なんだかんだ上から目線が見える。

僕の定義だと、理性というか、物事の切り口を学ぶのは、壮大なブラックボックスである「自分」を解読する道具みたいな意味合い。不安は無知とも繋がっているのだが、なんで人から嫌われたくないか、人から嫌われても平気な人が居るのかとか。

認識の更新はイコール世界観の刷新から。

勉強なんかより旅行とかの方が一般的には大事。体の修行(移動)の方が真理にたどり着きやすいというのが、仏教の方法論。

人から嫌われても平気でいられる人の不安は、自分の安泰だから、人への解像度が低い。

別にいいのだが、きっと僕と話しが合わない。

こことは文脈関係無く、いや、あるか、僕が人に会うのが嫌だったことをふと考えた。

たしかに、MBTIのINFJとかHPSの人と会うとエネルギーを消費するという考え方も一理。ただ、ここも結局自己解釈の話でしかない。

これが、自分が自分を既定しているという世界観。

僕はここがとてもどうでも良くなっていて、世界に対して、僕が楽しいかどうか。

絶賛ぼっちでお友達は居ない、もう飲み会するような他人が要らなくなってしまって、楽しく会話できる人だったらこちらこそという感じ。

会社の縛りが無ければ、お友達というか、もっと楽しめそうな人はいっぱいいる。

僕にとって有用だからでは無く、似ている価値観の下で話ができそうだという感じ。

で、僕が人と会うのが嫌だった本質は、「僕が邪魔になるから」という解釈。

だって、僕は相手の世界観を気にして空気を読んでしまうから。

僕が制限していたのは、他人だったのだなと。

だからお友達も居なくなった。

「友達」の定義、なんだろな。

なんでも相談できる人、一緒馬鹿できる人、みたいな感じ?

僕にはこういう役割を演じてくれる人はもういらない。

歴代のこの人達、自分の世界観すぎた。なので、お邪魔だったなって。

昔の知人がどれだけ僕と呑みたいと思ったとしても、僕はもう飲みたくない。

僕の為に時間を全振りしてくれる人は居なかった。こんな人が居るとすればAIなので要らない。満月さんは僕のAIぽく認識してしている向きがあるけど、、どうなんだろうな。

これ、僕が人と会うとか会食するのが嫌だったの答え。

えねるぎーが消費されるのもあるけど、僕が素朴な自分であることによって、相手の世界観をぶっ壊してしまうもんで、お邪魔虫。

今、満月さんが直にきっと感じているのだろうけど、僕の地と接したら、世界観が揺らぐ。

満月さん用の僕はあんまり言葉を遣わない。だって、満月さんが他人にそれほど興味ないから。

ここでいう興味は、「自分の世界観が壊れても構わないくらいに相手と連動したい」という感じ。ただ観測するだけなら、動物園と同じ;

満月さんは、僕のようなへんぽこんと一緒に過ごせるのは自分だけだと自認しているが。僕はゆるゆるなだけで、そんなにへんぽこでもない。

で、僕が人生劇場における知人を排除したのは、本音をは話すとお邪魔になるから。

続きはまた。

ここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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