心(後)

21:02から。

第二部.

お風呂読書とか洗濯物とかトイレ掃除とか洗い物とか、満月さんの夜ご飯リクエスト(炊き込みご飯とうどんとだし巻卵だが、だし巻卵は却下した)の買い出しと下ごしらえをしていたもんでこんな時間。

昼から飲んで、酔いどれだが、これくらいはできる。

なるほど、これが本性。笑

ただ、流石酔いどれ、お風呂で読む活字がぼやけている。なんとなく読み進めたのだが、たぶん読めてはいる。お風呂読書のお供は、本日本屋で買った、「カウンセリングとは何か」、「社会分業論」、坂口安吾さんの「暗い青春」。

それぞれ面白いので、また後で書く。

そういえば、満月さんのご両親とご飯を食べているとき、久々に頭の二重音声みたいなのが出てきた。この現象はそんなに珍しくないはず。実際に発話したこととは別に、「こういう発言しても良いかな」って言葉が流れて来ること。煩わしいといえばそうなのだが、これって相手との世界に可能性を感じている証左でもあって、話しが通じるかもなって期待している。あんまり実践したことは無い。だからこそここを飛び越えらえた人が希少。

あと、ここの場で話したことで面白い話題があったのだが、どれだけ酔いどれでも、僕だけに話されたことは垂れ流さない方が良いなと思い、やめる。逆にここでの話題が例えばお母様から満月さんに流れたら、僕はお母様には当たり障りのないことしか言わなくなるだろうな。

という、僕が交友関係を断捨離した1つの原因。いや、これはそうだったから断捨離した訳では無く、断捨離をした結果、遡って考えたらそういうことだよなという観測というのが厳密。

交友関係って、だいたいが或る場を前提とした複数人で形成されている。

この場において、たしかに属する個人の情報を共有することは大事。だって、それ自体がここの場の構造だし、場の調和を乱すような人が居ないかという相互監視にもなる。

というのは穿った考え方だと思うのだが、僕としては、ほんとうに繋がれるのであればいちいち場は必要とされなくて、その相手個人だから話せるかなということを話しているのに、垂れ流されると語彙が歪んでたまったもんじゃない。

だから、僕は、場における人間関係では大人しくしているというか、誰に話されても当たり障りのないことしか語らない。

というのが、かつて。

今は、誰にどう垂れ流されてもどうでも良いから、なるべく本心で居た方が良いかもしれないという気分。誰かにとっては辛辣な発言になるかもしれないが、見動きしない人が痛いだけであって、僕と居て痛いなら、当人が離れれば良い。

これくらいの覚悟が自分で生きる為には必要なのかなって。

まぁそれでも良いのかという気分。

いや、今何リットルか忘れたくらい呑んで、炊き込みご飯の蒸らし時間を気にできる人材はなかなか居ないし。笑

そうして、混ぜて鍋内のお米の下に偏った水分を均す。

これだけ飲んだら一目散に気絶なはずなんだが、今日はなんだろう。

本日のラインナップ。

坂口安吾さんは、小説枠でなんとなく。

この人は思想というよりは文体の暗さがたしか好きだったなぁと。あんまり読んでいない。

「カウンセリングとは何か」は、心理学が今どうなっているかとか、犬型新人がこの前図書館に行って心理学の本を読んだという記録もあり、分厚かったから立ち読みもせずに買った。

なんというか、心理学が次世代になっていてびっくり。

僕がこれまで読んだ心理学は、フロイト派とかユング派とか割とばらけていていったい根っこはどうなんだという感じだが、筆者(僕の3歳年上)曰く、自分が学んだ臨床心理学は「各論」の時代だったから、「原論」を研究しようとした、とのこと。

この冒頭、とてもそそる。

カウンセリングが一般的に胡散臭く感じられる2つの理由、①「人の話を聞くなんて誰でもできている」、②「なんだか宗教ちっくというか洗脳ちっく」みたいなことに対しても真摯に向き合っていた。

カウンセリングがやってくるのは、心理学的に心が危機におちいった際の突き当り、みたいな。

僕は割と、心理学の知識無しの地で相手の心の闇というか、深部にノックして相手の心を開くということをしてきたので、カウンセリングの入り口はなんとなく感覚として分かる。

まだ途中なので、カウンセリングの実践というか、心理学的な解決とはなんぞやとしているのが気になるところ。心に変化が起こるのは、人間の当たり前だけど、心理学的な解決とは、心の社会化なのかな、どうだろう。

臨床心理学における原論ってなんなんだろうな。

面白かったのが、世界―心―自己モデル。

なんとなく聞いたことがあったが、定義を読むとなかなか。

曰く、「自己」とは内側の領域でコントールできない部分、腹痛とか排泄欲とかそういう意識ではどうしようもない領域。「世界」とは、外的な環境。僕がさっきかいた「場」みたいな話。「心」は自己(内)と世界(外)の間を取り持つ、中間管理職みたいなものだって。

個人的には、世界よりさらにそとの宇宙めいた枠を設定すれば、このモデルはとても人間心理に近いと思う。

ただ、これって、だから心が病むという解析ではなくて、社会がそういう構造として心を設定しているから、病まざるを得ないという感じがした。

たしかに、心が病むのはあらゆる意味での何かとの齟齬だけど、その齟齬を相対的に決めようとするから病むことになるのではって。

僕のモデルだと、心(意識)は、世界も自己も定義更新できる上位概念だから、中間管理職というよりは経営者。ただ、このモデルだと、心理学はあんまり成り立たない気がする。だって、心は研究される客体ではなくて、研究するまなざしなもんで。

という異説を唱えつつ、デュルケームさん。

これも分厚い(ワクワク)。

真面目な話、僕は産業革命由来っぽい分業論に疑問があった。

時給制の弊害というか、職場でなんとなく動いていれば給金が発生する制度ってなんだろう。正社員になっても、周りがあんまり働きに来ている感じが無い。

分業の概念を始めに読んだのは、たしか経済学だった。

この人はトウモロコシを作るのは早いけど、家を作るのは遅い。あの人は逆。だから、それぞれが得意な方をやれば生産性があがるよねって。

今の日本の会社制度って、こういう個々人を取り上げる土壌が無いのはなんでだろう、もともとの創設者が個性を捨象しているのかなって思っていたら、必然的に見つけたデュルケームさん。

言葉が小難しいのだが、印象としては、僕の問題意識なぞ、とっくに加味されている。

分業と道徳が並置されているみたいだし、分業を導入することによって、社会における道徳規範がどう変化するかを問題としている模様。

ちょっと衝撃的だったのが、不法行為とか相続みたいな、法律ルールも分業のがい年に含めているところ、たしかに、民法の不法行為の制度って、突き詰めていけば社会が通常営業している中で、誰にリスクを負わすのかと言う意味で、被害者、加害者の分業だなって。たまたま当てがわれた犠牲者とも言える。

これをもうちょっと言いかえると、分業とは、役割分担ということになる、

なるほど、だから分業が特に抵抗なく浸透したのか。どんな時代でも人って存在意義を求めているから、役割があった方が楽に人生劇場をまっとうできる。

僕には役割はそんなに要らないのだが、社会の枠組みにおいては、役割が無いと動けないし、役割の外では動けない。いや、役割でも動けない人もいる。

デュルケームさんがほんとに何を語るのかはここからだけど、これからのAI時代、役割でしか動けない人は、人として分業できないから、ベーシックインカムで最低限の生活費で楽しめば良いような気がする。

僕もそれほど人と関わらなくても過ごせるから、隠居。

趣味のお酒と本代を稼ぐだけのお仕事で全然問題無い。

願望が無いというか、僕の今世の欲求はどれだけ自由に過ごせるかが前提っぽいもんで。

誰かと話すときにここまで語れないし、別に語れなくても良いと思っちゃっている。

この変人性がたまたま合ったとしたら、逆に言葉はあんまり要らないし、ここで伴侶を選んでいる訳でもない。

でも、行動しなかったことに対して後悔するような人は、僕と合っているかが不明瞭。

僕は行動ベースで世界を捉えているから、そもそも後悔が無い。

昔選べなかった行動は、そのときには自分が選べなかっただけであり、今後そこを選べるようにすれば良いとしか捉えてないもんで、亡父ともっと話したかったなってことは、今いる人となるべく話せば良いという行動原論になる。

話したいことではなく、あくまで「話せること」。

どうでも良い話。

SNSに金銭価値を付ける勇気みたいなタイトルを本屋で読んだ。

立ち読みしたのだが、なるほど、たしかに、そろそろ無料で僕の日記を読む人も断捨離していいのか。いや、別に読んでいるだけの人のことは知らないけど、垂れ流しで返って来ないなら、それは仕方ない。

無料版も僕に聞いてくれたらあるし。

明日から有料にするか。

課金されたところで、あんまりありがとうございますと思いませんから

(きっと何か返しそう)

あんまり一生懸命に僕を垂れ流すなと誰かさんが言っていたし。

やれやれ。

1万文字予定だったが、まだまだ辿りつかない。

着陸8000文字くらいか。

要所要所を細かく書けばもうちょっと文字数稼げたが、この日記のコンセプトとは違うので、だらだら話を引き延ばさない。

今日はここまでかな。

これ以上書くと、辛辣ぽくなりそう。

別に憤怒氏も出てこないし、気分で過剰に誰かを傷つけたく人も出てこない。

防衛しなくて良い場所だと、これくらいは書ける。

さらにはある。

という感じでここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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