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22:56から

文章脳の調子が悪い。

別に連休終わって明日仕事とかはどうでも良い。

きっと、そこそこに忙しくて、そこそこにメンタルにダメージが入って、そこそこに人(上層部)が嫌になるだけ。

どこまでこの繰り返しで良いのかは、たぶん、意識的な選択ではない。

無意識に、お任せ。

さておき。

そうでも無い文章脳を阻害しているところ。

なんだろうな。

昨日、少し酒量を抑えたので、この連休の常態であった胃もたれは収まった。

明日はまた胃もたれかもしれないが、胃もたれは胴体が縦に向いていたらそれほどでもない。寝転んで胃液が逆流した時の方がちくちくする。いや、実際そうなっているのかというと不明で、あくまで体感として。

という感じで、本日、活動的ではあった。

お米を炊いて、外から食材を買わずに朝昼兼用ご飯を食べる。ここ、かなり活動係数高いと思う。コンビニ徒歩3分くらいだから、お米を浸水する1時間、炊く15分、混ぜて蒸らす10分、に余裕があるということ。

食欲にそんなに囚われなくて済んだというか、日常のお腹空いたからどうというのも違うな、と。

どうでも良いけど、胃もたれしているときに飲むビールは、トマトジュースみたいな味がした。たぶん、酸味に敏感になっている。

という感じで、このまま連休の総括に行く。

きちんと休んだかと言えば、夜更かしもして、その分昼寝でごろごろもしたけれど、だからなんなのという感じ。そんなに休みを求めていないらしい。もう、ぐうたらしたくないんだよな、たぶん。

ぐうたらと言えば、年末年始で漫画アプリが1日毎に無料を開放していて、1日毎にころこころと全話無料のキャンペーンをやっていた。前半は追っていたのだが、後半は良い加減飽きた。

1人の時間が全然足りていない気分。

いや、別に現実的にいっぱい人に会ったということはない。長時間過ごしたのは、言語化ガールと満月さんのご両親くらいっけ。

そうじゃなくて、漫画を読んだりインスタやらYouTubeのショート動画を自分に流していくことは、全然1人の時間では無いなと気付いた。古典の読書は孤独だから良い、自然も良い、ただ、垂れ流されているコンテンツはなんだか絶妙に人と繋がっていてキモチワルイ。

人の繋がりが嫌いな訳では無いし、深いところだと好きなのだが、表層的に消費し合うのがどうも違和感を覚えてきた。

そういえば、某SNSの方、課金制(100円)にした記事にスキが付いていたということは、それでも読んでくれた人が居るということだろうか。

とてもありがたいので、そのうち返しに行きます。

この辺り、今年のテーマというか今生のテーマっぽいので。

この下りで、ちょっと昔の自分の文章を読み返したのだが、ほんと、精神性が変わっていない。ただ、外に出せる量が違うというか、環境によって自分を調整してきただけだなって。

環境によって変わるという意味では一般的だけども、小学生時代からあんまり人間性が変わっていないという認識。

まぁこんなのはあくまで解釈の話だが、自己解釈においてこれができるようになった己はとても強い。

過去の自分も未来の自分も在りのままになるから。

例えば、僕の「大人像」に、大人になったら字が上手くなるという理想があった。

なにせ、父親も母親も良家だったからか、字が上手い。

某論文試験の為に、ボールペン文字を幾万文字練習したのだが、一向に上手くならなかった。

これを、大人になっても文字が上手くならない絶望と解釈するのか、僕は文字が上手くなることに重きをもともとおいてなかったのだなと解釈するのか。

もう手書きの時代ではないから、手書きの文字がどれだけ下手かろうが、どうでも良い。

手書きだと思考に追いつかないし。

なんならキーボードでも追いつかないし、音声入力なってもってのほか。

そのうち思考を読み取って言語化するチップができるかもしれないが、おそらくそんなことになったら、chatGTPさんみたいなことになりそう。

あんまり、スピリチュアルっぽい話はやめて。

最近の僕のトレンド読書の話。

カウンセリング。

やっと、カウンセリングで変化させるべき現実が出て来て面白くなってきた。

曰く「生存」と「実存」。

僕はカウンセリングに突き当たるまでやばくなったことが無い。というか、人に相談できない人だから、おそらくこういう手法は取らない。

「生存」とは、物理的な環境要因で、「実存」はもっと深い人生の目的みたいなことらしい。

「生存」の方は、ちょっと分かる。ただ、ここはなんというか、人の話を聞くとか話し合うというよりは、関係各所の知識とコネの話なようなと思った。法的とか、行政とか。

「実存」の方がおそらく本質だけど、カウンセラーの心理観にかなり依存しそう。

人生の目的が心理学から持って来られたら、マズローさん(原典読んだことない)の自己実現ヒエラルキーとか、ユングさんの影との統合とか、その人が何の系統で心理学を学んだ人なのかに影響されそうという意味合い。

個人的な心理観としては、社会から承認されるかどうかに影響しない自我を持った方が良いと思っているから、僕がカウンセラーになったら、その人の社会からズレた自己観はそのままにして、どうやって社会と折り合いを付けようかという話になりそう。

知らんけど。

もう1個。

デュルケームさんの分業論。

読めば読むほど、この人が描いて居る社会から何にも発展していないような気がする。

婚姻制度の話で、なるほど、これって性的分業だなと思った。ここが分業にならないと性産業は起こらないのだが、ほんとにこの区切り要るのか? この物理的な接触に価値があるというのは、まだ人間的な分業まで至っていないのでは? とか。

この話は、細かく書くとアレなので、とりあえず書かない。

デュルケームさんの文章を読んでいると、この人法学畑っぽいなと思っている。

当時は社会学の中に法学が含まれていたのだろうか。

あと、分業の概念に対してとても批判的な感じがある。

あくまで感じ。

最後。

今生のテーマの話。

垂れ流しのコントロール。

奪われずに、好きなところに回した方が良い、なんて一般的な感覚だと思うが、僕は義務外でも気分でやっちゃう。いや、気分は良いのか。それが当たり前にならない限り。

30分弱おーばーしてしまったのでここまで。

おやすみなさい。

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