22:19から。
お仕事ぱんぱん。
頭が痛い。どれだけ深酒飲んで二日酔いになっても頭痛は無かったのに。
水すら受け付けずに吐いてしまうくらいになっても。
何が頭痛なのだろうと思うと、世界の処理が上手くいかないからだと思われる。
別に、忙しさなんてこの職場以外でも経験してきたから、忙しいだけではこうはならない。
これ、おそらく、仕事場での筋書きが統一的で無いから。
仕事の配分が上層部の調子によるから、モチベーションも行動も、この調子によって空振りしたり、足踏みしたり、エネルギーが抜かれたりする。
自分が単純に忙しくできた方が、よほどエネルギーがまともに循環するのだが、この職場の滞りが頭痛になっているのだと思われる。
変な話だが、てんちょーの言葉も経年女子の言葉も、何も響かなくなってきた。
この人達、何をこんなに空疎な言葉を使っているのだろうって。
中身がすかすかだから、何の重みもない。
例えば本日、僕が業務ぱんぱんの中、経年女子は、共通業務をしようとしなかった。
経年女子の何が忙しかったかは定かではない。別にお客様対応してない。私は忙しいから定時ちょっと後で帰るという雰囲気を出しつつ、僕はギリギリで帰ってきて、最終報告を終わらせた。
その後、個人LINEで、「遅くまでありがとうございました」とメッセージがやってきたのだが、この言葉に嬉しく想う人は居ないと思う。
この人、思想的なところだと、定時が上がりが理想と言っているけど、その理想は行動として、下に適用されない。自分が想う、自分の仕事しかして無くて、本心、下の残業なんてどうでも良いのだと読み取れる。だって、行動がそうだから。
何を労われても、気遣いの言葉があったとしても、当人が、下の仕事時間を減らすように動いていない限り、この人の言葉は相手の為では無く、自分を守る為の言葉なんだろうなとしか想わない。
これが僕の定義上の空疎な言葉。
言葉が他人事っぽい人。ないしは自分の言葉しかない人。
行動と言葉の距離が随分と離れているのはどうも。
空疎な言葉を扱う人は、世の中にいっぱいいる。
言葉って自由だから、自分の身の丈から離れたところでも扱えるし、理想化して扱う人も居る。
これが経年女子、ないし、てんちょー。
まともな人間は、この矛盾に気付く。自分が空疎な言葉を扱っている人は、気付かないといいうか、自分もそうだから受け入れる。
僕は、もうこういう言葉の交換は嫌だなと思っている。
そろそろ自分を守る為に闘う時期なのかなぁと思うが、これをやっても良いのだろうかという気分。
上層部ぶっ潰しても楽しくないもんで。
この職場に上層部が居座っていることでしんどいんだろうなぁと思うけど、別にパワハラ案件上げて、人生破綻させて暖を取りたい水準のサイコパスでもない。どうでも良い人が地に落ちたところで僕の溜飲が下がることは無いし、どうでもいい。僕の人生が楽しくなるかどうかの方が全然大事。
僕の言葉は、僕の現実の行動に根差しているつもりだが、きっとあんまり意味分からないもんで、理想化の言葉として読まれることもありそう。
もう寝る。
おやすみなさい。
良い夢を。